夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

過ぎ去りし、定年後の私の1月15日の思いは・・。  【下】

2010-01-16 14:20:07 | 定年後の思い
2004年の秋、私は民間会社を定年退職して、まもなくブログの世界を偶然に知り、
若き青年時代に映画・文学青年の真似事をした時もあったので、
久々に散文に熱い思いで綴りはじめていたが、何を表現して綴ろうか、とまよいを重ねたりしていた。

翌年の2005年のこの日には、
【 映画の魅力について 】
と題して、数多くの方たちに読んでいただきたく、このような映画作品を羅列していたのである。

【・・
映画作品の多くは、私の自己形成上、色々な事を教えてくれた・・。
歴史、文化、風俗、信念・・といったような日常観のすべてを教えてくれた。

ここ数日前、購読している『週刊20世紀シネマ館』が配達されてきて、
今週は【1981~2000年の名画グラフィティ 20世紀のラストを飾った名画100選】が特集だった。

この中で、私が鑑賞した作品で、感じたことを採点のように表示する。
感銘した作品《☆☆☆》、ある程度感心作品《☆☆》、まあまあ程度《☆》、時間を無駄にした《★》、
と思った作品を列記します。

1981年【昭和56年】
☆『レイジング・ブル』
☆『エレファント・マン』
☆『レイダース 失われたアーク(聖櫃)』
☆『普通の人々』

1982年【昭和57年】
☆☆『黄昏(たそがれ)』
☆『炎のランナー』
☆『E.T.』

1983年【昭和58年】
☆☆『ガンジー』
☆『ソフィーの選択』
☆『フラッシュダンス』
★『ガープの世界』

1984年【昭和59年】
☆☆☆『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』
☆『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説球』

1985年【昭和60年】
☆☆『アマデウス』

1986年【昭和61年】
★『エイリアン2』

1987年【昭和62年】
☆☆☆『プラトーン』
☆☆☆『アンタッチャブル』
☆『トップガン』

1988年【昭和63年】
☆☆☆『ラストエンペラー』
☆☆『ウォール街』

1989年【平成元年】
☆☆『レインマン』
☆『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』
★『バットマン』

1990年【平成2年】
☆『7月4日に生まれて』

1991年【平成3年】
☆☆☆『羊たちの沈黙』
☆『ダンス・ウィズ・ウルブス』
★『ターミネーター2』

1992年【平成4年】
☆☆☆『JFK』
☆☆『氷の微笑』

1993年【平成5年】
☆☆☆『許されざる者』
☆『ラスト・オブ・モヒカン』

1994年【平成6年】
☆☆☆『ピアノ・レッスン』
☆『スピード』

1995年【平成7年】
☆☆『ブレイブハート』
☆『ダイ・ハード3』
☆『アポロ13』
★『フォレスト・ガンプ/一期一会』

1996年【平成8年】
残念ながら、該当するのは無。


1997年【平成9年】
☆☆☆『イングリッシュ・ペイシェント』
☆『シャイン』
☆『インデペンデンス・デイ』
★『秘密と嘘』

1998年【平成10年】
☆☆☆『L.A.コンフィデンシャル』
☆☆『プライベート・ライアン』
☆『タイタニック』

1999年【平成11年】
☆☆『エリザベス』
☆『ライフ・イズ・ビューティフル』
☆『恋におちたシェイクスピア』
★『マトリックス』
★『シックス・センス』

2000年【平成12年】
☆☆『スペース カウボーイ』
☆☆『グラディエーター』

この雑誌の100選から洩れていると思える作品も数多くあり、
たとえば、『インドへの道』、『ダイ・ハード』、『ゴッドファーザー Ⅲ』、『マディソン郡の橋』、『シン・レツド・ライン』等である。

いずれにしても、上記に羅列した作品には、圧倒されます。

採点方式を表示しますと、その人の人生観が解かる、と思います。

最近、年を重ねたせいか、映画館に足を運ぶ魅力作品がなくなった、
と思ったりしている。
・・】


このように私は1月15日時点を基軸に、
昨年の2008年から定年退職後の三ヶ月後の2005年まで遡(さかのぼ)ったのであるが、
果たして進化してきたか、或いは退廃してきたか、解からないのである。

