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「品格ある国家」への道(前編)

2021年06月28日 | 日本
(天才を生む土地)
発売後2ヶ月足らずで20万部というベストセラーとなっている数学者・藤原正彦氏の『国家の品格』に面白い話が出てくる。天才とはある特定の地域に集中して現れるというのだ。

たとえば、アイルランドは人口4百万人にも満たない小国だが、数学ではハミルトンという大天才を生み出しているほか、文学ではジョナサン・スウィフト、オスカー・ワイルド、ウィリアム・イェイツ、ジェームス・ジョイス、サムエル・ベケットというような世界に名だたる文豪を輩出している。

お隣のイギリスも同様だ。文学のシェイクスピアやディケンズ、力学のニュートン、電磁気学のマクスウェル、遺伝学のダーウィン、経済学のケインズなど、数多くの天才を生み出した。

もう一つ例をあげると、インドはマドラスの南方2百数十キロにある田舎町クンバコム一帯もそうだ。ここで3500以上もの定理を発見した天才数学者ラマヌジャンが育っている。ラマヌジャンは「夢の中で女神ナーマギリが教えてくれる」と言って、次々と美しい定理を発見した。しかし高校教育しか受けていない彼は証明には興味を示さず、死後、多くの定理が証明されないままに残された。後世の数学者たちがそれらを証明するのに、実に半世紀を要した。

ほかにもクンバコム周辺の地域から、20世紀最大の天体物理学者と言われるチャンドラセカール、ノーベル賞物理学者ラマンなどが生まれ育っている。

藤原氏は、これらの天才を生み出した土地を訪ね歩いて、3つの共通点があることに気づいた。

(天才を生み出す土地の3つの共通点)
天才を生み出す土地の第一の特質は「美の存在」である。たとえば、イギリスの田園風景は実に美しい。ケンブリッジ大学やオックスフォード大学など、古色蒼然たる建物が、一年を通してみずみずしい緑の芝生に映えている。

クンバコム(インド)の近くでは、9世紀から13世紀にかけてチョーラ王朝が栄え、歴代の王様たちは競うように美しい寺院を造り続けた。その一つブリディシュワラ寺院は、息を呑むほどに壮麗で、それを見た藤原氏は直感的に「あっ、ラマヌジャンの公式のような美しさだ」と思ったという。

第二の条件は「何かに跪(ひざまづ)く心」である。イギリスは自身の伝統に跪いている。ケンブリッジ大学のディナーは350年前と同じ部屋で黒マントを着て暗いロウソクのもとで行われる。

クンバコム一帯は「ヒンドゥーのメッカ」と呼ばれている。祭司や僧侶の階級であるバラモンの比率がインドで最も高く、寺院の数も多い。ラマヌジャンの母親も信心深く、息子を毎夕、歩いて数分のサーランガーパニ寺院にお参りに連れて行った。

第3の条件は、「精神性を尊ぶ風土」である。文学、芸術、宗教など、直接には役に立たないことを重んじ、金銭や物質的な財を低く見る風土である。イギリスの紳士階級は、金融界のたたき上げの金持ちなど尊敬はしない。

ラマヌジャンの家もバラモンに属しており、階級は高いが大変な貧乏で、お母さんが近所にお米を恵んで貰いに行くほどだった。こうしたなかで育ったラマヌジャンは17歳から23歳までの6年間、働きもせず、明けても暮れても数学に打ち込んだのだった。その赤貧洗うが如き生活にもかかわらず、誰もラマヌジャンを「穀潰(ごくつぶ)し」などとは考えなかった。

(美しい情緒は、文化や学問を作り上げていく原動力)
「美の存在」「何かに跪く心」「精神性を尊ぶ風土」を持つ土地が、なぜ天才を輩出するのか。これらをひとまとめに「情緒」と言って良い。この美しい情緒こそ、天才を突き動かし、文化や学問を作り上げていく原動力なのである。

