(日本の神話学は「ガラパゴス」状態)
古事記、日本書紀に語られた日本神話は、大和朝廷が自らの権威を正当化するために創作した「政治宣伝文書」だという見方が、依然、学界や歴史教科書で主流を占めている。「歪められた日本神話」という挑戦的な本を出した元・産能大学教授・萩野貞樹氏は、この状況をこう批判する。
外国の神話学者や民俗学者で日本の古典神話を「神話」でなく、政治文書だなどと言う人はいない。・・・日本の学者だけが、少数の神話学者を除きほぼ異口同音にそう言っているだけである。だが、その結果、一般の人々も日本には神話がないと思っているというはなはだ妙な事態になっている。
こういう状況の中で、欧米流の実証的な神話研究を発表したらどうなるか。
例えばギリシア神話と日本神話との奇妙な類似を精密に抉(えぐ)って見せた吉田敦彦氏がシンポジウムなどに出席して、両者の構造的類似を詳しく説明したりすると、ほかの出席者は・・・みな揃って実に迷惑そうにするのが手に取るようにわかる。
吉田敦彦氏はフランスの神話学者ジョルジュ・デュメジルの弟子にあたる。このデュメジルこそ、それまで神話を自然科学や宗教の未熟な萌芽とする19世紀的神話学から、古代人の世界観の表現と捉える実証的な20世紀的神話学への転換をもたらした人物であった。
このシンポジウムの光景は、たとえて言えば19世紀的マルクス経済学者が大多数を占める国内の集まりで、ただ一人、欧米の最先端の近代経済学を学んだ学者が、実証研究を発表しているようなものだ。生存競争のない日本の学界では、まるでガラパゴス諸島のように、前々世紀の遺物のような学者・学説が生き残っているのである。
(ギリシャ神話と日本神話の奇妙な一致)
吉田敦彦氏の研究の一端を覗いてみよう。たとえば皇室の始祖として日本神話の中心的な存在とされている天照大神にまつわる物語とそっくりな要素がギリシア神話の中に見つかるという。両者を並べるとこうなる。
天照大神:太陽と豊穣の女神
デーメーテール:太陽と豊穣の女神
弟スサノヲは海と嵐と地震と武の神
弟ポセイドーンは海と嵐と地震と武の神
弟が皮をはいだ馬を投げ入れ、驚いた女神の一人が機織りの
とがった道具で性器をつきさして死んでしまう。
姉が馬に化けて逃げようとするが、弟も牡馬になって、
姉を犯す。
天照大神は怒って天の岩屋に隠れる。
デーメーテールは怒って山の岩屋に隠れる。
世界は暗黒になり、真っ暗な夜が続いた。
世界は暗黒になり、作物は生えなくなる。
一計を案じた神様達が洞窟の前でお祭りをし、騒ぎ立てる。
何事かと思って天照大神が天の岩戸を少し明けたところを、
力持ちの神が引き出し、世界に光が戻った。
神様の王ゼウスが、デーメーテールの隠れている場所を
見つけ、三人姉妹の運命の女神を送って、岩屋から出るよ
うに説得する。デーメーテールが機嫌を直して外に出ると、
作物がまた生えるようになった。
このほかにもイザナギが地下の死者の国まで妻のイザナミを迎えに行く物語、オオクニヌシが何度も殺されては生き返る物語とそっくりのテーマがギリシア神話にある。
(日本に伝わったギリシア神話の影響)
これほどの類似は偶然ではありえない。吉田氏はこの理由を次のように解き明かしている。まずギリシア人は紀元前7世紀の頃には黒海に進出し、その沿岸に多くの町を建設した。
この頃、ドン川やドニエプル川など、黒海に流れ込む大河の流域を支配していたのは、遊牧民族のスキタイ人だった。スキタイ人は黒海の沿岸に定着したギリシア人から強い文化的影響を受けた。スキタイ人の王の墓からは、ギリシアの品物がたくさん出土する。
