苦しいときにこそ、実は人生を前進させるための大いなる材料に恵まれていると言っても過言ではありません。
苦難のときにこそ、みなさんは、実は「人生の宝の山」のなかにいるということなのです。
人間は、幾転生をくり返しながら、「己れの魂をさらに向上させるためには、どうしたらよいか」ということを考えつつ、いつも異なった環境を選んでは生まれ変わってきています。異なった職業、違った環境、そして違った人間関係を選びながら生まれてきているのです。
過去に裕福であった人は貧乏に生まれてみたり、また、その逆であったり、健康であった人が病気を持ちながら生まれてきてみたりと、いろいろな経験をしながら、今世、魂を一歩進めることを至上命題として生まれてきているのです。
それを愚痴るようであったら、「何を言っているか。あなたは、宝探しの地図を与えられ、そして、その道を歩いてきたのでしょう。探してきたのでしょう。今ここに宝の山があるのに、何を嘆いているのか」ということになるのです。
特に、人生最大の苦難・困難のなかにある人は、それこそが、今世あなたの魂の磨きとして用意されている最大のものなのです。人生の問題集のなかのいちばん大事な問題であり、「それを避けて通っては、今世の修行はあいならん」と言われているのです。
このように各人は、それぞれの魂に合った問題集を与えられています。それ以上でも、それ以下でもありません。どのような問題が降りかかってきたとしても、それはあなたが解くことができる問題であり、また、あなたにしか解けない問題なのです。
それがまさしく目の前に現われてきたということは、自分の人生がいったいどのような人生であるかということを教えてくれているということです。自分の今世の魂修行の目的がどこにあるか、ということを教えてくれているのです。
そして、今世それを見事に解決して、生き抜いた場合には、あなたはその問題にパスしたということになるのです。そして、この次に生まれてくるとき、同じ問題に対しては、自分が解くのではなく、他の人の問題を解決してあげる人になっているわけです。
それが向上というものです。魂の向上なのです。
霊界に還ったとき、みなさんの魂の仲間たちや、みなさんが過去に知り合っていた友人やご両親が、必ずみなさんを迎えにきます。そして、なごやかに話し合いをします。そのときに語れるものは何かというと、あなたがどのような苦難・困難に出会って、何をつかんだかということなのです。
そのときに、見事に人生の問題と取り組んだ人には、多くの天使たちがやってきて、「がんばったね。あの苦しいときに、あなたは、よくがんばり抜いたね」と言ってくれるのです。それが、この世のみやげ話なのです。
「苦難・困難によって、魂が磨かれる」 (仏法真理)
---owari---
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