夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

脳出血から復活された「加山雄三」さんが明かす闘病生活、76歳の私は真摯に学び・・。 

2021-04-30 15:44:12 | ささやかな古稀からの思い
先程、ときおり愛読している新潮社の公式サイトのひとつの【ディリー新潮】を見ている中、
『 「加山雄三」が明かす闘病生活 脳出血から復活
          「会話は難儀するのに歌声は昔のママ」』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住んでいる年金生活の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、

 ささやかに過ごしている。

こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフの私なりの健康体の三種の神器として思い、年金生活を丸16年半を過ごしてきた。


そして私は何よりも認知症、心筋梗塞など恐れ、
殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街を歩き、
ときおり認知症だけは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。




こうした中、一昨年の2019年、新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、
心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。

やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、
しばらく経過観察したく・・ と担当医師から宣言され、
結果的に8泊9日の入院となったりした。

過ぎし年、テレビのニュースで、俳優・加山雄三さん が、脳梗塞に遭遇され、
早めの手当てができて、回復に向かっている、と報じていた。

もとより心筋梗塞、脳梗塞などは一刻も早く、医師の手当てを受けないと、
身体に重症が残り、何かと制約される日常となり、最悪の場合は亡くなる、
と近所の知人より教えられたりした。

このような心情を秘めた私は、加山雄三さんが、どのような状況で自覚されたのか・・、
私のこれから、いつの日にか遭遇した時の対応に学びたく、記事を精読してしまった。


この記事は『週刊新潮』の2021年4月29日号に掲載
されて記事理のひとつで、
関連の公式サイトの【 ディリー新潮 】に4月30日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

 


《・・ 傘寿を超えてなお、若手ミュージシャンを率いてロックフェスを沸かせる・・。
そんな「永遠の若大将」を突如として襲った病魔。

だが、音楽活動を再開した加山雄三(84歳)に迷いは微塵も感じられない。
闘病生活からAIまで、昭和のスターが語り尽くす令和の挑戦。



お陰様で入院前の70%くらいまで回復したと感じていたけど、
ここ最近はさらに体調が良くてね。

滑舌や発声も、俺の病気のことを知らなければ、
リハビリ中とは気づかれないと思います。
いまは9割方、元通りの生活ができてるよ!

〈本誌(「週刊新潮」)の取材に、明朗快活な受け答えを見せた加山雄三。

今月11日に84歳の誕生日を迎えた“永遠の若大将”は、
ここ数年、たび重なる病との闘いを強いられてきた。

一昨年11月には、軽度の脳梗塞で入院。
まもなく復帰を果たしたものの、
昨年8月29日に、今度は小脳出血を発症して、活動自粛を余儀なくされた。
現在はリハビリを続けながら、歌手活動を再開させている。〉



最初の脳梗塞で、右側の脳がやられて、次の脳内出血は、左側でした。

診断の結果は、小脳出血で、
そのときは水を飲もうとしたら、気管に入ってしまってね。

誤嚥というか、“ゴホン、ゴホン!”とむせ返るほど激しい咳が止まらなくなって、
そのうちにぶっ倒れたわけです。

咳き込んだときに、一気に血圧が上がって、脳の血管が破れたのだと思う。
激しい頭痛はなかったけれど、気づけば自宅の床に突っ伏して吐いていた。

幸いだったのはすぐにカミさんが、救急車を呼んでくれたことだね。
 担架で運ばれたのは、かすかに記憶しているし、
“何か大変なことが起きてるな”という感覚だけはありました。

