海霊や霊魚について後藤明は「言葉を話すという人間的特性を付与し、水を司る霊的存在と考える思考は東南アジアや南太平洋地域では一般的である」。オーストロネシア民族を中心に海霊的な観念が発達し、その流れが日本の南島にも及び、さらにもっと深いところで、日本各地の「物言う魚」の観念と関係しているのではないかと、後藤は著書『「物言う魚」たち 鰻・蛇の南島神話』に記している。
しかしすでにみたように、世界各地の神話伝説を読み解くと、洪水や津波や海進を予告し、特定の人物の生命を助ける霊魚は、メソポタミアにも古代中国、そして古代インドにもあきらかに存在した。数千年あるいは一万年ほどの昔から、人類は海神の眷族や遣いとして、物言う霊魚を信じてきた。この深い信仰を滅ぼしたのは、ひとつには人類の文明文化の発展、すなわち合理的思考法による迷信の放棄ではなかろうか。そしてもうひとつは、一神教のキリスト教などが邪教である<魚神>を捨てたことによるのではないか。ギルガメシュの魚神エアと、ノアの神ヤハヴェの対比は、その真理を語っているように思える。シュメールでも、ギルガメシュ叙事詩でも、大洪水のなか箱舟で助かったのは半魚神エアの警告のおかげであった。この神話は後の旧約聖書「ノアの方舟」の原型である。
またインドでは、人類の祖マヌが魚神ガーシャの予告で箱舟をつくり、洪水が起きたときには魚の角にロープをかけ、ヒマラヤの山まで運ばれた。これもメソポタミアの洪水神話に非常によく似ている。
古代中国では夏王朝をひらいた禹。中国初代の王である彼は、黄河の氾濫を防ぐ治水にはじめて成功した。その姿は半人半魚で描かれる。また大水害を逃れた女媧は、ヒョウタンとされる箱舟で生きのびた。
ところで、柳田が注目した『宮古島舊史』が書かれたのは寛延元年、西暦1748年である。「先島諸島大津波」(1771年)はその前に襲来したと、わたしは思いこんでいた。ところが順序は逆だった。驚いたことに、巨大な津波の23年前にこの本は記されている。津波来襲は、本が書かれた後だった。
おそらく、宮古・八重山列島、さらには魚釣島などの尖閣諸島にも、過去に何度も大津波は襲来したのだろう。また南太平洋、東南アジア沿岸部を中心に、世界に広がる類似伝説や昔話から、わたしたちの集合的無意識に刻まれた「洪水・津波神話」のことを考えざるを得ない。
そして中近東の有名な神話「ノアの方舟」が最たる例のひとつである。神の言うとてつもない話を信じる者だけが、生命を救われ、大いなる幸運を得る。神の声を聞くことができる人間は、ごくまれのようだ。箱舟の主ノア、そして伊良部島の幼な児とその母、若狭の比丘尼、馬鹿なハンス、古代インドのマヌ、魚神エアに従ったギルガメシュも、みな希少なそのひとりであったようだ。
1万数千年前のこと、氷河期が終わり海面は最大150mほども上昇したという。霊魚と洪水、津波や海進の神話は、元来は人類の古い記憶の底辺から誕生したのであろうとわたしは信じている。集合的無意識と化した海進だが、ほぼ1万2千年前に始まり6千年ほど前にやっと収まった。海洋の極端な増水である海進は、津波や洪水と違って押し寄せて来た大量の水がなかなか引いてはくれない。巨大水害は人類の恐怖体験である。
地球の北方では高さ3千mほどの氷床が溶け、その重みから解放された北の大地は大きく隆起したという。一方、大洋は増加した海水の重量のために大きく陥没したであろう。大地は激しく揺れ動き、地震・洪水・津波そして海進と火山の噴火が続く。地球規模での大動乱の時代であったであろう。日本列島の祖先たちも、縄文時代人が体験した大自然の激動であった。<賀正 2015年1月4日 南浦邦仁>