(変化していく自分を楽しむ)
鬱の時代を生きていて、「自分はまったく駄目なのだ」と言う人に対して、「そうでしょうか。それでは、赤ちゃんのときと比べて、あなたは、いま、駄目になっていますか」と訊くと、そんなことはないのです。
現在の自分は、赤ちゃんのときと比べて、総合的には優れているはずです。体力も体格も優れています。知識も見識も経験もあります。人間関係についても、おそらく、赤ちゃんのころよりは格段に恵まれているでしょう。赤ちゃんのころには、お金を持っていなかったでしょうが、いまは、お金を持っているでしょう。家やマンション、アパートを、自分の名義で借りられるかもしれません。
そのように、現在の自分は、赤ちゃんのときとは、ずいぶん違います。幼稚園児のときと比べても、小学生のときと比べても、中学生のときと比べても違います。昔の自分と比べたならば、やはり、さまざまな面で進んでいるのです。
自分を他の人と比較すると、成長の角度が違うので、同じようにはいきませんが、昔の自分と比べたならば、さまざまな面で進んでいる感じがするはずです。
能力的なもので言うと、受験勉強をする能力は二十歳前後がピークでしょう。これは、三十歳を過ぎると、だんだん落ちてきます。年を取ってくると、記憶力や、反復訓練で鍛えた能力自体は、やはり、だんだん衰えていきます。知識についても、新しい知識をどんどん入れていくと、古いものは、しだいに薄れていきます。もちろん、体力も落ちてきます。
ただ、年を取ると、経験は増えてきます。経験がたまってくると、若いころであれば解くのに何カ月もかかったような課題に対して、ほんの一瞬で、「これは、こうすれば解ける」と分かることがあります。昔は半年もかかってウンウンと言いながら解いたような課題に対して、結論を知っているため、「こうすれば解ける」と一瞬で言えるのです。その点だけを取ってみると、知能は、何百倍、あるいは何千倍にもなっています。これは経験の力です。
年を取れば、知識はたまってきますが、忘れていくものも、当然、出てきます。体力は、当然、緩やかに落ちてきます。しかし、経験がたまってくるのです。一定の年齢を超えると、この経験の部分は他の人には追い抜けません。逆転できないものが出てくるわけです。
そのようなことがあって、人生には、いろいろな楽しみがあります。一つのものが衰えていっても、別のものがよくなっていく面があるのです。
年を取っていくと、確かに、生物的なエネルギーは低下してきます。
たとえば、テレビ番組で、歌手や女優など、きれいどころと言われる人が出ているのを見ても、私は、ほんとうに何も感じないのです。不思議でしかたがないのですが、色気も何も感じません。これは、そういう人と私との年齢が離れてきたからなのだろうと思います。
若い人にとっては、二十歳ぐらいの歌手などは、おそらく、とてもきれいに見え、すごくよいと感じられるのでしょう。見ただけで、頭のてっぺんから声が出たり、涙がほとばしり出たりするほど、感激するのでしょう。しかし、私は、そういう人たちが歌っているのを見ても、それほどよいとは感じないのです。
また、中学生ぐらいの十代の歌手が群れて歌っているのを見ても、私には“メダカの学校”にしか見えません。これはこれで一つの能力が失われたのだと自分でも思います。「よい」と言われても、「子供がスカートをはいているだけではないか」というぐらいにしか見えないのです。
ところが、同年代の人には、違うように見えるのでしょう。それは、ある意味で喜びであり、ある意味で苦しみでしょう。そういう歌手などのお性根がどの程度かということは、私には、見ればすぐ分かるのですが、十代の人には、それが分からず、女神のように見えるのでしょう。
そのように、失われるものはあるのですが、また別なものが目覚め、物事が違うように見えてきます。人間は生き物として常に変化しながら生きつづけているのです。
「きのうの自分から、きょうの自分へ。きょうの自分から、あしたの自分へ」と変わっていくことは、うれしいものです。失われるものだけを見ると、さみしいのですが、得るものも必ずあります。人間は別なものにどんどん変わっていくのです。変化していく自分というものを楽しむことが大事です。
「結婚式の前に、あまりのプレッシャーで逃げ出す人もいる」ということを前に述べましたが、そのように、プレッシャーが強いと、人は“狂う”ことがあります。そういう人に対するアドバイスは、「あなたは結婚を二回するつもりでいればよいのです。一回目で練習すれば、二回目でうまくいくこともあります。三回でもよいのです」ということです。そう言われれば、気が楽になって、逃げ出さずに済むわけです。
あるいは、課長になり、プレッシャーで苦しんでいる人もいます。
しかし、「ある大手の商社で、投機性のある、ゴムの輸出入をする部署の課長が、相場で失敗して、平社員に降格されたが、その人は、その後、その会社の社長になった」という事例もあります。
そのようなことだってあるのです。「昇格だけだと、人生は半端なものになってしまう。降格も経験したほうが、人間が練れてよい」という面もあります。人は、人生において、上りも下がりも経験したほうが、いろいろなものが見えるようになってくるのです。
――この章は終わりです。
---owari---
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