担ぎ込まれた病院でMRIを撮ると、
脳内出血の範囲は、かなり広かったみたいです。

でも、その後に再検査を受けたら、
出血している箇所が、当初よりも小さくなっていた。

ふつうは、そんなこと有り得ないんだけど、
結果的にそのお陰で無事に生還することができたんです。
いや、脳ミソというのは不思議なものだなぁ、と改めて感じましたよ。

ただ、意識が朦朧としながらも、不思議と死の恐怖は感じなかったな。



というのも、19歳のときに一度、死にかけたことがあるんですよ。
注射のショックで、心肺停止状態に陥ってね。

徐々に意識が遠のいて、暗闇に落ちていくような感覚に襲われた。
仮死状態だったのは数分間ながら、心の底から恐ろしいと感じました。

おふくろに頬を引っ叩かれているのに気づいて、
息を吹き返したときは、「生き返った!」って周囲も大騒ぎだったよ。

その経験と比較ができたから、今回、小脳出血で倒れても
「まだ言葉は喋れる。死ぬことはないだろう」と、
どこか冷静に考えることができた。

それと同時に、親父(俳優の上原謙)が亡くなった82歳という年齢を超えていたので、
「死んだら死んだで、しょうがねぇや」
という開き直りもあったかもしれないね。



★歌声は全く問題ない

それよりも大変なのは、リハビリですよ。

開頭手術こそ免れたものの、
40日間は病院のベッドに寝かされたまま、治療に専念していた。

当然ながら、脳をやられたので、どうしても言葉がうまく出てこない。
医者からはリハビリ用のテキストを渡されて、
「らりるれろ」や「だぢづでど」
といった文字を声に出して、読むよう指示されるんです。

「それじゃ、次はさかさまに読んでください」とかね。

変な話だけど、そんなリハビリを続けながら思い出したのは、
自分がまだ俳優として新人だった養成期間のこと。

23歳で東宝に入社して、
最初の2カ月間は延々と発声練習をやらされましたが、
リハビリで渡されたテキストは、それとソックリなんだよ。

当時からこの発声練習が大嫌いで、二度とやるものかと思っていたのに、
まさか60年越しで同じ練習をさせられる羽目になるとはなぁ(笑)。



ただ、リハビリを続けるなかで、自分でも一番驚いたのは“歌”でした。

普段の会話には難儀していたのに、
なぜか歌声だけは、全く問題がなかった。
発声も歌唱も、入院前と何ら変わらない。

それどころか、半世紀前の自分の歌声と比べても、遜色がないんだよ。

実は、病院でリハビリとトレーニングに励んでいた頃、
倉庫にしまってあった資料をスタッフが整理するなかで、
50年以上前に録音したオープンリールのテープが見つかったんです。

正直なところ、全く記憶になかったけど、
確かにプライベートで作った未発表曲だった。

そのときは、若い頃の自分に「この曲を歌え」と言われたように感じてさ。
どこか運命的で面白いから新曲として発表しよう、と。
それが、84歳の誕生日にリリースした「紅いバラの花」なんです。

Aメロは、テープに残されたボーカルをそのまま活かして、
Bメロは、スタジオで新たに録り直した。

つまり、30代の自分と時を超えてコラボレーションしたわけですが、
これが思いのほかうまくいった。

どっちも自分の声だから、コーラス部分も綺麗にシンクロしている。

レコーディングに携わったスタッフも、
「50年前と、いまの加山さんの歌声がまるで判別できません!」
と目を丸くするほど。
これは面白い経験でしたね。

やっぱり、音楽に、時代や世代は関係ないんだよな。
いまや世界的に活躍しているBABYMETALも、
かなり以前に事務所の若いスタッフから聴かされた瞬間、
「これは凄い!」と思った。

同じように古い音楽にも、素晴らしいものはある。
心を動かす何かがあれば、いつの時代でも通用する。
そこが音楽の魅力だね。



一方で、入院中に一番恐れていたのは、寝たきりになってしまうことでした。

つい最近、「若大将」シリーズで共演した田中邦衛さんが亡くなったでしょう。
これにはショックを受けましたよ。
凄い衝撃でした。

彼が寝たきり状態になって、病院に入っていたとは耳にしていた。
でも、それ以降は何の音沙汰もなかったからね。
早く元気になってほしいと、陰ながら祈るしかなかった。

老衰で亡くなったと報じられましたが、
88歳という年齢は、旅立つにはまだ早いよなぁ・・・。



★AIは自分の分身

かく言う俺にしたって、40日間も寝込んだら筋力が衰えるし、
寝たきりになるリスクもあったわけです。

それを避けるため、入院中はトレーニングルームで鍛えて、
いまも散歩を日課にしている。

まぁ、まだ「ゆうゆう散歩」とまでは、いかないね。

昔は趣味でいろいろなスポーツをしていたし、
「ゆうゆう散歩」の頃は、1日に1万歩以上も歩いていたけど、
ここ最近はやる気を奮い立たせて、運動している感じだよ。

事務所のスタッフと一緒に毎日、1キロ程度は歩いてます。

あとは、カミさんの協力が大きいね。
内助の功というのは本当でさ、
自分ひとりでうまく歩けない頃は、
彼女が「一緒に行きましょうよ」
と率先して散歩に付き添ってくれたんです。

