夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

確かな存在感のある名優・田中邦衛さん、死去に伴い、76歳の私は御冥福を・・。

2021-04-03 14:17:41 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
昨夜、テレビのニュースで、
俳優の田中邦衛(たなか・くにえ)さんが3月24日、
老衰のため死去した、と知ったりした・・。

私は若き青年期に映画青年の真似事をし、数多く映画作品を鑑賞したり、
やがてテレビ・ドラマを鑑賞し、名優・田中邦衛さんが出演された作品も観たりしてきたので、
確かな存在感のある名優・田中邦衛さんは、お亡くなりになってしまったか、と落胆を深めたりした・・。




この後、ネットで田中邦衛さんの死去に伴う配信された記事の中で、
映画で知られる個性派俳優の田中邦衛さんが3月24日、
亡くなったことが分かった。88歳だった。

テレビドラマ「北の国から」の脚本家、倉本 聰さんの話

ショックを受けて、何も言えない。
あんなにまじめで情けなくて、いい人はいなかったですよね。
特別な人でした、僕にとっては。かけがえのない人でしたね。

「北の国から」の五郎役は、他にも候補がいたが、
誰が一番情けないだろうと考えて、みんなで即一致した。

僕自身がものすごく情けない人間で、
男ってまじめにやればやるほど矛盾が出てくる。

そのことを邦さんに言った時、
「そうなんだよな」ととても共感してくれたのを覚えている。

一番心に残っているのは、人に頭を下げている情けない姿かな。
「北の国から」は何度もまた作ろうという話があったのに、残念だ。
邦さんは永遠に生きている気がする。




田中邦衛さんが出演した映画「学校」などで監督を務めた山田洋次さんの話 

俳優がたくさんいる中で、邦衛さんは抜きんでて、
善良の塊みたいな人。

一緒にいると幸せになれるような人だった。
あんな人は二度と出ないと思う。‥》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。 




私は田中邦衛さんが出演された映画作品で、初めて鮮明に感動させられたのは。
『人間の條件』第3部 戦雲篇で、確か1959年(昭和34年)と記憶している・・。

主人公・梶(仲代達矢)が軍隊に送られた、軍隊生活に於いて、
理論武装で対抗しようとするので、上からも古参兵達からも睨まれる中、
古参兵からを徹底的にいじめ抜かれる気弱な初年兵・小原(田中邦衛)、
或いはアカと称される共産主義者とレッテルを貼られ新城一等兵(佐藤慶)、
このおふたりの田中邦衛さん、佐藤慶さんは、突出した名演であった。

この当時の私は、高校生で映画館によく通い、東宝映画は二本立てで、
映画館は上映していたので、苦手な『若大将シリーズ』を観たりしたが、
田中邦衛さんは、コミカルで憎めないキャラクターを演じて、
こうした役柄もできるんだぁ、と微苦笑させられたりした。




この前後、出演された映画作品と数多く中で、『椿三十郎(1962年)』、『怪談(1965年)』、
『どですかでん(1970年)』、『冬の華(1978年) 』、『駅 STATION(1981年)』、
『居酒屋兆治(1983年)』、夜叉(1985年)』などが思い浮かべたりした。

テレビ・ドラマとしては1965年(昭和40年)に放送された『若者たち』は、
漠然と視聴していたが、1981年(昭和56年)に放映された『北の国から』シリーズは、
私は後年、作品の視聴はもとより、シナリオの単行本もすべて購読したひとりとなった。
          
          
私は1981年(昭和56年)の当時は、あるレコード会社に勤め、
情報畑で日夜奮戦していたので、放映開始された『北の国から』は無知であった。

やがて連続ドラマが終って、再放送された『北の国から』を視聴して、
瞬時に魅了された。

もとよりこの『北の国から』の脚本を書かれたのは、
テレビ・シナリオ、映画、舞台の脚本、随筆など多彩に活動されている倉本 聰(くらもと・そう)さんである。




私が倉本 聰さんの作品に初めて触れたのは、1975(昭和50)年1月過ぎであった。


映画の脚本家・橋本 忍(はしもと・しのぶ)さんの『砂の器』のシナリオが読みたくて、
本屋で雑誌の『シナリオ』(シナリオ作家協会)の1月号を買い求めた。

その中に、東芝日曜劇場の『りんりんと』のシナリオが掲載されていた。
なんてシリアスなドラマを書く人、と倉本 聰さんの作品に初めて知り、印象が残った。

やがて10数年後に私にとっては、倉本 聰さんの数多くシナリオ、随筆などを殆どすべて購読して、
作品はもとより、生活信条、創作の考え方、環境問題等で、多々ご教示を頂き、
信愛するひとりとなり、今日に至っている。

こうした中で、田中邦衛さんに関して、倉本聰さんの随筆など記載されていることもあり、
私は数多く学んだりしてきた・・。


余談であるが、私はたった一度だけ田中邦衛さんをお見かけしたことがある。


『北の国から』が再放送されてまもない時、
確か35年の前の頃、私は勤めていた六本木の本社で退社後、

近くにある俳優座の裏通りを歩いていた。

前方から防寒服を羽織るように歩いてきた男・・

田中邦衛さんだ、と瞬時に感じ、私は黙礼をした。

やがて私たちはお互いにすれ違う前、

田中邦衛さんは、少し頭を下げ、去って行った。

この当時の田中邦衛さんは、ドラマの大作としては初めて主役となった『北の国から』で、
数多く方に感動を与え、ご本人は戸惑いながら実感を感じ高揚した時期と思われ、

意気揚々とした足取りで、
私はすれ違う時、時の人の風圧を感じたりした。




長年、数多くの分野の作品に出演されて、多くの御方に感動を与えた田中邦衛さん・・、
確かな存在感のある名優であった。

無力な私は、亡き田中邦衛さんには、
黙礼しながら、ご冥福をお祈りします、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
コメント (2)
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