私はこの後、何気なしに、

♪こっちを向いて涙をふいて

【『哀愁のシンフォニー』 作詞・なかにし礼、作曲・三木たかし、唄・キャンディーズ 】

と小声で唄い、キャンディーズかょ、と呟いたりしたのであった。


私の現役時代は、たまたまあるレコード会社に勤めていた習性か、
他社のCBSソニーの所属のキャンディーズの歌でも、何かと歌の一節を歌ったりしている。

そして『微笑がえし』のタイトルに変更しょうかと思ったりしたが、
しかし、齢を重ねた今、余り過去にこだわるより、もっと前向きにと思いながら、
心身爽快に、

♪雪が溶けて川になって 流れてゆきます
 つくしの子がはずかしげに 顔を出します
 もうすぐ春ですね ちょっと気取ってみませんか

【『春一番』 作詞、作曲・穂口雄右、唄・キャンディーズ 】

と小声で唄ったりしたのである。

この後、私は【YouTube】のお力をお借りして、キャンディーズの歌声で励まされていたのである。

http://www.youtube.com/watch?v=IneHykqdB_A
【『春一番』 作詞、作曲・穂口雄右、唄・キャンディーズ 】


このような歌を聴いたりすると、市販のビタミン剤などよりも、遥か百倍以上は確かに効くのである。



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過ぎ去りし、定年後の私の1月15日の思いは・・。  【中】

2010-01-16 12:48:53 | 定年後の思い
一昨年の2008年のこの日の朝の10時前に於いては、
【 私が愛用している日常のタオルは・・♪ 】
と題して、たわむれに楽しげに投稿していた。

【・・
我家で私が日頃使うタオルは、
国内旅行で宿泊先の観光ホテルで頂いたタオルを愛用している。

観光ホテルで宿泊する際、浴衣と袢纏、タオルがセットで置いたあり、
タオルは観光ホテル名が明記されている極く普通のタオルである。

タオルに関し、私は一晩でサヨナラをするのは、
もったいない、と感じて、我家に持ち帰ってくるのである。

そして私は、朝の洗面時、入浴の時、パジャマ姿の時は首周りなどで、
こよなく使用しているのである。

色合いは、白が多いが、ときには黄緑色、ピンクなどもある。

北海道だけでも層雲峡、網走、知床のウトロ、阿寒湖、帯広、定山渓、
函館等の周辺の観光ホテル名が入ったタオルがある。

『XXちゃん・・今宵は阿寒湖なの・・』
と私は家内に云いながら、私達が阿寒湖に訪れた時の思い出を家内に話しかけている。

家内に関しては、日頃からデパートで良質のタオルを使用して貰っている。
やはり女性の身なので、たかがタオルでもひとつの美麗となすので、
私はさりげなく厳命している。

尚、私が観光ホテルのタオルからデパートのタオルに昇格するのは、
我家に来宅するお客様の時に限っている。

そして私は年金生活の身であるので、こうした日常生活が相応しい、
と観光ホテルの名前の入っているタオルを見つめながら微笑んでいる。
・・】



この日の夜の6時過ぎには、
【 過ぎ去り日々は、はかなく懐かしく・・♪ 】
と題して、投稿していた。

【・・
私は定年退職後の年金生活をして4年生であるが、
読書は第一趣味であるが、文章を綴ることが好きである。

このような身なので、殆ど毎日、この時に思考したり感じたことを、
朝に一通、夕方に一通を投稿している。

そして、ときおり昨年の今頃は、どのような思いで過ごしていたのだろうか、
このサイトを読み返しているときもある。


先程も一昨年、昨年のこの時節の投稿を読んだりしていた・・。

昨年の今頃は、

1月12日【時は過ぎてゆく・・♪】

     【ときには、夢のひとときを・・♪】

1月13日【母の命日・・♪】

     【ときには、お墓参り・・♪】

1月14日【人生の教科書・・♪】

     【早春の淡い香りに・・♪】

     【炬燵の中で、読書そして昼寝・・♪】
 
1月15日【されど、イチゴ・・♪】

     【『世代を超えて、歌い継ぎたい歌』・・♪】

1月16日【『歌会始』を拝読して・・♪】

     【『千の風になって』・・♪】

1月17日【ときには、学友と語り合えば・・♪】

     【あの時、あなたは・・!?】

このように投稿していたのを読み返していたが、
読書、音楽、映画の選定と同じ様に、私なりの好み趣旨のことが多いが、
過ぎ去った日々は、はかなくも限りなく懐かしい、と想い返したりしている。
・・】