カミさんが、1年の半分を娘の住んでいるアメリカで暮らしていた頃は、
“卒婚”だ“別居”だなんて騒がれたものだけど、そんなこと全くありません。

いまは夫婦一緒に暮らしているし、
何があっても仲良くふたりで生きていこうと話してますよ。
彼女はいつも冷静で、公平さを忘れないから頼りにしてる。

まぁ、体調が回復してからは、
散歩に誘っても「ひとりで行きなさい」ってピシャリと言われるけどね(笑)。



今回の病気を巡って、もうひとつ運命を感じたことがあります。 
実は、病気で倒れる前に、自分の声を録音し、
AI(人工知能)を使ってデジタル音声として再現する試みを進めていたんです。

もともとは「仕事が忙しすぎるから、自分の分身がほしいな」
と考えたのがきっかけ。

ちょうどAIを使った音声の合成技術が進化していたこともあって、
 “声”であれば、分身を作れるな、と。

そこで、事務所のスタッフと一緒に試行錯誤していた。
そうやって作り上げたAI音声を、故郷の茅ヶ崎市が活用してくれたんですね。

そして、今月5日からAIで再現した“加山雄三”のデジタル音声が、
 市役所や病院、商店街のアナウンスに使われることになりました。

もし、それぞれのアナウンス原稿を読むとなったら大変な仕事量だし、
まだ滑舌も本調子じゃないから、とても対応できなかった。
音声データを残しておいたからこそ、この企画が実現できたわけです。


★「第1号」がポリシー

実際に聴いてみても、
「へぇ~、こいつは凄いな」という感じだったよ。

何しろ、自分はひと言も喋ってないのに、
「5時30分になりましたら、速やかに退庁しましょう」
というセリフが、流暢な音声になって流れてくるんだから。

どんな内容の文章でも、自分の声で淀みなく読んでくれる。

茅ヶ崎は、駅前の商店街を「雄三通り」と名付けたり、
とにかく地域をあげて一生懸命に応援してくれています。
その心遣いが何よりもうれしいよね。

ネット上では、「こんな企画に税金を使うなんて」という声もあるようだけど、
それは勘違いで、そもそも、すべてこちらで作り上げたものを渡しているんです。
故郷に恩返しをしたいという純粋な気持ちが伝わるといいな。

