夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ときにはシャンソンの名曲を聴き、過ぎし熱愛した時期を思い馳せて・・。

2023-08-23 13:18:44 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
過ぎし20日、図書館を出た後、余りの熱さで、
ある古びた喫茶店に入ったりした・・。


こうした中、アイスコーヒーを飲んでいた時、店内からシャンソンの名曲が聴こえ、
あれぇ・・ピアフの『水に流して』だ、
と私は心の中で呟(つぶや)いたりした・・。

まもなく私は、シャンソンを熱愛した時期を思い馳せたりした・・。





過ぎし東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の秋、
私は大学を中退し、映画・文学青年の真似事をし、明日が見えないような生活をしたが、
やがて4年が過ぎる頃に、はかなくも敗退した。

そして止(や)むえず何とかして民間会社に中途入社したい為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校のソフト科に、
1年間ばかり学んだりした。

やがて1970年(昭和45年)4月、この当時は音響・映像メーカーの大手のある民間会社に、
何とか中途入社が出来たのは、25歳の時だった。

まもなく音楽事業本部の中の大手レーベルが、
外資元の要請で、レコード会社として新設され、

私も移籍の辞令を受けて、音楽を直接に制作する部門でない管理畑で奮闘していた。

そして26歳を迎えた頃、それまでのシャンソンの知識としては、
越路吹雪さん、岸洋子さんぐらいは知っていた。

本場のシャンソンとしては、ダミアの『暗い日曜日』は、私の先代の人たちが夢中になったり、
ジュリエット・グレコとか、やはりエディット・ピアフに尽きる、
とかはあくまで知識としての範囲であった。



この当時、たまたまバルバラのアルバムの『私自身のためのシャンソン』のレコードで、
この中の『ナントに雨が降る』の歌を知り、
私の屈折の多い青春と私の父親を小学2年生に死去された想いが加味され、
瞬時に魅了されたりした。

そして、私はバルバラの魔力にとりつかれて、
アルバムを買い求めたりし、この当時12枚のアルバムから、盛んに聴いたりした。

この間、銀座の外れにシャンソンの殿堂として名高い『銀巴里』に勤務後に通ったりし、
日本のそれぞれシャンソン歌手が唄われるのを、聴き惚れたりした・・。

そして、この行き帰りに、ヤマハの銀座店に寄ったりして、
数多くのシャンソンを唄われる方たちのレコードを購入したりしていた・・。

数年過ぎると、私の自宅のレコード棚は、シャンソンのアルバムだけでも、
少なくとも100枚は超えていた。

やがて、バルバラ自身が『黒いワシ』の異色作品を携え、日本に来日した。
そして日比谷にある日生ホールで公演され、私は駆けつれて、鑑賞したりした・・。

いずれにしても、このバルバラの『ナントに雨が降る』が
シャンソンに傾倒する10年の始まりで、熱愛した時期もあったりした・・。





この間、私は銀座の一角にある『銀巴里』に定期便のように行き、
数多くのシャンソン歌手が近くで唄われるのを、
私はコーヒーを飲みながら、名曲の数々を聴いたりしていた。

そして、近くにあるカフェ・バー形式のような『蛙たち』にも行き、
私は濃いめ水割りのウィスキーを呑みながら、数多くのシャンソン歌手が唄われるのを、
聴き惚れ、心酔していた時期であった。

このした中で、フランスはもとより、日本の方の唄ったシャンソンのアルバムを購入し、
シャンソンに無我夢中の時期であった。
アルバムの中で、日本人の中では、特に金子由香里さんに熱中していた。

『時は過ぎていく』、『ミラボー橋』、『スカーフ』、『愛の砂漠』等の50数曲に、
まぎれなく時を忘れたくらいに熱愛し、聴いたりした・・。




こうした時に、東芝レコードから、戸川昌子さんの『失くした愛』と題されたアルバムを知り、
購入して聴いたのであるが、動顛した。

私は戸川昌子さんに関しては、推理分野を書く小説家であり、数作品は読んでいたぐらいであり、
以前に『銀巴里』で唄っていた、この程度しか知らない私であったが、
桁外れに上手いのである。

『失くした愛』と題されたアルバムの中に、B面の一曲目に『リリー・マルレーン』があるが、
この曲はもとより、『私はひとり片隅で』、『金曜日の晩に』、『暗い日曜日』、
『人の気も知らないで』、『ボンボヤージュ』等12曲であるが、
深く魅了されて、人生の姉貴・・、と敬意したりした。

こうして、『失くした愛』と題されたアルバムを少なくとも100回前後、
レコード・プレイヤーで聴いたりした・・。

そして私は、レコード会社の本社でコンピュータの専任者で管理畑の身であったが、
洋楽の編成者、責任者に、
『東芝(レコード)で・・発売された戸川昌子さんのアルバム・・凄いですよ・・
私はシャンソンが好きなので良く聴きますが・・桁外れに上手いです・・』
と他社のアーティストであったが絶賛し、友人にも話したりしていた。




私は35歳を過ぎた頃、他の分野の音楽に夢中になったが、
ほぼ10年間にシャンソンに熱中し、アルバムとして150枚ばかり残った時、
私にとってはピアフ、バルバラはもとより最上の神であるが、
日本語で唄われたシャンソンは、戸川昌子さんの『失くした愛』が傑作であり、
私はつたない観賞歴であるが、これ以上のアルバムは知らない。

齢を重ねた今、改めて振り返れば、これまでの私の人生に於いては、
シャンソンの限りなく深い100数10曲が
確かに心の片隅に残って折、心の宝物かしら、と微笑んだりしている。

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