天狗の鼻は高いに決まっています。しかし果たしてそうでしょうか? 鎌倉時代に描かれた絵巻『天狗草子』をみても同『是害房繪』でも、天狗はすべて双翼を背にもち、口ばしは鳥そのものです。また口先はワシやタカ、トビのごとく、鉤状です。ですから当時の天狗の鼻は、鳥同様に口ばし・嘴の根元に穴があいているだけのはずです。すなわち「天狗の鼻は低かった」
日本の天狗の姿なりイメージは古代から現代まで、どのように想像されたか? 天狗変遷史を振り返ってみます。
恒星・雷・流星状・天狗 飛鳥・奈良時代
恒星・雷・流星状・天狐 平安時代前半(飛鳥・奈良時代?)
鳥天狗 平安時代中期・鎌倉・室町(江戸以降)
鼻高天狗 室町以降現代まで
ざっとですが、だいたいこのように判断して間違いはないように思います。なお天狐のことや、鳥型や鼻高天狗の登場時期については、これから調べてみることにします。あと古代中国には『山海経』に記された「山猫天狗」もいます。時代や地域によって、天狗の祖先はさまざまに想像されたようですね。
これからは、烏カラス天狗ではなく「鳥天狗」<トリテング>、そして赤ら顔で鼻が高い仲間を「鼻高天狗」<ハナタカテング>と呼びます。カラスの口ばしはほぼ尖っています。ワタリガラス・ハシブトカラス・ハシボソカラス・ミヤマカラスなど、どれをみても鳥天狗ほどには嘴が曲がっていません。何よりその羽毛です。トリ天狗の羽は、トビに近い。カラスとはおおいに異なります。カラス天狗という呼称は、トリ型天狗にはそぐいません。
稲垣足穂「天狗考」(『稲垣足穂大全Ⅴ』現代思潮社1973年)を、現代語意訳でみてみましょう。
漢代の書にみえる天狗は別名「天狐」である。天狐は星の名であるから、「星が墜ちて獣となる」など言いだされ、その辺から翼嘴を備えたシナの雷相が生まれたのであろう。この雷相の上に、仏教の八部衆に属する迦楼羅および飛天夜叉が結合されて、いまから五、六百年前の坊様のあいだに日本天狗が誕生した。日本天狗は『保元物語』(註:成立時期不明)にはじめて登場するが、これは僧服鳥嘴のきわめて高貴な存在である。次に山伏姿の天狗がある。これは室町時代に入って、修験道の繁栄をきっかけにポストが与えられたので、やはりクチバシを持っていた。
ところが江戸期になって品威を失墜することになった。祭礼行列のガイドをつとめる猿田彦のイメージがくっつけられたためで、ここに大衆好みの猥雑無類の鼻高氏ができあがったわけである。
遮那王丸(牛若丸)が源氏の大将として都入りしたとき、鞍馬山では歓迎会が催された。大僧正ケ谷には幔幕が張り巡らされ、上座にひかえた義経公の前に、一山の大天狗小天狗が横列を敷いて座った。「掘りかた始め!」の号令の下に、めいめいが右肩に担いでいた短いシャベルを取って土をうがち、敬礼! の合図にその孔へ鼻を差し入れてお辞儀をしたとか。しかしこの必要はまったくなかったのである。なぜなら、みなはまだ烏天狗であって、鼻高天狗ではなかったのだから。
※この楽しい一文は、昭和44年初出「鼻高天狗はニセ天狗」からの抜粋引用です。
<2011年2月13日 南浦邦仁>