思えるのは先々の心配ごとばかりである。世界で一日、数千人規模の死者が出る事態は続いている。
『果たして間に合うか…』
蛸山と海老尾が生み出した最低限の薬効を示す薬剤が人々に出回るまでの心配である。海老尾は洗顔を済ませ、顔をタオルで拭(ふ)きながら深い溜め息を一つ吐(つ)いた。
政府によって戒厳令が出された都心の街路には人っ子一人、見当たらなかった。テレビ画面に映し出されるのは、テレビ局が飛ばした取材用のドローン映像だった。搭載されたテレビカメラが映し出す荒れ果てた街の光景である。ゴミが飛び、カラスが舞っていた。
「酷(ひど)いもんだっ!」
買い溜めた冷蔵庫の食糧で、取り合えずは凌ぐしかない。さて…明日は勤めに出られるのか? という素朴な疑問が海老尾の脳裏に浮かんだ。政府が発した緊急事態宣言は何度も経験してはいたが、戒厳令など恐らく第二次大戦前の世界を知る者しか知らないはずだった。電話は通じるか…と、海老尾は次に思った。ミルクを飲み干しながら携帯を手にすると、蛸山にまず、電話した。
「所長ですか? 海老尾です。明日は通勤できるんでしょうか?」
『そんなことは私にも分からんよ。戒厳令は緊急事態宣言と違う国の異常事態対策だからダメだろう…。当分、誰もが動けんのじゃないか?』
「やはり、そうですか…」
『ああ…。私にも、はっきりしたことは分からんさ。今、総務の波崎君に電話しようと思っていたところだよ』
「波崎さんですか? 彼ならザワザワと潮騒のように知っていそうですね」
『ああ…』
二人は総務部長の波崎を当てにした。
続