夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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お葬式を「元気なうちに」準備するための、3つの終活アクション、77歳の私は学び、多々教示させられて・・。

2022-02-05 15:58:14 | 喜寿の頃からの思い
先程、くらしとお金の経済メディアとして名高いサイトの【LIMO】を見ている中、
【 お葬式を「元気なうちに」準備するための、3つの終活アクション 】、
と題された見出しを見たりした。

こうした中、3年前の5月に、家内が亡くなることが多い大病して、
退院後の定期検査をしてきたが、未だに体調は万全でない状態となっている。



過ぎし3年前、家内が入院して、手術を受けた後、
私はもしかしたら家内はこの世を去ってしまう・・と心の片隅に思いながら、
心痛な思いで過ごしてきた・・。

やがて退院後、私たち夫婦は、一日を大切に過ごそう、とお互いに言い交したりしている。 


こうした中で、私たち夫婦は、終活のあらゆる想定できることを、
話し合ったりした・・。

たとえば延命治療はしない、希望する葬儀、墓地、
その後の『おひとりさま』の日常生活費、希望される生活状況など、
考えられる範囲を整理したりした。

そして私は、恥ずかしながら掃除、洗濯、料理などの家事に関しても初級であり、
家内より特訓を受けたりしている。

こうした体験を私たち夫婦は、実施してきたが、
今回の《・・3つの終活アクション・・》って、どのようなことですか、
と思いながら記事を読んだりした。

この記事は、
夢のかけはし(株)代表で、ファイナンシャル・プランナーの秋山千佳さんの寄稿文で、
【LIMO】に1月31日に配信され、
無断ながら、記事の殆どを転載させて頂く。



《・・アラフォー・アラフィフ世代になると、
親族や知人の親など、訃報に接することが増えます。

コロナ禍で、小規模で簡素なお葬式が主流になりつつありますが、
お悔やみをする機会があるたびに、
自分の親、そして自分自身の「そのとき」をイメージするようになるでしょう。

今回は、親子で考える終活(※編集部注)の1つとして「お葬式」にフォーカスしてお話しします。

 

☆「終活は、死の準備ではない」とは分かっているものの・・・

終活という言葉がすっかり定着したこんにち。

「終活=死の準備ではない」と心得つつも、どこか積極的にはなれない、
そんなモヤっと感を抱えている方も多いでしょう。

ここでは終活を、「親の思いを子に伝えるための活動」ないしは、
「自分の思いを、あとに残る人に伝える活動」と定義してみてください。

親子間であれば、親の側だけが、積極的に動くのではなく、
子どもの側にも、それをしっかり伝える時間が持てると理想的ですね。

年末年始・大型連休などの長期休暇をぜひ利用したいところですが、
長引くコロナ禍では、感染対策が先立ち、難しいこともあるでしょう。

離れて暮らす場合は、電話やメールなど、
日ごろのコミュニケーションを上手にとっていけるとよいですね。

次では、お葬式を「元気なうちに」準備するための終活アクションを、
3つに分けて具体的に見ていきます。



☆終活アクションその1:葬儀会社に相談してみる

ひとことで「お葬式」といっても、宗教・宗派による違いや、ライフスタイルや価値観の多様化により、
そのスタイルはまちまちです。

また最近は、大人数の参列を求めるのではなく、
少人数または家族だけといった小さなお葬式が人気を集めています。

また、ひと昔前は「互助会」で積み立てて準備する、
病院などから近くの葬儀会社を紹介してもらう、といった流れが一般的でしたが、
最近では、元気なうちから「自分でリサーチ」する人も珍しくありませんね。

葬祭業者間の競争も激化しています。
利用者のニーズを捉えた、小規模・シンプルな葬儀をうたうCMを
目にする機会も増えました。

信頼できる葬祭会社が見つかれば、葬儀のスタイルや予算について、
ざっくり親子で共有しておけると安心ですね。

☆終活アクションその2:自分の遺影を、自分で決めておく

「自分の遺影は、自分で決めたい」と考える人が
ちかごろ増えているようです。

葬祭業者のイベントとして、
プロカメラマンによる遺影の撮影会が開催されることもあります。

「明るい自然な表情」を遺影にしてもらうことで、
亡くなった後も自分らしさを大切にしたい。そんな気持ちの現れといえるでしょう。

残された家族が「残された写真の中から適当に選ぶ」という時代は
終わったのかもしれません。

これは!と思うお気に入りの写真があれば、家族に伝えておけるといいですね。


☆終活アクションその3:連絡先一覧を作っておく

「そのとき」は、突然訪れるものです。
たとえ闘病生活が長かったとしても・・・。

家族を亡くした家族は、しばらくの間、
悲しむ暇もないまま、役所の手続きや葬儀の準備などに追われるケースがほとんどでしょう。

ここで結構エネルギーを使うのが、親戚や知り合いへの連絡です。
誰に知らせてほしいのか、知らせる必要があるのか、
事前にリストにまとめておければ、家族の負担も多少は軽減されるはずです。

