阪神淡路大震災のあと、原子力安全委員会は「原発設計審査指針」の見直しを開始した。審査指針は10以上あるが、そのひとつが前回にみた「耐震設計審査指針」である。大震災の11年後、2006年にやっと全面改定した。耐震分科会議事抄録から、決定までの流れを追ってみる。
1995年1月17日 阪神大震災が起き、高速道路や新幹線の高架が崩れた。あまりの破壊力に唖然とした関係の学者たちはその後、「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」(以下略、耐震指針または指針)の見直しを決定した。
しかし同年9月、「現在の指針で阪神大震災級の地震も想定できる内容になっているので、『指針を変更する必要はない』」という結論を出した。
1996年~2006年 原子力安全委が各原子力施設の耐震安全性に関する調査を行った。
2001年7月 新しい耐震指針をつくることがようやく決まり、原子力安全委員会の耐震分科会の第1回会議がはじまる。
同年10月 分科会第3回において、事務局が「津波は2次的影響」とみなした。地質学の衣笠善博氏(東京工業大学大学院総合理工学研究科教授)は「決して2次的な問題ではなくて、非常に重要な問題だ」と反発した。
同年12月分科会第4回 事務局が「2次的影響」を「地震随伴事象」と名称を変更した。地震学の大竹政和氏(東北大学教授)は、「地震随伴現象では比重が低すぎる。津波の問題は、必ず検討しなきゃいけない」と発言した。
2004年10月分科会第12回 電力会社は産業界でまとめた計算として「外部電力が喪失して冷却機能を失い、炉心損傷にいたる確率は10のマイナス6乗くらいである」と報告した。
2006年1月分科会第35回 衣笠善博氏は「非常用発電機がふたつとも起動しない率は、10マイナス8乗だったか10マイナス9乗」と発言。地震学の柴田碧氏(東京大学名誉教授)は「起動率は心配している」と発言した。
分科会第36回 事務局は「地震時に送電線は、発電所に非常用電源機を設置するので、起動しない確率は低く、特段問題はない。非常用の冷却系については、十分な配慮が払われているのではないか」と説明した。
2006年3月第40回分科会 地震随伴事象、すなわち津波についての議論が続いていることに、原子力安全委員会事務局長の片山正一郎氏は「中心的な議論を優先的にしていただいた方が、事務局としてはありがたい。地震随伴事象に対する考慮は大事なことだと思うが、耐震設計の観点から議論するのは、有益ではない。全体の指針をまとめるには、コストパフォーマンスが悪い。後にするか、やめるかしていただいた方がわれわれはありがたい。これ以上、続けてほしくない」と発言した。
これに対し、地震学の石橋克彦氏(神戸大学都市安全研究センター教授)は「暴論だ」と反発した。
分科会第41回 東電が「既設プラントは、耐震設計で基本的には十分な裕度を有するように設計している。新指針に照らして、直ちに耐震安全性が問題となるとは考えていない」と報告した。
2006年4月第42回分科会 水間英城(原子力安全委員会事務局審査指針課長)は「長期間の電源喪失の必要がないのは、送電線の復旧が期待できるとか、非常用交流電源設備の修復が期待できるからである。これで本当にいいのかどうかは、個別の事業者に対して求める範囲の外側の災害対策という領域で対応を求めるべきだ」と発言した。
石橋克彦氏は「大地震が襲えば、電気がとまることはかなり長時間続く場合もある。早急に修理がなされない可能性も高い。非常用発電機が立ち上がらない可能性もなきにしもあらずだ。長期間、外部電源を喪失して燃料が少なくなってきたとき、激しい揺れで備蓄燃料が漏れてしまうこともあり得る。地震でなければ、タンクローリーががんがん来ればいいわけだが、そういうものが来られない状況が大地震だ」と発言した。
柴田碧氏は「細かいことまで書かなくていいという議論があるが、念には念を入れて、書くべきだ。書いてなぜ悪いかが、よくわからない」と発言。
しかし地震随伴事象・津波へのそれ以上の言及はほとんどなく(筆者注:驚くべきことだ)、「施設の供用期間中に極めてまれではあるが発生する可能性があると想定することが適切な津波によって施設の安全機能が重大な影響を受けるおそれがないこと。」とする原案を基本的に了承した。その後、「よって」の部分を「よっても」と変更した。