2007年のこの日の午後6時半過ぎには、
【 『世代を超えて、歌い継ぎたい歌』・・♪ 】
と題して、投稿していた。

【・・
昨夜、インターネットでニュースを検索していたら、
文化庁が《~親から子、子から孫へ~  親子が歌いつごう 日本の歌百選 》の結果ニュースを読んだりした。

私はこうした行事には無知であったが、
河合・文化庁長官(休職中)が、
少年犯罪の報道を見るたびに、世代間の断絶や人間関係の希薄化などの風潮を憂い、
発案されたらしい・・。

文化庁としては、この発案に適応し、世代を超えて歌い継ぎたい歌として、
国民から広く募集をした結果のニュースであった。

私は101選となった歌を思いうかべ、
日本語の美しさ、叙情、情緒を若い方達に学びとって欲しい、と切実に思っている。

こうした歌からは、古来の日本人のそれぞれの生活の営みが感じられ、
昨今の社会問題などは、ある一面に於いて解消させる力も秘めている・・。

私は選定された歌をときたま聴いたりしている。

昨年の今頃に聴いたりして、私はこのサイトに綴っている。

【 『冬景色』を聴くとき・・♪ 】
と題して、昨年の2006年1月26日に投稿していた。

【・・
私は、ときたま唱歌を聴くときがある。

冬の季節には、『冬景色』は私の好きな唱歌のひとつである。

作詞はどなたが創られたかは不明であるので、《文部省唱歌》となっている。

♪さ霧消ゆる みなとえの
 舟に白し 朝の霜
 ただ水鳥の 声はして
 いまださめず 岸の家

こうしたのを聴いたりすると、どなたが歌っても、私はときたま涙ぐんでしまう時がある・・。

遠い幼年期を想いださせるのか、
或いは失ってしまった純粋な心を甦(よみがえ)させようとする
もうひとりの自分に哀歓を寄せているのかは解からない。

何より、この作詞の日本語は、はかなく美しい。

私は詩の世界は理解する素養はないが、
声により唄いつながれて行く言葉の結晶である作詞の世界は解かるつもりである。
・・】


こうした綴りを昨年のこの時節に綴ったりしている。
今朝、たまたま読み返したが、
私なりにこうした名曲は、心の隅に何時も宿っている、と思ったりしている。
・・】



2006年のこの日の朝の8時過ぎに、
【 春めいた朝のひととき・・♪ 】
と題して、投稿していた。

【・・
東京の郊外は、昨日の昼の1時頃から本降りの雨となった。

このような本降りは、昨年の11月以来だった。
乾気につつまれた情景が、樹木、草花が洗い流されたかのように、
潤いを取り戻した・・。

数時間を過ぎると、しっとりした樹木の枝葉、そして地面は黒土を見せて、
私は小躍りしながら、庭先を見詰めた・・。

夜の八時過ぎには、雨は止んだが、微風が心地良い・・。


今朝、何時ものように六時に目覚め、薄暗い庭先に立った。
暖かな空気につつまれ、樹木を見詰めた後、
新聞を取り込み、居間に戻ると、温度計を見ると、8度を指していた。

