『私はレンチと申します。実は、カクカクシカジカなんですよ』
『ほう! レンさんはカクカクシカジカで悩まれていたのですか?』
言っておくが、人とは違いウイルスは以心伝心なのである。^^
『と言われますと、何かよい手立てが?』
『それは簡単なことです。こう見えましても私、昔はベクター[細胞に遺伝物質を送達する手段]では顔が利く、かなりの顔だったんです。自分で言うのもなんなんですが…。分かりましたっ! それじゃ悪玉ウイルス情報を、それとなく調べさせるよう手配致しましょう』
『そんなことが出来るんですかっ!?』
『ええ、私にとっては大して難しいことではありません』
『そうなんですか? そうだとしたら有難いことです。是非、お願い致しますっ!』
レンちゃんはその老ウイルスに懇願した。
『確かに、お引き受けを致しました。で、いつまでに?』
『伝えねばならない人がおりますので、出来れば早い方が…』
『ヒト? …ヒトとは、ホモ・サピエンスの人ですか?』
『はい、その人です…』
『私達は大宇宙である人の体内で生存する小さなウイルスに過ぎないのですが…』
『そうです。その大宇宙である人が私達の微細なウイルスによって死滅させられようとしているのです』
『とても信じられません…』
『あなたには確かに信じられないでしょうが、これは本当の話なのです』
『分かりました。では二週間ばかり頂戴いたしましょう。場所はココ、時間は"#$ということで…』
ウイルス間の時間は人の時間とは異質なのである。^^
『はい…』
話は、割合簡単に纏(まと)まった。
続
その頃、夢の中のレンちゃんは、秘密諜報員の気分でウイルス仲間から情報を聴取(ちょうしゅ)していた。といっても、それは極秘裏で、極悪変異ウイルスに見つからないように、という制限付きの行動だった。
『いやぁ~最近は、この辺りじゃ見かけませんねぇ。まあ、見かけりゃ私なんか、すぐ逃げちまいますがね…』
『と、いうと?』
『だって、そうじゃありませんか。見つかれば、私らも悪いウイルスに変異させられちまいますからねっ!』
『なるほど…。それほど極悪ってことだね』
『ええ、極悪ってものじゃありませんよっ! 私ら良性ウイルスも従わなくっちゃ~ならなくなります。そしてそのうち、悪性に変異させられちまいます』
『そうなんだ…』
『そうなんだ・・なんて呑気(のんき)に言っておられるが、アンタも注意した方がいいよっ!』
レンちゃんがウイルスと話していると、また別のウイルスが近づいてきて茶々を淹(い)れた。
『はあ、十分に心します…』
秘密諜報員ではなく、まるで、ただの通りすがりのウイルスのようにレンちゃんは近づいてきたウイルスに低姿勢で返した。
二匹のウイルスが去ると、レンちゃんは静かに停止し、腕組みするように体を回転させた。ウイルスだから腕はない。^^
『さて、困ったな。なにか探れるいい方法はないものか。これじゃ、海老尾さんに報告できないじゃないか…』
そのとき、老いたウイルスがレンちゃんの傍(そば)をノッソリと微動しながら通りかかった。
『どうされました、そのように身体を回されて…』
『いえ、なに…。少し考えごとをしていただけです』
『さようでしたか。時間はあります。よかったら、私にお話されませんか?』
『あなたに?』
『ええ、私に…』
こんなお年寄りに相談しても…とレンちゃんは一端、思ったが、手がなく[ウイルスには手がない⇔手段がない・・をかけております^^]回転していても…と思えたから、とにかく話すことにした。
続
「神仏じゃなく、僕はただの人だからな…」
『そのお話はいいとして、問題は悪いヤツに付かず離れず、相手の弱点を見つけられるかどうかなんです』
「ひと芝居、打つということだね?」
『ええ。上手(うま)くいくかどうかは別として、とにかくやってみましょう』
「ああ、なんとか宜しく頼むよ」