2006年8月分科会48回 指針案をまとめた後に、島根原発周辺で活断層の見落としが発覚した。石橋克彦氏らが大幅な修正を求めたがほとんど認められなかった。石橋氏は「社会に対する責任が果たせない。この分科会の本性がよくわかった。日本の原子力安全行政がどういうものかも、よくわかった」と発言し、原子力安全委員会委員を辞任した。
2006年9月 新耐震指針を原子力安全委が決定した。
検証するには議事録全文を読むことが必要だと思います。しかしダイジェストを見ただけでも、同委員会事務局すなわち内閣府の官僚たちですが、彼らにも大きな責任があるのではないかと、思えて仕方がありません。
石橋克彦先生ですが、この連載<3・11 日本>第1回で引用しました。3月13日の朝刊各紙に寄稿文が載っています。共同配信文をダイジェストで再録します。
「福島第1原発は、原子力安全・保安院と原子力安全委員会が、最新の耐震設計指針に照らしても安全だと2009年に評価したばかりである。全国の原発で政府は地震を甘くみているのだが、原子力行政と、それを支える工学・地学専門家の責任は重大である。/日本国民は、地震列島の海岸線に54基もの原発を林立させている愚を今こそ悟るべきである。3基が建設中だが、いずれも地震の危険が高いところだから、直ちに中止すべきだ。運転中の全原子炉もいったん停止して、総点検する必要がある。」(石橋克彦 神戸大学名誉教授・元建設省建築研究所室長)
ところで、静岡県御前崎市に中部電力の浜岡原発があります。「世界中で、大陸プレート間地震の想定震源域真上に原発を建てているのは、浜岡原発だけ」とされる。福島第1の事故以前から、最も危険な原発ではないかとされていた。東海地震を心配して市民団体が運転差止めを求め、2003年から訴訟を起こした。
2007年10月26日、奇しくも「原子力の日」に、静岡地裁は原告に敗訴の判決を言い渡した。原告側の証人に立った石橋氏は、裁判所の判決に意見を述べた。「必ず起こる巨大地震の断層面の真上で原発を運転していること自体、根本的に異常で危険なのに、原発推進の国策に配慮した判決で全く不当だ。柏崎刈羽原発の被災以来、地震国日本の原発のあり方に注目している世界に対し、恥ずかしい。10年前に警告した『浜岡原発震災』を防ぐためには、4基とも止めるしかない。判決の間違いは自然が証明するだろうが、そのときは私たちが大変な目に遭っている恐れが強い。」
原告は東京高裁に控訴。石橋氏は高裁で証人として原告側尋問を受けた。2009年9月18日のことである。
石橋氏は阪神淡路大震災のあと、防災の立場から考えるべき現代の新たな震災として、原発による複合災害に思いいたったという。これを「原発震災」と表現する。地震がもとで惹き起こされる原発の重大事故により放出される大量の放射能が、震災の救援活動も原発事故の救助活動も不可能にすると警告した。
浜岡であれば、震災を免れる首都圏にも放射能は到達する。日本列島はもとより、地球規模の汚染を捲き散らさないとも限らない。チェルノブイリ事故による地球汚染は、たった1基の原発が招いた。地震は同時に複数基を襲う。…
高裁法廷で、石橋氏は最後に半藤一利著『昭和史』をひいて、「戦前のエリートたちがいかに間違った判断を繰り返してきたことか。起こって困ることは起こらないことにしてきた。今日の原発の状況と瓜ふたつである。原発震災はやっぱり起こってしまうのではないか。自然のサインを的確に受け止めて誤りを正さなければ。それができるのは、この法廷しかない」と締めくくった。法廷内にもかかわらず、感動の拍手が沸き起こった。
「日本人は抽象的観念論を非常に好み、具体的な理性的な方法論を全く検討しない。自分にとって望ましい目標をまず設定し、物事は自分の希望するように動くと考える。ソ連が満州に攻め込んでくることが目に見えていても、攻め込まれたくない、今来られたら困ると思うことが、だんだん「いや攻めて来ない」という思い込みになる。情勢をきちんと見れば、ソ連が国境に兵力を集中し、シベリア鉄道で兵力を送り込んでいるのに、攻めて来られると困るから来ないのだ、と自分の望ましい方へ、考えを持って行って動くのだ。」<半藤一利著『昭和史』より抜粋>
中部電力は、浜岡原発が高さ8mまでの津波にしか耐えられないとし、4mの防波壁(海面よりの高さは12m)をつくると発表。福島第1事故後の3月23日のことである。しかしこれで、大きな海進を防げるのであろうか。
石橋先生の証言は、1年半前のことである。