実際に取り組んでみて感じたのは、
AIには、まだいろいろな可能性があるということだった。

それこそ、医療や介護の現場でも活用できるんじゃないかな。
俺の場合は、有難いことに声を取り戻しつつあるけれど、
病気で自由に喋れなくなる患者さんもいるはずです。

そんなとき、同じように声を録音しておけば、
AIを通じて、自分の声で意思疎通ができるかもしれない。

いずれにせよ、生前に声を録音して、
AIで再現する歌手なんて世界初だと思う。

やっぱり世の中の誰もやっていないことに挑戦するのが大好きなんだよ。
ハワイスタイルのサーフィンをしたのも、
日本では俺がはじめてだと思う。

まだ芸能界入りする前の高校時代に、
見よう見真似でサーフボードを自作して、海で遊んでいたら、
新聞に〈ハワイ式波乗り日本第1号〉と写真入りで報じられた。

何事につけても“第1号”を目指すのは、いまも変わらないポリシーだね。



最近はAIという言葉が独り歩きして、
人間の領域を脅かすんじゃないかと心配する声もあるでしょう。
でも、そんなことは杞憂でしかない。

何しろ、AIは“心配する”という感覚自体を理解できないんだから。
 不安になったり、やきもきしたり、悲しくなるのは人間だけ。

歌を作るにしても、大事なのは、そういった感情の機微に触れる表現なんだ。
それはAIには決してマネできない。

生まれながらにAIを超越した存在なんだから、
人間はもっと自信を持っていいんだよ。



★まだ“これから”がある

いまは“人生100年時代”だから、
少なくとも、あと10年は現役で頑張りたいと思います。

今回、小脳出血で倒れてみて、
健康についてはより一層気を配るようになったしね。

タバコは、52歳でキッパリやめている。
まだ存命だった親父から
「俺は禁煙できなかったのに、よくやめられたな」
と言われたことを思い出すよ。

酒も、還暦を過ぎた頃から、飲まなくなった。

この年齢で、脳の病気を患って、
それでも元気に仕事をしているのは、奇跡に近いと感じる。

でも、そのためには、自分の体調の良し悪しを、
きちんと把握しておかないといけない。

加えて、気持ちの在り様も大切だと思うな。
マイナス面ばかりを考えて、落ち込んでいたら、何も始まらない。

だからこそ、何が起きても物事をプラスに捉える。
たとえ深刻な事態に直面しても、
いまできることは何か、何をすべきかだけを真剣に突きつめる。


今回、小脳出血で倒れたショックは大きかったけれど、
それでも、自分の人生にとって、プラスにしたかった。

そのために、なぜ小脳出血で倒れなければならなかったのか、
自分の落ち度は、どこにあるのかを客観的に分析してみた。

そうするうちに死への恐怖感が薄れて、生きる活力が湧き起こってくるんだ。

リハビリにしても、決して諦めないことが一番大事。
やる気を奮い立たせて、少しでも可能性があるのなら、
絶対に治してやるという意気込みで頑張る。

結局、自分の健康を取り戻すには、自分が努力する以外にありません。
俺にしたってあと10年は現役で頑張ると決めている以上、
諦めている場合じゃないんです。

84歳になっても気持ちが一向に老け込まないのは、
事務所の若いスタッフに囲まれているせいもあるでしょうね。

うちのスタッフの平均年齢は30代で、
子どもどころか、孫に近いスタッフもいるくらい。

彼らからは、全く気を遣われないよ。
何しろ、敬老の精神ってものがないからね(笑)。
でも、それくらいがちょうどいいんですよ。

一緒に仕事をしていても、年齢を意識することはないし、
友達のような感覚で付き合っているから、
AIの合成音声や、若手ミュージシャンとのコラボレーションみたいに
柔軟な発想に触れることができる。

新曲も発表したし、体調も回復してきたから、
今後はコンサートを再開していきたいね。

実際にオファーも幾つか来ているけど、
まぁ、新型コロナの影響で、以前のようにはいきそうもない。

でも、そこで立ち止まってる場合ではないでしょう。
千人規模のコンサートが難しければ、500人限定で会場を手配したり、
ネット配信で新曲のプロモーションを考える必要もある。

いまは若いスタッフたちと次の一手を考えているところです。
面白くなるのはこれからだよ。

まぁ、この歳になっても“これから”があるってのは、
つくづく「幸せだなぁ」と感じるね。・・》


注)記事の原文に、あえて改行を多くした。 



今回、初出の週刊新潮に於いては、原題が、
「小脳出血から復帰 84歳の若大将『加山雄三』が明かす
『闘病生活』と『AI挑戦』」、
と題されたように、あますことなく御自身の病状、リハビリ、
そして音楽とAIに、
発露されて、私は多々教示されたりした。

そして《・・リハビリにしても、決して諦めないことが一番大事。
やる気を奮い立たせて、少しでも可能性があるのなら、
絶対に治してやるという意気込みで頑張る。

結局、自分の健康を取り戻すには、自分が努力する以外にありません。・・》、
こうしたプラス思考を具体的に実行していることには、
恐れ入りました、と私は呟いたりした。



こうした深情のある「加山雄三」さんは、タバコは52歳、
お酒も還暦の60歳で自制された、と私は学んだりした。

或いは一昨年4月、加山雄三さんは運転免許証を自主的に返納、
「趣味のテレビゲーム中に反射神経の衰えを感じ、
運転が不安になり・・」と発露されていた。


いつまでも若々しくスポーツマンのイメージがある「加山雄三」さんなりに、
底知れぬ努力と鍛錬、気づかい、先進性で、今日に至っていることを学んだりした・・。
コメント (2)
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