先週の祝日、11月23日の「勤労感謝の日」について、お話します。
この祝日について、新聞やテレビで祝日の意義を報じられることはなく、民間や自治体などで行われるイベントもほんのわずかでした。
「勤労感謝の日は一体何を祝う日なの?」と子供に質問されて、祝日の意味がさっぱり分からず、学校で教えられた記憶もないので、困惑されるお父さん方も多いのではないでしょうか。
「勤労感謝の日」は「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」という趣旨の元、制定された祝日ですが、なんとなく掴みどころがないと感じている方も多いと思います。
それは、その祝日の真意が伝えられていないからです。
そもそも「勤労感謝の日」自体が本来の意義からかけ離れたものである以上、子供に説明のしようがありません。
メディアにしても「お父さんへの勤労感謝の日のプレゼントランキング」などと、つまらない情報を流すだけで、本来の意味を正しく伝えようとする意思は見えません。ネットでも多くの人は「子どもたちにはこの日はお父さんや働いている人に感謝する日だよと説明してあげましょう」と薄っぺらなことを言っているのです。
この11月23日という日は元々「勤労感謝の日」ではなく、収穫物に感謝する非常に重要な宮中祭祀が執り行われる祭日「新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)」の日だったのです。
この日が「勤労感謝の日」という祝日に変わったのは、戦後(昭和23年)のことです。「勤労感謝の日」の祝日はたった70年の歴史しかありませんが、「新嘗祭」の日は、飛鳥時代の皇極天皇の時代にはじまり、1400年近くの歴史があるのです。現在も重要な祭事として、天皇陛下によって執り行われています。
では、「新嘗祭」とはどのような行事(祭事)なのでしょうか。
「新嘗祭」とは天皇が日本国民を代表し五穀豊穣(豊作であること)そして命の糧を授けて頂いたことに対する神への感謝を捧げるための祭り、つまり日本の収穫祭なのです。瑞穂の国である日本の最も大切な神事なのです。
かつては、天皇だけでなく国民全員も天皇と一体になり、秋の実りを神に感謝する、日本国にとって非常に大切な一日でした。 以前は国民のほとんどが農家で、新穀(その年に収穫される新米・穀物)がちゃんと収穫できるかどうかは生死に関わることでした。
そのため、春にその年の五穀豊穣を祈り、秋にはその実りに感謝するという風習は、現代では考えられないほどに重要な意味を持っていたのです。
日本は弥生時代以来、農業国家として発展してきました。
古代より、五穀の収穫を祝う神事などが行われていましたが、飛鳥時代の皇極天皇の時代(大化の改新の頃)に国家の収穫祭として制定されたのが、新嘗祭の起源と言われています。
伊勢神宮などでは、代々受け継がれてきている大事な神事で、現在も行われています。
新嘗祭の真義は、祭事を執り行う天皇陛下と日本の主宰神である天照大神が一緒に食事をされる日なのです。天皇がみずから収穫した新穀を天照大神にささげ、共にその新穀を御召し上がりになり、その年の収穫に感謝を捧げられるものです。
主宰神と天皇が同じお米をお食べになる祭事の日なのです。その伝統儀式から「同じ釜の飯を食う」=「精神的に一体化する」という、ことわざが生れたのです。それは神様から頂いた収穫物を分配し共食するという思想です。
この新嘗祭は数ある宮中祭祀のなかでも最も重要で歴代天皇のみで受け継がれてきた、云わば一子相伝の秘儀なのです。天皇のあとに皇太子がつづいて神殿内に入り、天皇の祭事(御直会)の始終を見て、皇太子はその秘儀を身につけるのです。
つまりどのような作法をもって、どのように執り行われるのかを知るのは、歴代天皇の他に誰一人としていないのです。
今上天皇(現在の天皇)も御年80歳を越えられ、やはり御公務も宮中祭祀も相当お辛く感じていらっしゃることでしょう。天皇陛下が生前退位の意向を表明されたのも当然のことなのです。
11月末という秋も深まり寒さも厳しさを増す中で行なわれる新嘗祭では、天皇は冷たく硬い板床の上で何時間ものあいだ、ずっと正座のままでいなければならないのです。
その肉体的なご負担、そしてそれ以上に1400年もの長き間脈々と受け継がれてきた日本国の最重要儀式を執り行なうという精神的なご負担にも天皇は耐えなくてはならないのです。
それは我々国民には決して想像がつかないほど過酷なものであることに違いありません。
天皇陛下は日本国の繁栄と日本国民の幸せのためにこの過酷を強いられる祭祀を粛々と続けておられることを我々国民は決して忘れてはならないのです。それが、新嘗祭を執り行う天皇への感謝(礼儀)でもあるのです。
そのような天皇のお姿を後世に伝えていくため、そして日本の古き良き伝統、精神を伝え継ぐためにも「勤労感謝の日」は、やはり本来の「新嘗祭」に戻すべきなのです。そのような声を国民一人ひとりが上げていかなければ、よき伝統は取り戻せないのです。そのためにも、人々がまず正しい認識を持つことです。
戦後、アメリカのGHQ(占領軍)は日本が戦争であまりにも強かったので、日本の伝統的な行事を潰すために、新嘗祭の祭日を、わけのわからない「勤労感謝の日」に変えたのでした。
これはアメリカの日本弱体化政策の一つでもあったわけです。このように、日本には未だ戦後アメリカの日本弱体化政策の呪縛に封じられているのです。
この祝日の制定のように、日本国憲法も同じく、アメリカの日本弱体化政策の呪縛に今でも封じられているのです。しかし、アメリカにトランプ旋風が巻き起こり、今まさに、この呪縛から解き放すときが到来したのです。この好機を逃してはならないのです。日本のよき文化を一つ一つ取り戻す必要があるのです。
この日本弱体化政策に加担したのは、新嘗祭を祝う心を忘れた人々(マスコミや学者、インテリ)なのです。アメリカは日本弱体化や植民地的な支配を、これらの日本人を使って、支配することを図ったのです。
つまり日本のマスコミと学会(学者たち)なのです。戦後、まともな学者はみんな捕まったので、二流、三流の学者がこの役割を担ったのです。現在もこの方法でアメリカは日本を支配しているのです。
マスコミや一流でない学者に惑わされてはなりません。
日本の新聞では何か事件があると、学者の意見が掲載されて、あたかも正しいような意見だと洗脳していますが、このような学者の意見をマスコミに掲載するスタイルは海外ではないのです。これが、偏向報道するマスコミと左翼主義の学者が演じる支配の実態なのです。よく見極めなくてはなりません。
お米は、日本の神々から与えられた最高の贈り物です。その恩恵を最大限に享受しているのは日本人なのです。日本の主宰神・天照大神に末永く感謝申し上げるのが、日本人の勤めではないのでしょうか。
---owari---
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