なお今回の参考図書ですが、議事録抄文は週刊「アエラ」4月18日号。浜岡原発訴訟は『浜岡原発震災を防ごう』内藤新吾ほか著 2010年10月刊 たんぽぽ舎発行。
<2011年4月24日>
1995年1月17日 阪神大震災が起き、高速道路や新幹線の高架が崩れた。あまりの破壊力に唖然とした関係の学者たちはその後、「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」(以下略、耐震指針または指針)の見直しを決定した。
しかし同年9月、「現在の指針で阪神大震災級の地震も想定できる内容になっているので、『指針を変更する必要はない』」という結論を出した。
1996年~2006年 原子力安全委が各原子力施設の耐震安全性に関する調査を行った。
2001年7月 新しい耐震指針をつくることがようやく決まり、原子力安全委員会の耐震分科会の第1回会議がはじまる。
同年10月 分科会第3回において、事務局が「津波は2次的影響」とみなした。地質学の衣笠善博氏(東京工業大学大学院総合理工学研究科教授)は「決して2次的な問題ではなくて、非常に重要な問題だ」と反発した。
同年12月分科会第4回 事務局が「2次的影響」を「地震随伴事象」と名称を変更した。地震学の大竹政和氏(東北大学教授)は、「地震随伴現象では比重が低すぎる。津波の問題は、必ず検討しなきゃいけない」と発言した。
2004年10月分科会第12回 電力会社は産業界でまとめた計算として「外部電力が喪失して冷却機能を失い、炉心損傷にいたる確率は10のマイナス6乗くらいである」と報告した。
2006年1月分科会第35回 衣笠善博氏は「非常用発電機がふたつとも起動しない率は、10マイナス8乗だったか10マイナス9乗」と発言。地震学の柴田碧氏(東京大学名誉教授)は「起動率は心配している」と発言した。
分科会第36回 事務局は「地震時に送電線は、発電所に非常用電源機を設置するので、起動しない確率は低く、特段問題はない。非常用の冷却系については、十分な配慮が払われているのではないか」と説明した。
2006年3月第40回分科会 地震随伴事象、すなわち津波についての議論が続いていることに、原子力安全委員会事務局長の片山正一郎氏は「中心的な議論を優先的にしていただいた方が、事務局としてはありがたい。地震随伴事象に対する考慮は大事なことだと思うが、耐震設計の観点から議論するのは、有益ではない。全体の指針をまとめるには、コストパフォーマンスが悪い。後にするか、やめるかしていただいた方がわれわれはありがたい。これ以上、続けてほしくない」と発言した。
これに対し、地震学の石橋克彦氏(神戸大学都市安全研究センター教授)は「暴論だ」と反発した。
分科会第41回 東電が「既設プラントは、耐震設計で基本的には十分な裕度を有するように設計している。新指針に照らして、直ちに耐震安全性が問題となるとは考えていない」と報告した。
2006年4月第42回分科会 水間英城(原子力安全委員会事務局審査指針課長)は「長期間の電源喪失の必要がないのは、送電線の復旧が期待できるとか、非常用交流電源設備の修復が期待できるからである。これで本当にいいのかどうかは、個別の事業者に対して求める範囲の外側の災害対策という領域で対応を求めるべきだ」と発言した。
石橋克彦氏は「大地震が襲えば、電気がとまることはかなり長時間続く場合もある。早急に修理がなされない可能性も高い。非常用発電機が立ち上がらない可能性もなきにしもあらずだ。長期間、外部電源を喪失して燃料が少なくなってきたとき、激しい揺れで備蓄燃料が漏れてしまうこともあり得る。地震でなければ、タンクローリーががんがん来ればいいわけだが、そういうものが来られない状況が大地震だ」と発言した。
柴田碧氏は「細かいことまで書かなくていいという議論があるが、念には念を入れて、書くべきだ。書いてなぜ悪いかが、よくわからない」と発言。
しかし地震随伴事象・津波へのそれ以上の言及はほとんどなく(筆者注:驚くべきことだ)、「施設の供用期間中に極めてまれではあるが発生する可能性があると想定することが適切な津波によって施設の安全機能が重大な影響を受けるおそれがないこと。」とする原案を基本的に了承した。その後、「よって」の部分を「よっても」と変更した。
2006年8月分科会48回 指針案をまとめた後に、島根原発周辺で活断層の見落としが発覚した。石橋克彦氏らが大幅な修正を求めたがほとんど認められなかった。石橋氏は「社会に対する責任が果たせない。この分科会の本性がよくわかった。日本の原子力安全行政がどういうものかも、よくわかった」と発言し、原子力安全委員会委員を辞任した。
