(文化の花咲く土壌)
天才とは一般民衆とは関係なく、突然変異的に生まれてくるのではないだろう。「美の存在」「何かに跪く心」「精神性を尊ぶ風土」という土壌が、一般民衆の一人ひとりの情緒を高め、文化や学問を尊び、愉しむ社会的風土を作り、その中から特に才能に恵まれた人が天才として出現する。逆に言えば、そういう社会的土壌がなければ、天才の種が落ちても育たないのだ。
江戸時代末期の日本は、全国に寺子屋があり、幕末の嘉永年間(1850年頃)の江戸での就学率は70~86%。同時期のロンドンでさえ、20~25%だった。
明治初期に来日したロシア人メーチコフは『回想の明治維新』で、「読み書きの能力など、日本人のすべての国民にとって当たり前と考えられている」「書かれた言葉を愛好する習性が、ヨーロッパでは見たこともないほど広まっている」と驚いている。
江戸時代には、庶民に至るまで「和算」と呼ばれる日本独自の数学を愉しむ文化が花開いた。「塵劫記(じんこうき)」という和算の標準的教科書がベストセラーとなり、そこでは算盤や測量法などの実用数学だけでなく、「ねずみ算」などの数学遊戯も紹介されている。
一般の数学愛好家も難問が解けると、額や絵馬に解法を書いて、神社仏閣に奉納し、神仏に感謝する、という風習があった。これを「算額」という。やがてこの「算額」に問題だけを書いて神社仏閣に掲げ、それを解いた人がまた「算額」を奉納するという事も行われるようになった。人々の集まる神社仏閣で、数学を愉しむ知的交流が行われていたのである。
同様に、庶民が短歌や俳句を詠んだり、歌会、句会に集まったりする事が日常茶飯事に行われた。歌舞伎や浄瑠璃も庶民の日常的な娯楽の一つだった。
こういう土壌から、数学の関孝和やその高弟・建部賢弘、文学の松尾芭蕉、井原西鶴、近松門左衛門などの天才たちが花開いていったのである。
(日本の「異常」な実績)
このような土壌を持った日本は、世界史的に見ても「異常」な国だった。藤原氏はテンポのよい語り口でこう述べる。
日本の歴史を振り返ってみて下さい。先に、5世紀から15世紀にかけての千年間について、日本の文学が全ヨーロッパの文学を凌駕(りょうが)した、と申しました。江戸時代260年間にわたり、ほとんど他国に例を見ない長期の平和を実現し、文化芸術の花を咲かせました。きちんとした統計は無論ありませんが、恐らく識字率も断然世界一だったでしょう。鎖国の後、明治になるといきなり近代化に乗り出して、たった37年で世界最大の陸軍国ロシアをやっつけてしまった。第2次大戦前には、すでに世界最大の海軍国の一つになっていた。
戦後は廃墟の中から立ち上がり、アッという間に世界第二位の経済大国にのし上がりました。最近は不況が続いていますが、それでもなお世界第三位の地位を保ち、世界最大の債権国でもあります。
10年以上の不況が続いてなお、ヨーロッパのどの一国、アジアのどの一国と比べても比較にならないほどの経済大国として存在しているわけです。この資源も何もない小さな島国がなぜ、これほど著しい実績を残してきたのか、これほど異常であったのか。よく考えないといけません。
一般民衆が神社仏閣に掲げられた算額の難問に嬉々として取り組み、句会や茶会に熱を上げるような情緒を持っていればこそ、このような「異常」な実績も当然の帰結であったのだろう。
(「品格ある国家」の実現こそ日本人の責務)
しかし経済大国の陰では、マンションの耐震強度偽装事件やら、ライブドアの虚偽公表による株価操作など、金のためには手段を選ばない輩が、世間を揺るがせている。戦後の経済至上主義と伝統文化否定の教育により、先祖から譲り受けた美しい情緒の根っこが枯れかかっている。
また日本以上に、世界中の国々が犯罪の多発、麻薬・エイズ・テロの蔓延、環境破壊などの危機に直面している。これも近代的合理精神が行きすぎて、人々の情緒が枯渇してきた結果である。
そのような中で、藤原氏は日本人が再び、古来からの美しい情緒を取り戻し、「品格ある国家」を目指すべきだと訴える。
大正末期から昭和の初めにかけて駐日フランス大使を務めた詩人のポール・クローデルは、大東亜戦争の帰趨(きすう)のはっきりした昭和18年に、パリでこう言いました。
「日本人は貧しい、しかし高貴だ。世界でただ一つ、どうしても生き残って欲しい民族をあげるとしたら、それは日本人だ」
日本人一人一人が美しい情緒と形を身につけ、品格ある国家を保つことは、日本人として生まれた真の意味であり、人類への責務と思うのです。ここ四世紀間ほど世界を支配した欧米の教義(注:近代合理主義)は、ようやく破綻を見せ始めました。世界は途方に暮れています。時間はかかりますが、この世界を本格的に救えるのは、日本人しかいないと私は思うのです。
人類に貢献し、世界から尊敬される「品格ある国家」になるための十分な遺産を、我々は先祖から受け継いでいる。その遺産を生かすのは、我々の責務である。
(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)
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