その後、ガス・ファンヒーターを点けると、直ぐに居間は15度を超えた。

煎茶を呑みながら、新聞を読み終えた後、日の出の時間となったので、戸を開けた。

しばらくすると、朝陽が居間に差し込んできた。

私は家内に
『梅一輪の季節が、通り過ぎてしまったょ・・』
と私は微笑みながら家内に云ったりした。
・・】


この日の夕方の4時半過ぎには、
【 風は、甘く・・♪ 】
と題して、投稿していた。

【・・
朝の10時過ぎに、玄関庭の陽射しの中は、春めいて暖かさであった。
微風が少しあるが、風は甘く感じ、樹木の間を通り過ぎて行った・・。

風の甘さに、1972(昭和47)年の頃が想い出された。

この頃の私は、勤務場所が六本木で、同資本系の会社と、共同システムをしていたので、
打ち合わせに原宿にある会社に週三回、午後の時間を通っていた。

六本木から恵比寿を通り、原宿で降りて、表参道へ向うゆるい下りの大通りを歩いた。

確か3月の下旬頃だった。
風が微風であったが、春の季節であったので、風は甘く感じた・・。

都会の華やいだ洋装店が数多くあり、時折、洒落た喫茶店、個性ある料理店もあり、
歩いている人も春に相応しい容姿で、
華やいだ大通りとなっていた。

私のようなスーツ姿は少なく、フリーな洋装を男女問わず、身につけていた。

歩いている人は圧倒的に10代、20代であり、丸の内、神田のビジネス街とは一変していた。

私はレコード会社でコンピュータの専門職をし、独身の身であり、
時代の先端の空気を満喫していると、気負っていた・・。


今、煙草を喫いながら、思い返しているが、
恥ずかしくもなく、若き27歳前後の私に苦笑いを浮かべた・・。

門扉に近い椿が、春めいた暖かさで蕾が膨らんだように観えた・・。
・・】

                                《つづく》


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過ぎ去りし、定年後の私の1月15日の思いは・・。  【上】

2010-01-16 10:18:02 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の65歳の身であるが、
昨日はいつものように昼前後、買物にスーパーなどに二軒ばかり廻ったり、散策を相変わらずしている。
冬晴れの8度前後の中、冬の厚手のジャンパーにマフラーを巻いたぐらいで、手袋をするほどは寒くなく、
冬枯れの情景を眺めながら、心は高揚しながら歩いたりした。

そして夜のひとときは、音楽棚からビデオテープを出して、
NHKのBSが企画した2004年2月2日に放映された『さだまさし 30年生活集大成』を視聴したりした。
さだまさし氏の創られた名曲の数々を時代背景と共に、さだまさし氏の歌声を視聴したりしたのであるが、
多岐な分野に発露した数多くの曲は、改めて感動しながら聴いたりしていた。

昨日はこうした時を過ごしている間に、このサイトに2通ばかり投稿したり、
国際政治経済情報の月刊誌『フォーサイト』(2月号)を読んだりした。
この2月号に於いて、特に精読し、思索させられたのは、
朝日新聞社・台北支局長の野島剛(のじま・つよし)氏の『「蔣介石ブーム」が意味するもの』の寄稿である。

見出しには、
《欧米の研究者の間で「腐敗した独裁者」とみなされ、中国共産党からは「人民の公敵」と位置づけられた男。
その評価が、いま劇的に変わりつつある。
55年間、一日も欠かさずにつけられた日記をひもときながら、
世界中で沸き立つ再評価のうねりをレポートする。》
このように紹介された記事であるが、
つたないなりに歴史に興味があるひとりとして精読したのであるが、
歴史の明暗の深淵の中に放り出されたように、
圧倒的な感動に震えながら、考えさせられたのである。

このようにとりとめなく15日は過ぎ去ったのであるが、
今朝、ぼんやりと朝のまばゆい陽射しをながめながら、サラリーマンを卒業し定年退職後、
このサイトに投稿してきた1月15日の投稿文を読み返したのである・・。



昨年の2009年の朝9時過ぎには、
【 まもなく『大寒(だいかん)』の時節を迎え・・♪ 】
と題して、投稿していた。

【・・
東京郊外の調布市に住む私は、早朝にカレンダーを眺めていたら、
1月20日は【大寒】と明示されて、私は苦笑したのである。

古人より『大寒』の頃になれば、一年で最も寒い時期、と伝えられているが、
東京の郊外は、昨年の23日に雨が降ってから、今年も一度に降った程度で、
冬晴れの日が多く、乾ききった日々となっている。

私は年金生活の5年生の身であり、日頃は買物、散策をしたりしているが、
昨年の初冬以来、札幌に訪れた旅行以外、
マフラーをしていないことに気付いたのである。

今朝方、地元の天気情報を見ていたら、
朝の6時過ぎは2度、日中は6度前後の冬晴れとなるが、
ときおり北風が強く吹くので今年一番の寒さとなります、と報じていた。

私は散策などの場合は、冬のスポーツ・シャツに綿入れの外出用の袢纏(はんてん)、
冬用のズボン、そして足袋と下駄の容姿で出かけたりしている。
買物などで購入品が多い場合は、厚手のセーターと冬用のズボン、
そしてウォーキング・シューズとなったりしているが、いずれもマフラーはしなかったのである。

