蛸山が所属しているのはウイルス第一部の先端医療ウイルス科である。研究所全体の所長の任に加え、専門分野の科長を兼務するという現状にあった。身分は固く、国家公務員指定職の厚生労働技官だった。海老尾も身分は技官で、副科長に任じられていた。さすがに蛸山のコバンザメでは副所長という訳にはいかず、細菌第一部の宇津保(うつたもつ)が任じられていた。
「どうなんですかね…?」
この日も海老尾は主語、目的語を省略して朴訥(ぼくとつ)に訊(たず)ねた。
「なにがっ!?」
蛸山は、またか…という迷惑顔で電子顕微鏡の操作を止め、海老尾の顔を訝(いぶか)しげに見た。
「アレですよっ!」
「ったくっ! アレでは分からんじゃないかっ! 君は、ほんとに…」
呆れ果てた蛸山には、続く言葉が浮かばなかった。
「すみません。治験中のモレヌグッピーです…」
「モレヌグッピーがどうかしたのかねっ?」
「どうもしやしませんが、第二相から全然、進まないじゃないですかっ! もう、半年ですよっ!」
「私に言ったって仕方ないじゃないかっ! そういうことは厚生労働省に呟(つぶや)いてくれっ!」
「SNSですか?」
「ああ…。むろん、匿名(とくめい)で、だよ」
「匿名で、ですか…。ソレ、やってみます…」
「治験が長引き、承認が遅れるってのは、お上(かみ)だって分かってんだ。薬剤の安全性とかなんとか言ってな…」
「遅れれば当然、ウイルスが笑いますよね」
「ああ、笑う笑う。腹を抱えて大笑いだよ、君っ!」
蛸山は急に怒り出した。
続