2006年9月 新耐震指針を原子力安全委が決定した。
検証するには議事録全文を読むことが必要だと思います。しかしダイジェストを見ただけでも、同委員会事務局すなわち内閣府の官僚たちですが、彼らにも大きな責任があるのではないかと、思えて仕方がありません。
石橋克彦先生ですが、この連載<3・11 日本>第1回で引用しました。3月13日の朝刊各紙に寄稿文が載っています。共同配信文をダイジェストで再録します。
「福島第1原発は、原子力安全・保安院と原子力安全委員会が、最新の耐震設計指針に照らしても安全だと2009年に評価したばかりである。全国の原発で政府は地震を甘くみているのだが、原子力行政と、それを支える工学・地学専門家の責任は重大である。/日本国民は、地震列島の海岸線に54基もの原発を林立させている愚を今こそ悟るべきである。3基が建設中だが、いずれも地震の危険が高いところだから、直ちに中止すべきだ。運転中の全原子炉もいったん停止して、総点検する必要がある。」(石橋克彦 神戸大学名誉教授・元建設省建築研究所室長)
ところで、静岡県御前崎市に中部電力の浜岡原発があります。「世界中で、大陸プレート間地震の想定震源域真上に原発を建てているのは、浜岡原発だけ」とされる。福島第1の事故以前から、最も危険な原発ではないかとされていた。東海地震を心配して市民団体が運転差止めを求め、2003年から訴訟を起こした。
2007年10月26日、奇しくも「原子力の日」に、静岡地裁は原告に敗訴の判決を言い渡した。原告側の証人に立った石橋氏は、裁判所の判決に意見を述べた。「必ず起こる巨大地震の断層面の真上で原発を運転していること自体、根本的に異常で危険なのに、原発推進の国策に配慮した判決で全く不当だ。柏崎刈羽原発の被災以来、地震国日本の原発のあり方に注目している世界に対し、恥ずかしい。10年前に警告した『浜岡原発震災』を防ぐためには、4基とも止めるしかない。判決の間違いは自然が証明するだろうが、そのときは私たちが大変な目に遭っている恐れが強い。」
原告は東京高裁に控訴。石橋氏は高裁で証人として原告側尋問を受けた。2009年9月18日のことである。
石橋氏は阪神淡路大震災のあと、防災の立場から考えるべき現代の新たな震災として、原発による複合災害に思いいたったという。これを「原発震災」と表現する。地震がもとで惹き起こされる原発の重大事故により放出される大量の放射能が、震災の救援活動も原発事故の救助活動も不可能にすると警告した。
浜岡であれば、震災を免れる首都圏にも放射能は到達する。日本列島はもとより、地球規模の汚染を捲き散らさないとも限らない。チェルノブイリ事故による地球汚染は、たった1基の原発が招いた。地震は同時に複数基を襲う。…
高裁法廷で、石橋氏は最後に半藤一利著『昭和史』をひいて、「戦前のエリートたちがいかに間違った判断を繰り返してきたことか。起こって困ることは起こらないことにしてきた。今日の原発の状況と瓜ふたつである。原発震災はやっぱり起こってしまうのではないか。自然のサインを的確に受け止めて誤りを正さなければ。それができるのは、この法廷しかない」と締めくくった。法廷内にもかかわらず、感動の拍手が沸き起こった。
「日本人は抽象的観念論を非常に好み、具体的な理性的な方法論を全く検討しない。自分にとって望ましい目標をまず設定し、物事は自分の希望するように動くと考える。ソ連が満州に攻め込んでくることが目に見えていても、攻め込まれたくない、今来られたら困ると思うことが、だんだん「いや攻めて来ない」という思い込みになる。情勢をきちんと見れば、ソ連が国境に兵力を集中し、シベリア鉄道で兵力を送り込んでいるのに、攻めて来られると困るから来ないのだ、と自分の望ましい方へ、考えを持って行って動くのだ。」<半藤一利著『昭和史』より抜粋>
中部電力は、浜岡原発が高さ8mまでの津波にしか耐えられないとし、4mの防波壁(海面よりの高さは12m)をつくると発表。福島第1事故後の3月23日のことである。しかしこれで、大きな海進を防げるのであろうか。
石橋先生の証言は、1年半前のことである。
なお今回の参考図書ですが、議事録抄文は週刊「アエラ」4月18日号。浜岡原発訴訟は『浜岡原発震災を防ごう』内藤新吾ほか著 2010年10月刊 たんぽぽ舎発行。
<2011年4月24日>