私は付近の遊歩道を歩いたりしていると、乾ききった状景を眺めたりしていると、
早く雪が降らないかしら、と待ち焦(こ)がれているひとりである。
公共交通機関の支障がない5センチ前後がベストよ、と心の中で祈願したりしているのである。


先ほどから、主庭、居間に朝のまばゆい陽射しを受けて折、
私はいつものように足袋を穿(は)き、下駄で主庭のテラスに下り立った。
煙草を喫いながら、霜柱を見つめたりしていたが、
陽射しを受けているので、まもなく消えうせてしまうので、
私ははかなさの美を感じたりしている。
・・】



この日の午後5時過ぎには、
【 されど、『イチゴの日』・・♪  】
と題して、楽しげに私は投稿していた。

【・・
我家の台所にある風物詩のあるカレンダーを見ていると、
『イチゴの日』とイチゴの絵も描かれて、可愛らしく表示されていた。

私はイチゴの生産か販売に携(たずさ)わる方たちが、
イチゴの消費拡大を目的として、この日はたまたま15日であり、
【一五(いちご)】の語呂(ごろ)あわせ、健気(けなげ)に制定した、と何かの本で読んだことがあった。

私は、イチゴかょ、と思い浮かべ、
少なからず私なりに思いでがあったので、恥ずかしながら綴ってみる。


私は2004年の秋に定年退職した後、日常の買い物を担当しているので、
スーパーの生鮮野菜コーナー、果物コーナーなどを見たりしている。

この時節、イチゴの赤く成熟した大粒が並んでいる。
家内は好きな果物のひとつであるので、買い求めたりしている。

1951(昭和26)年の頃は小学1年生であった私は、
祖父、父が健在で程々手広く農業をしていた。

叔母達も陽当たりの良い畑の一角で、草花を植えたり、イチゴなどの果物を植え込んでいた。
草花は仏様、お墓の墓前に供えたり、或いは室内の花瓶に生けたりしていた。

イチゴは5月頃になると、白い花をつけた後、結実し、初夏の頃に赤み帯びて成熟する。

私は幼年期であったので、
『まだ駄目・・!?』
と私は叔母に懇願するように云ったりした。

『まだ白さがあるでしょう・・もう少しね・・』
と叔母は云いながら、2坪ほどの広さのイチゴ畑の中で、
少し赤く色づい実を捜して、ひとつぶを私の口に入れてくれた。

口に入れて噛み砕いているうちに甘み拡がってきた・・。


1975(昭和50)年、家内と交際をはじめ後、1月の下旬だったと思うが、
東京駅で待ち合わせ、新幹線の『こだま』で清水駅まで利用し、
日本平付近の丘陵のイチゴ園に行った。
日当たりの良い丘陵でビニールハウスの中で養育されていた。
入り口でカップに入れたミルクを頂き、ハウス内のイチゴをもいで食べる方法であったが、
途中で家内に私のミルクを手渡して、私は外に出た。

ハウスの入り口から少し離れた所で、
私は煙草を喫いながら海辺の光景を観ていたが、ときたま微風を受けると寒さが感じられた。

私は3粒を頂いたが、初夏の果物がどうして・・と思ったりした。


1960(昭和35)年の高校生になると、季節を問わずショート・ケーキの上にイチゴが載せられたり、
日本の各地でビニールハウスの情景が見られたりした。
私が中途入社した1970(昭和45)年を過ぎると、会社の2月頃の旅行の折、イチゴ園に寄ったりした。

私は露地栽培の初夏、実がまばらな小粒で、淡い甘さが幼年期の想いでのためか、
昨今のイチゴには戸惑いを覚えている。


尚、私はお酒大好きな呑兵衛のひとり男であるので、
イチゴは婦女子の果物のひとつであると確信し、20数年過ぎている。
家内がこの時節も愛食しているが、
私は1年に2粒ぐらいお付き合いしている程度である。
・・】

                                   《つづく》




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