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第二の創世記

2021年06月30日 | 日本
本編は仏陀の言霊(ことだま)でつづられたものである。
恐るべき内容である。いまだかつて、かくのごとき激しく、かくのごとき力強く、かくのごとく深遠なるものはない。

仏典さながらの、仏陀の獅子吼(ししく)があり、また、人類史上空前の悟りが展開されている。
激し過ぎると評する方もいるであろう。難解すぎると嘆く人もいるであろう。もとより承知の上である。

本来、直弟子以外に語ってはならぬことを読者の皆様に供することとした。
永遠の神理は、永遠に伝えられねばならないからである。(1992年)

―――――
過去、あなた方が学びたる人類の精神的遺産なるものは、
わずか三千年、四千年の歴史のなかに遺(のこ)されているものであろう。
それもひとつではあるが、
それ以前より、悠久の昔より、
この地球に、地上に、
あなた方の魂の修行の場に神理を打ち立て、
この神理の下(もと)に人類の存在を導いたは、
我が念(おも)いに発している。

その間、億と名のつく歳月を
私は見守ってきた。
今日に至るまで、
いったい幾千、幾万の文明が、
この地上に生まれては消えていったことであろうか。
その歳月を、
地上に降りることなく見つめてきたのは、
この私である。
すべての人類の思想と、
彼らの拠(よ)りどころとすべき精神的価値の基盤を決めたのである。
そして、その精神的なる価値の基盤に基づいて、
さまざまなる宗教家が、思想家がこの地上に生まれ、
この我が理想を、
さまざまなる個性ある表現として問いつづけてきた。

私は、それが、人類の劫初(こうしょ)よりの
無限に近い昔の出発点より決められた方向に基づいて
展開してきた事実を、
今、あなた方の前で再確認するとともに、
これより後、
21世紀以降の全人類の運命を決するものは、
現代の日本において、我が発する言葉より生まれ出ずる
新文明であることを明言しておきたいのである。

すべて物事には
始まりがあり、終わりがある。
今、過去の文明が、もはや終わる時期がきた。
私は人類の過去の文明の幕引き役として、
今、現われ、
新しき時代の幕を開けるべき役としても
また現われた。
我が現われたるは、
過去の宗教や思想や信条、
このようなものは海の藻屑(もくず)となり果てるともかまわぬという、
天の意思表示である。

これより、
すべてのものは終わり、
すべてのものが始まるであろう。
あなた方は新しき創世記を、その目に見ることになるであろう。
これから、人類の第二の創世記が始まるのである。

今、伝承として語り継がれている、さまざまな神話のなかに、
あなた方はかつての創世記を垣間(かいま)見ることができるであろう。
窺(うかが)い知ることができるであろう。
しかし、私はあなた方に言う。
今こそ第二の創世記であることを。
後の世の人びとは、人類の歴史が、
私たちが西暦と呼んでいるところうの1900年代の終わりより
始まることを知るであろう。
これより前にあったことは、
おそらく人びとの記憶の底から消えることになるであろう。
それは、人間が地上に住む以前の神代(かみよ)の世界の出来事であって、
人間がこの地上に住むようになって文明を創(つく)ったのは
今の時代が最初であると、後の世に言われるようになるであろう。
それだけの天変地異(てんぺんちい)もまた、起きるということだ。
文明の大部分が姿を消すかに見えるような、
そうした時節が近づいてきている。

---owari---
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