『分かりました。僕が夢に現れなくなったら、失敗したとお思い下さい』
「縁起でもない…」
『いえ、そういう場合も当然ありますから…』
「うん、分かった…。線香の一本も供(そな)えるよ」
『線香を供えてもらうお墓がありません。完全に消滅してしまう訳ですから…』
「いやだなぁ、冗談だよ、冗談っ!」
『僕はウイルスですから、冗談は分かりません』
「そういうものなんだ…」
『はい、僕はそういう存在なんです』
「で、どれくらい、かかりそうだい?」
『そうですね…。まず、ひと月ふた月は最低でもかかるとお思い下さい』
「ミッションインポッシブルだね…」
「なんですか? そのミッションインポッシブルってのは?」
「まあ、いいじゃないか。相当、難しい・・ってことだよ」
『確かに…』
そこで夢は途絶え、海老尾はハッ! と目覚めた。置時計が深夜の三時過ぎを指していた。
続
「そうか…。対策があるんなら、その辺を詳しく訊(き)きたいんだ」
『もちろん、教えますよ。教えますが、ただ、話して分かってもらえるかどうかは疑問なんですが…』
レンちゃんは海老尾を窺(うかが)った。
「馬鹿にしちゃいけない。これでも研究所では所長の片腕と、もっぱら評判の所員なんだぜ」
海老尾は自慢たらしく嘯(うそぶ)いたが、その実、ちっとも評判にならない研究所員だったのである。海老尾としては他人による評価を、年相応につけてもらいたかったということである。
『そうですか。それじゃ分かりやすいようにお教えしましょう。以前お話したと思うんですが、僕の仲間にもいろいろいて、いいのから悪いのまでいる訳です』
「ああ、そうだったね。それで?」
海老尾は催促がましく訊(たず)ねた。
『言わば、幕末の竜馬のような存在、それが僕なんです』
「幕末の竜馬? ああ、坂本竜馬か。偉く歴史的じゃないか」
『ははは…飽くまでもこれは僕自身の趣味的な嗜好(しこう)性なんです』
「歴史的嗜好性とは大きく出たね」
『というか、これは海老尾さん、あなたも同じなんじゃ?』
「ああ、まあそうだが…」
『夢の中ですから当然ですよね』
「そりゃそうだ…」
夢の何だから、当然、海老尾の意識の中の話・・という意味である。
『で、僕も竜馬のように悪いヤツに襲われる危険性がある訳です』
「僕の夢だぜ。それはないだろ?」
『いえ、あるんです。あなた自身知らない、意識の中の悪い存在を…』
レンちゃんは断言した。
続
「なんか疲れたな…今日はこれで寝るとするかっ!」
書類の整理入力を済ませ、海老尾はパソコンをシャット・ダウンした。淹(い)れたノンシュガー・コーヒーを半(なか)ば飲み干しながら、海老尾はレンちゃんを、ふと思った。薬効の話と変異ウイルスに対する対策が何かないかを聞き出すためである。ベッドに身を沈めると、疲れからか急に睡魔に襲われた海老尾は、深い眠りへと誘(いざな)われていった。
『海老尾さん、海老尾さんっ!!』
海老尾は夢の中でレンちゃんに叩き起こされていた。叩き起こされていた・・といっても、バシッ! バシッ! と叩かれた訳ではなく、軽く肩を突(つつ)かれたと表現した方がいいだろう。まあ、どちらにしても夢の中だから、感覚はない訳だが…。^^
「おお、レンちゃんか…。ウトウトしちまったか。さあ、寝るとするかっ! いや、待てよっ! 僕はもう寝てるんだったな…」
『そうですよっ! これは夢の中なんですから…』
「そうそう! そうだった…」
『ところで、何かお訊(き)きしたいということでしたが…』
「よく知ってるな」
『そりゃ、そうですよ。僕はあなたの潜在意識の中で暮らしてるんですから…』
「ああ、そうだった。夢の中だからね…」
「そうですよ。で、何でした?」
レンちゃんはストレートに訊(たず)ねた。
「また、患者が出てね…」
『ああ、らしいですね。僕の仲間の新顔が出てきたようです。僕に言わせりゃチョイ悪ですがね…』