黒海の北方から中国北方までユーラシアのステップ(草原)地帯には、様々な遊牧民族が住んでいたが、彼らはみなスキタイ人の文化的影響を受けた。その一部の民族が朝鮮半島に入って高句麗と百済を建てた。この両国から4~6世紀にかけて、多くの知識人や技術者が日本に移り住み、スキタイ経由のギリシア神話を伝えたという。
スキタイ人は文字を使わなかったが、彼らの神話はギリシア人の歴史家ヘロドトスが書き残している。それによると、スキタイ人の王は農具、斧、杯を3種の神器としていたが、同様に高句麗では煮炊き用の鼎(かなえ)、剣、楽器が、日本では勾玉、剣、鏡が神器とされた。それぞれ生産、戦い、祀りの道具である。
(苦しい「政治宣伝文書」説)
さて、こういう実証的な研究成果を知った上で、従来の日本国内だけで流布していた「政治宣伝文書」説を読み直してみたら、面白いだろう。
たとえば国際日本文化研究センター所長だった梅原猛氏は、持統天皇から文武天皇へ、そして元明天皇から聖武天皇へ、という形で、それぞれ息子を亡くした女帝が孫に皇位を継承するという「不自然さ」を正当化するために、天照大神が孫のホノニニギの命に地上の支配を命ずるという天孫降臨神話が創作された、という説を述べた。
いかにも推理小説風の鮮やかな仮説であるが、「祖母から孫への皇位継承」という「不自然」な神話が、実はお隣の百済でも見つかるとしたらどうだろう。百済の始祖・温祚(おんそ)は大女神・柳花の孫である。
それでも日本国内で神話が政治的に創作されたと強弁するには、百済でも偶然、同様の政治的必要性から創作されたとするか、あるいは日本神話が百済に伝搬した、と考えなければならない。どちらにしても梅原氏も「実に迷惑そうにする」顔をするしかないであろう。
(「付会による混乱」?)
哲学者出身の梅原氏よりも、より専門的な神話学者はどうだろう。京都大学教授を長く務めた上田正昭氏はスサノヲに関してこう述べる。
高天原での荒ぶる行為と、中つ国でのまったく逆の荒ぶるものを平定する行動(注:八岐大蛇の退治)はあまりに背反する。・・・
ほんらい荒ぶる神=国つ神としてあったスサノヲの神話が、高天原系の天つ神の神話に付会(こじつけること)されたために、こうした混乱がおこったといえよう。(「日本神話」、岩波新書)
これも天照大神とスサノヲの姉弟関係が、そのままギリシア神話に見つかるという吉田氏の研究から、二つの神話が強引に付会されたものという説は苦しくなる。
スサノヲが高天原で乱暴狼藉を働いたのも、もとはと言えば、母・イザナミを亡くした悲しみの心からなのである。そういう純真な一面を持つスサノヲが高天原を追放され、ついには八岐大蛇を滅ぼしてクシナダヒメを助け、喜びの新居を構える。こういう悲喜こもごものドラマであるからこそ、我々の祖先も心躍らせて、代々口伝えしてきたのであろう。これを「あまりに背反」ととる上田正昭氏はどのような心情の持ち主なのか?
毎度のことにはちがいないが比較的最近また少々茫然の思いをしたのは、神田秀夫氏の「古事記の神と人-作品鑑賞」(「図説日本の古典1・古事記」集英社)という文章を読んだときだ。
この、古事記をいわば生涯の飯の種にしてきた人の、古事記に対する軽蔑のすさまじさには唖然とした。氏によれば古事記は「ゆがみ」が多く「なんの体系もなく」「つじつま合せ」にすぎない「中国風のまえ」の「あとからつけた理屈」だらけのものなのである。
自分自身の生涯の研究対象を軽蔑するとは、まことに空しい仕事ではある。こうして日本神話の中に牽強付会や辻褄合わせを見つけようと血まなこになっている人々には、古代人の悲しみも喜びも伝わらないのだろう。
---owari---
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