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人生を「自分のためだけ」に生きてはならない

2017年11月23日 | 人生

学校の勉強がよくできたら尊敬されますし、その結果、よい進路を選び取り、また、社会人として尊敬されるような仕事に就いて、ほめられることはあります。しかし、はっきり言えば、これが、「人生のゴール」であってはならないのです。

 

これは、あくまでも、人生の前半期における基礎部分です。あるいは、自分の人生をスタートさせるに当たって、よりよきスタートを切るためのものです。両親への感謝も含め、今まで受けた恩を返す意味でも、また、周りの人の期待に応える意味でも、よりよきスタートを切るまでの目標なのです。

 

そこから先においては、単に「自分のためだけ」に生きてはならない人生が始まっていくのです。

 

「これが分かるかどうか」が非常に大事なのですが、今の高等教育なるもののなかには、これを教えてくれるところが非常に少なくなっています。

 

また、社会に出ても、会社の発展や利益などについては上司等が言ってくれることはあっても、それを超えて、「あなたには人間として果たさねばならない義務があるのではないか。もっと大いなる使命があるのではないか」ということについては、なかなか教えてもらえるものではありません。

 

たいていの人間にとっては、小さな単位として、「自分個人の成功」や「自分の家庭の幸福」が、最低限の成功や幸福の条件になってくると思います。

 

しかし、これを超えたものもあることは当然のことなのです。

 

「明治維新」において、土佐藩の果たした役割は大きかったと思います。維新以降に土佐藩の得たものは、そう多くはありませんでしたが、維新を起こすに当たって、土佐藩の果たした役割は大きかったのではないでしょうか。

 

それは、数は少ないけれども、自分自身の命や立身出世にとらわれず、“谷を跳んだ”方々がいたからだと思います。「日本という国を建てよう」「この国をもっとよい国にしよう」「未来の人たちのために命を捨てよう」とした人々がいたからだと思うのです。

 

徳川の時代は三百年近い太平の世ではあったものの、鎖国を続けていくなかで、世界の流れからだんだん後れを取り、停滞していた時代ではありました。

 

そして、外国からも危機が迫ってきていました。アフリカやアジアの諸国に対して、ヨーロッパの列強による帝国主義的な侵略が始まっていたのです。

 

先人たちは、その危機にいち早く気づき、「どうにかして世の中を変えていかなくてはならない」と思いました。「この国を近代化し、よりいっそう合理的な国に変えないと、いずれ植民地になり、日本国民が奴隷になる日もそう遠くない」と感じ、命を捨て、大きな理想、志のために生きた人々がいたのです。

 

現在では、明治維新についても、「日本の帝国主義化を起こすための悪いものだった」というようなことを言う人も出てきていますが、例えば、北朝鮮という国を知れば知るほど、そうだとは思えません。

 

「生まれる国は選べない」と普通は言われたりしてはいますが、霊的真実として、私たちは、生まれる国を選んで生まれてきています。

 

みなさんは、この日本に生まれ、仕事をしたり、学校に行ったりして、いろいろな人生を送っていると思うのですが、もし、みなさんが、日本ではなく北朝鮮に生まれていたら、どのような人生がありえたでしょうか。そう考えてみると、「自らの意志で変えられなかったもの」は、かなりあるのではないでしょうか。

 

また、中国も、経済的には発展しているように見えますが、それでも、いろいろな言論統制や思想統制はかかっていますし、外国の文化についても統制はそうとうかかっています。

 

自由化しているように見えても、中国では、「宗教はアヘンである。唯物論が正しい」というマルクス・レーニン主義の考え方が、まだ建前としては通っていて、テレビの映画に霊界描写が出た瞬間に、画面からパッと映像が消えるのです。

 

しかし、中国の民間の人々は、仏教的、あるいは道教的な習俗をいろいろ持っていて、こっそりとお寺などに通っています。また、キリスト教の地下教会のようなものも広がっています。

 

政府は必ずしも公認はしていないのですが、そうした水面下の動きはあります。人の心は完全には抑圧できないものなのです。ただ、そういうところでは、宗教が地下組織として活動しなければならなかったりするわけです。

 

もし今、あなたが日本ではなく北朝鮮や中国に生まれていたらどうでしょうか。

それらの国々では、自由が制約されています。その点では、日本は平和ですし、個人の自由は守られているのです。

 

それを支えてきたのは、「明治維新」を起こすために、“谷を跳んだ”先人たちがいたということです。これを忘れてはならないのです。ゆえに、私たちは、「個人の成功」や「家庭の幸福」を超えた生き方をも目指さなければならないと考えるのですが、いかがでしょうか。

 

---owari---

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