「というと、変異ウイルスへの対策はあるということかい?」
『ええ、そりゃ勿論(もちろん)ありますよっ!』
レンちゃんは、はっきりと断言した。
続
「今、何か言った?」
「いえ…まあ、いいです」
「何だい? 気になるじゃないか」
「私らが考えても、詮無(せんな)いことですから…」
「それは、そうだな…」
蛸山は海老尾が言った内容が分からないまま同調した。蛸山と海老尾のウイルス話は、それで立ち消えとなった。
モレア効果は海老尾が口を滑(すべ)らせたように半年で瓦解(がかい)した。製薬三社が発売したモレアの新薬が効かず、服用した新たなウイルス感染者が発生したのである。その詳細を示せば、製薬三社はモレアを素に含有量の違う新薬をそれぞれ製造販売したのだが、それらを服用した患者全てが新たな変異ウイルスに感染したのだった。ウイルスも生存をかけて人間と戦っていたのである。
「やはりダメだったか…」
海老尾は夢に出現したレンちゃんに相談してみようと思った。
正月気分が瞬く間に去り、厳冬の二月が巡ろうとしていた。そうこうした、ある土曜の深夜、雪起こしの冷たい風が虎落笛(もがりぶえ)を強め吹いていた。そして風がピタリと吹き止むと、それまで降っていなかった雪が、俄(にわ)かに舞い始めたのである。
「雪か…」
櫓炬燵(やぐらこたつ)でウツラウツラしていた海老尾が、目覚めて窓サッシを見遣り、ひと言(こと)呟(つぶや)いた。
続
「モレアの開発大手は三社でしたね?」
「らしいね…」
「『お代官さまぁ~』ですか?」
「ははは…私にはよく分からんが、まあ、そんなこともあるんだろう…」
「波崎さんはその手の話をねよくご存じでしょうね?」
「ははは…確かに。波崎君は事務屋だからなっ!」
「そういや、今年の予算取りは鳴かず飛ばずだったようで愚痴っておられましたよ」
「そうか…。総務部長ともなると、いろいろ大変なんだな」
「私らは研究していればいい訳ですが…」
「とはいえ、実績を挙げないと、異動がきついだろ?」
蛸山は、暗に研究所内の異動を揶揄(やゆ)した。
「はあ…」
「モレアの次を目指さんと…」
「モレアの次ですか?」
「ああ…。おそらくウイルスは次の一手を打ってくるだろう」
「問題は、ソコですよねっ? 究極のウイルス治療薬になり得るか、あるいは一過性で終わるのか…」
「まあ、そういうところだ」
「一過性ならノーベル賞話も立ち消えですね?」
口を滑らせた瞬間、蛸山はしまった! と後悔した。案の定、蛸山のテンションは、ふたたび降下した。
続
その後、製薬会社各社はモレアを元とした変異ウイルス治療薬を各種販売するに至った。そうなれば、効用の違いで各社間の販売数も変化を見せる。売れ筋がいい製薬会社は、したり顔で二ヤけるが、売れ筋の悪い製薬会社は負けまいと、さらに新薬を販売するに至る。産業スパイも暗躍する激しい競合が始まろうとしていた。
国立微生物感染症化学研究所である。
「所長、偉いことになってるようですね…」
「ああ…なってるってもんじゃない。アレはすでに企業戦争だよ、君」
「企業戦争は少し言い過ぎなんじゃ?」
「いやいや、辛辣(しんらつ)な企業戦争だよ、海老尾君」
「と、言いますと?」
「だって君、考えても見なさいよ。患者のことなど忘れて、新薬開発のための産業スパイが暗躍してるんだよ」
「産業スパイですか…。ミッション・インポッシブルですね?」
「ああ、現実の話だよ」
「困ったものです…」
「モレアを完成したのが良かったのか悪かったのか…」
「そりゃ、いいに決まってるじゃないですか。多くの患者が緩快するんですから…」
「ああ、まあ、それはそうだが…」
「それより所長、モレア開発がノーベル賞候補に上がってるって噂(うわさ)じゃありませんかっ!」
「ああ、らしいな、困ったことに…。君はどうか知らないが、私はそういう晴れがましいものは好かないんだよ、海老尾君」