また、生前の交友関係によっては、
「この人には伝えないでほしい」といったケースもあるでしょう。

年賀状や暑中見舞いなどを送るついでに
「いざとなったときの連絡先一覧」を作っておけるとよいですね。



☆まとめにかえて

今回は「お葬式」にまつわる終活についてお話ししました。

3つの終活アクションは、
いずれも「元気なうちに」やっておきたいことであると同時に、
「元気なときだからこそ」前向きに取り組めることでもあるでしょう。(略)
・・》




今回、秋山千佳さんの寄稿文に導かれて、
《・・お葬式を「元気なうちに」準備するための、3つの終活アクション・・》、
77歳の私は、多々教示されたりした・・。


私たち夫婦は、無念ながら私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
一代限りの身となっている。

こうしたこともあり、私は家内には、俺が死んだ時は家族葬で、
和花と音楽に包まれて、出来うる限り質素にして貰いたい、
と定年退職の少し前の頃から、言ったりしている。

私は父親、祖父、次兄、母親、そして親戚の叔父、叔母、
或いは知人などの数多くの葬儀に参列してきた。

こうした中で、自宅で通夜、告別式、或いは寺院の斎場で通夜、告別式が執り行われ、
多くの会葬者を観たりしてきた・・。

私はサラリーマンを定年退職し、早や17年が過ぎた年金生活の身であり、
官公庁、民間会社で栄達された人とは、遥かに遠い平凡な人生を歩んできたりした。

こうした上、遠い親戚、知人、友人も高齢者の方が多く、わざわざ通夜、葬儀に参列して頂くより、
これまでの私の人生の歩みで、欠かすことのできない血は水よりも濃いと称せられる親族で、
ささやかに葬儀をしてもらいたい、と願っている。
            


こうした中で、家内はもとより、私の兄である夫妻、妹の夫妻、一番下の妹、兄の子供である甥のふたり、
そして家内の妹夫妻、そして家内の母が存命であったら加わって欲しい・・

このくらいの親族の一部の最小限のメンバーで
通夜、告別式を執り行って、家族葬の形式と念願している。

昨今、式場の内部が、自宅の居間のような形で、片側に御棺を置き、
広いテーブルで食事やお酒を飲食できる会場もあると知り、私は微笑んだりした。

通夜の日、御棺の周りは幼年期は農家の児として育ち、
日本風土の土に還るので和花を中核として、欧米の書物、映画、音楽も少し愛してきたので、洋花も添える。
この時、和花が高価だったならば、洋花を中心としても差し支えない。
            


大きめのテープルには、食事処から取り寄せた和食、洋食を食べて頂き、
煎茶、コーヒー、紅茶などを飲んだり、ウィスキー、ワイン、日本酒、ビールなど吞んで頂いたり、
私の生前のこぼれ話しをテーマに、談笑して頂く・・。

人は誰しも、故人の心の奥に秘めた心は解らないが、とりとめなく話して、
あの時は・・と笑って下されば充分である。

こうした中で、音楽が静かに流れれば、と念願したりしている。
選定する曲としては、今、瞬時に思い浮ぶ曲としては、
唱歌の『ふるさと』、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ 第8番 『悲愴』、
交響曲第9番の第三楽章、アルビノーニのアダージョ、ショパンの練習曲作品10-3 『別れの曲』・・
この5曲ぐらいは・・と思ったりしている。

翌日の告別式は、このメンバーで自宅の居間のような形の式場に集合し、お線香一本を上げてもらい、
この後は火葬場に行き、ふたたびこの式場で、
お好みの飲み物を吞みながら、食事をして談笑して頂いた後、散会する・・。


            

そして私の生家(実家)は曹洞宗なので、やはり生家(実家)の墓地のある寺院の方に読経して頂くが、
通夜、告別式の5分ぐらいの簡略なお経でよい、と思ったりしていたが、
これらを省略しても差し支えない。

このような葬儀は、私の生家にしても、親戚にしても、前例がなく、
もとより兄妹は大いに戸惑いを重ねる、と想像をする。

なぜ生家の墓地のある寺院の斎場で、通夜、告別式を行わないの、と予測されるが、
水戸黄門の印籠のように、故人の遺志である、と家内が明言し、了解を願いたいのである。

家内が私より先にあの世に旅立った時は、やはり家族葬で、
花につつまれるような形態で、行なってほしい、と私は確認したりしてきた・・。



今回の《・・3つの終活アクション・・》の中で、
私たちが未決なことは、「自分の遺影は、自分で決めたい」、ことである。

過ぎし2年前に、遺影の写真を私たち夫婦は話し合ったりして、
新コロナウィルスが終息したら、
写真屋さんで、記念写真のように撮ってもろおう・・と結論であったりした。

しかしながら写真屋さんは、人出の多い街の中にあり、
「三密(密集、密接、密閉)」を避ける国民の責務に違反するので、
遺影の写真・・未完成となっている。
コメント
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