岡潔(おかきよし)という大数学者がいた。フランス留学から帰ってきた直後には「自分の研究の方向は分かった。そのためには、まずは蕉風(芭蕉一派)の俳諧を研究しなければならない」と、芭蕉の研究に一生懸命に取り組んだ。その後、やおら数学の研究にとりかかり、20年ほどかけて、当時彼の分野で世界の3大難問と言われていたものをすべて独力で解決してしまうという偉業を成し遂げた。

岡潔は毎日、数学の研究にとりかかる前に、一時間お経を唱えていた。新聞記者に「先生がおっしゃる情緒というのは何ですか」と訊かれ、「野に咲く一輪のスミレを美しいと思う心」と答えた。同じ数学者として藤原氏はこう語る。

私たち数学者にとっては、非常に分り易い話です。野に咲く一輪のスミレ、その可憐さに愛情を感じ、その美に感動する。これが数学の研究をする上で重要ということです。

数学をやる上で美的感覚は最も重要です。偏差値よりも知能指数よりも、はるかに重要な資質です。

藤原氏がガン学会の特別講演でこういう話をしたところ、ガンの研究者たちも、「私の分野もまったく同じです」と語ったそうである。土木学会でも同じ事を言われたという。

数学の定理や科学技術の法則の持つ美しさ・崇高さに感動し、それを追い求める情緒が、天才を発見や創造へ駆り立てる原動力なのだろう。

(日本も天才を生み出す土壌を持っていた)
わが国も歴史的に「美の存在」「何かに跪く心」「精神性を尊ぶ風土」の3条件を見事に満たしてきた。

まず日本には美しい自然があった。明治初年に日本を訪れたイギリスの女流探検家イザベラ・バードは、いまだ江戸時代の余韻を残す米沢について、次のような印象記を残している。

南に繁栄する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉場の赤湯があり、まったくエデンの園である。「鋤(すき)で耕したというより、鉛筆で描いたように」美しい。米、綿、とうもろこし、煙草、麻、藍、大豆、茄子、くるみ、水瓜、きゅうり、柿、杏、ざくろを豊富に栽培している。実り豊かに微笑する大地であり、アジアのアルカデヤ(桃源郷)である。・・・美しさ、勤勉、安楽さに満ちた魅惑的な地域である。山に囲まれ、明るく輝く松川に灌漑(かんがい)されている。どこを見渡しても豊かで美しい農村である。

「何かに跪く心」は、日本人は神仏や自然に対する敬虔(けいけん)さとして備えていた。代々、法隆寺に仕えた宮大工・西岡常一棟梁は、こう語っている。

わたしたちはお堂やお宮を建てるとき、「祝詞(のりと)」を天地の神々に申上げます。その中で、「土に生え育った樹々のいのちをいただいて、ここに運んでまいりました。これからは、この樹々たちの新しいいのちが、この建物に芽生え育って、これまで以上に生き続けることを祈りあげます」という意味のことを、神々に申し上げるのが、わたしたちのならわしです。

「精神性を尊ぶ風土」は、武士道に見られる。室町末期に日本に来たザビエルはこう書いている。「日本人は貧しいことを恥ずかしがらない。武士は町人より貧しいのに尊敬されている」

(日本の天才たち)
このような日本の土壌は、どのような天才を生み出してきたのか? たとえば、藤原氏は数学の分野に「もしノーベル賞があったら20は固い」という。

江戸時代には関孝和という天才数学者が出て、行列式を世界で始めて発見した。行列式は一般にドイツの天才ライプニッツが発見したと世界中の人が思いこんでいるが、事実は関孝和がその10年前に、鎖国の中で独力で発見し、使用しているのである。さらにその高弟・建部賢弘は三角関数の「べき級数展開」の方法を考案し、その中にも世界で始めて発見された公式がある。

大正時代にも高木貞治という天才が出現し、現在に至るまで独創的な数学者が引きも切らず出ている。先に出てきた岡潔もその一人である。

また文学においても、世界で始めて小説の形式を発明した紫式部、俳諧を確立した芭蕉などは、何世紀に一人の大天才と言える。

---owari---
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