蛸山はハイテンションから一気にローテンションに気分を落とし、顔を曇らせた。
「そうですか…。今日は、いい陽気ですねっ!」
海老尾は、それ以上話せば所長のテンションを一層落とす危険性があると判断し、話題を変えた。
「ああ、もうすっかり春だな…」
話題が変わり、蛸山のテンションは少し回復した。
続
国産の新治療薬、モレアの治験承認が下されたのは、それから一年後だった。蛸山や海老尾が待ちにも待った国家の承認が下されたのである。さてそうなれば、問題は製薬会社による一日も早い工場生産と一般社会への流通である。多くの患者に対して治療薬として社会に出回らなけれぱ、承認されたからといって何の意味もない訳だ。
「所長、どうなんでしょう?」
「何がっ!?」
蛸山は、また主語省略か…という目で海老尾を見た。
「製薬会社ですよっ!」
「波崎さんの話だと、二三の会社が始めるそうだ…」
「成分は同じでも製品名が違うんでしょうね」
「そりゃ当然だよ。価格も違や、その効力も違うだろうな」
「一番早く、製造承認が下りるか・・が、製薬会社の勝負って訳ですね」
「そりゃそうだよ。厚労族の議員さん達に、揉み手で接待するんだろうな、たぶん…」
「料亭なんかで、ですか?」
「ああ…」
「『お代官さまぁ~一つ、宜(よろ)しく…。分かっておるわっ! …んっ!? そちも、なかなかの悪(わる)よのう~。そう言われるお代官様も…。フフフ…』ですか?」
「まあ、そんな悪い話はないだろうが、そんなとこだろうな」
「時代は変われど、お役人は困ったものです…」
「利権が見え隠れするからね…」
「この話、続くとすれば、製薬会社間の攻防話になるんでしょうね?」
「ああ、たぶんな。ははは…筆者次第だが」
ふたたび二人は[50]話を執筆中の筆者を窺(うかが)うように、ピントの合わない辺(あた)りの空間を見回した。
続
※ [49]話でも述べましたが、筆者の私にも続けられるかどうかは分かりません。^^
「それはそうとして、この話、五十話以降も続くんだろうか? 君、どう思う?」
「そんなこと、書かれてる筆者にしか分かりませんよ。訊(たず)ねてみりゃいかがです?」
二人は[49]話を執筆中の筆者に窺(うかが)うように、ピントの合わない辺(あた)りの空間を見回した。
「訊(き)いても、詮無(せんな)いことだが…」
「筆者にも続くかどうか分からないんじゃないですか?」
「ははは…まさしくこの話、成るように成る・・だな」
このとき海老尾は、ふと、夢に出てくるレンちゃんを思い浮かべた。そして、レンちゃんに訊いてみよう…と思った。
「冗談はこれくらいにして、第三相が承認されれば、モレアは製薬会社ですぐ製造が開始されるんでしょうか?」
「そこまでは分からん。私はただの研究者だからな。君だってそうだろ?」
「ええ、まあ…」
「総務部長の波崎君なら、その辺の事情は詳しいんじゃないか?」
「波崎さんですか…。研究所予算が増額されず、すっかり落ち込んでおられましたからねぇ~」
「そんなに?」
「ええ、かなり…。この前、食堂でバッタリ会ったんですが、カレーライスのスプーンを反対に持って食べておられましたから…」
「ははは…。カレーライスのスプーンを反対に? そりゃ、食べにくいだろっ!?」
「途中で気づかれたのか、すぐ持ち変えられましたけどね…」
「かなり参ってるんだな…」
「と、思います」
「よしっ! 今度で会ったとき、モレアの進捗状況もかねてそれとなく慰めておこう」
「ええ、是非そうして下さい。増額にならなかったのは、なにも波崎さんの所為(せい)じゃありませんからね」
「ああ。今年度より減額された訳じゃないんだから」
「ええ…」
ワクチン研究にかかわる研究所予算が減額されなかっただけでも、よしとしなければならない…と、二人は思うでなく思った。
続
※ 筆者の私にも分かりません。^^