魅力ある人を考えるために、反対に、「魅力のない人」を「人から嫌われるタイプの人間」と捉えたならば、どうでしょうか。その実例を見たければ、時折、テレビのニュース番組等で流れる朝鮮中央テレビを観ると、「どのようにすれば人に嫌われるか」ということがすぐに分かってしまいます。
相手を徹底的に悪く言い、相手の立場はいっこうに考慮せず、自分の立場だけを主張し続け、とにかく、「自分たちだけが正しい」と言い続けるわけです。そのようにすれば絶対に嫌われます。そういうことを国営放送で延々と行っているのです。
中国の外務大臣や報道官も同様です。「こういうことをすると嫌われるのだけれども、分かっているのだろうか」と思うような、一方的なことを延々と述べ続けています。自分の国の国民はそれで洗脳できるのかもしれませんが、外の人は、それでは洗脳されません。「自由」というものを与えられている人は、それでは洗脳されないでしょう。
「反論の自由」を持っている人々に対しては、それでは通じないということが、彼らには分からないようなのです。「自分たちの国民に言うことを聞かせられるのであれば、それ以外の国の人々にもできると思っているのではないか」と疑われるようなことを情報発信しています。
これは本当に、「どうすれば魅力がなくなるか」ということを見せてくれているようなものでしょう。彼らに対しては、「少しは自分たちの問題もお考えになったらいかがですか」という気持ちがあります。
反対に、日本があまりにも自己卑下的になりすぎているのであれば、「自分たちのいいところも、少しは認めたほうがよいのではないでしょうか」という思いもあるのです。
朝鮮中央テレビの放送のように、自分たちの立場をただただ主張し、相手を批判し続けているだけになっていないかを、よく考えてみてください。
そのように、ちょっとした心遣いや気配りで構いませんが、一方的なものになりすぎないように努力することが大事です。
「魅力ある人となるためには」ということについてお伝えしてきました。
結局、最終的に言いたかったことは、「信念を曲げずにやり抜いてほしい」ということです。
その信念そのものは、自己保身に基づくものではなく、世の中の人々を幸福にし、世間を本当に正しい方向に導くというものでなければなりません。そして、そのようなことを、実際に信念を持ってやり抜くことができた人は、やはり、「魅力ある人になれる」と思います。
いろいろな道はありますが、強い信念を持ち、さまざまな批判に耐え、反省もしつつ、正しいものをやってのけることが大事です。
そうすれば、人に対して最初は批判をしていたような人でも、やがてファンに変わっていくことでしょう。
「信念を持ってやり抜いた人こそ『魅力ある人』」(仏法真理)
---owari---
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