劣等感や嫉妬心と思えるものをプラスに転じていく過程において、どのようにすればそれを埋め合わせていけるのでしょうか。
もちろん、それには本人の努力が必要でしょう。努力しない者に、よい方向へ道が拓かれていくことは、やはり、数少ないことだろうと思います。
努力して道を拓いていくなかで、「自分が努力したからこうなったんだ」などと自分の手柄にするような考え方ではなく、努力して成功すればするほど、「周りの人のおかげで成功しました」「神様仏様のおかげで成功しました」というような考え方に変わっていくのです。
これは実に不思議なことですが、自助努力をし、自分をつくり、成功していった人ほど、「これは運の力だ」「神様の力だ」、あるいは「世間のみなさまのお力だ」と言うようになります。
しかし、努力して自分を磨いたりせず、自助努力によって立ち上がっていったわけではない人ほど、やはり、ほかの人や周りのせいにし、それで終わりにしてしまいがちです。そういう人は、基本的にはあまり好かれず、嫌われるタイプでしょう。
このあたりのことは、非常に大事なところではないかと思います。
実際には自助努力で行なっていることでも、だんだんに「周りのおかげ」のほうを大きく見ていき、「自分自身の力」のほうは小さく見るようになるというは、要するに「謙虚さ」なのです。
魅力ある人間となるためには、ある意味で、野心的でなければいけないところもあります。若いときは大きな夢を持って、多少、大風呂敷を広げているように思えることでも言えるぐらいに、野心家的な面があるほうが魅力的です。
しかし、それが自信過剰であるために、周りの人にとっては、本当にたまらない気持ちになるような人では駄目なのです。やや野心家で大きな夢を広げるようなところはあったとしても、一方では、謙虚さを持っているタイプでなければいけません。
「大きな夢を追い続けてはいるけれども、謙虚である」というように、なかなか両立しがたいものではあっても、それを自制心によって両立させていく努力をしている人が、やはり、「魅力ある人」となっていくように思えてしかたがありません。
「自助努力によって成功した人ほど『周りのおかげ』を感じる」(仏法真理)
---owari---
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