日本の民謡の歌詞や囃子詞(はやしことば)には、意味がわからない言葉がたくさんあります。
例えば、著名なソーラン節の一節である「ヤーレン・ソーラン」をはじめ、「ヨイショ」、「ドッコイショ」、「コリャ~」など、意味が不明な言葉は数えればきりがありません。
囃子詞は一般的には舞を助ける唄の掛け声として活用されており、調子を整えたり、唄をひきたて、雰囲気を出すために用いられています。したがって、語呂が軽快で、人びとの心を捉えるような「ノリ」があり、インパクトのある言葉などが重要です。
このように囃子詞は場を盛り上げる働きを持つ言葉なのですから、当然のことながら意味のない言葉を当初から叫んでいたはずはありません。あくまで唄の主旨に沿って、つじつまが合う言葉が用いられていたはずです。ところが、長い年月を経て、いつしか元来の意味が不明となり、単に言葉の発音のみが今日まで伝承され続けているのです。
これらの囃子詞の多くは、ヘブライ語から誕生し、きちんとした意味を持っていると言われています。ソーラン節は日本人なら誰もが知っている北海道民謡です。ヤーレン・ソーランと始まり、繰り返し歌われるこのソーラン節は、歌う人の脳裏にしっかりと残る優しい響きがあります。
また、唄の途中に「ドッコイショ」という掛け声も入り、これは日常会話でもよく使われている言葉だけに、その軽快なメロディーを口ずさんだことのある人は少なくありません。
しかし、ソーラン節の意味は不可解であり、今日では単なる掛け声の組み合わせにしか思われていないようですが、それは間違いです。実はソーラン節は元来、ヘブライ語の行進賛歌であり、そこには驚くほどわかりやすい意味が隠されていたのです。
まず「ヤーレン」に注目してみましょう。ヘブライ語には「喜び歌う」という意味を持つ「イェラネン」という言葉があります。それが多少なまってほぼ同等の発音に聞こえる「ヤーレン」になったのでしょう。「ソーラン」も同じ発音を持つ「ソーラン」というヘブライ語があります。
この言葉は「ソロシンガー」、すなわち「一人の歌い手」を意味します。
すると、「イェラネン・ソーラン」は「一人で喜び歌う」と解釈できます。だからこそ、ソーラン節の歌詞には「沖の鴎に潮時問えば、わたしゃ立つ鳥、波に聞け」というような一人でいるようなイメージの節が多いのです。
このソーラン節の「チョイ・ヤサエ・エンヤンサノ」も明らかにヘブライ語が語源です。
「チョイ」のルーツはヘブライ語で「ツォイ」という語源で、これは「行進する」、「前進する」という意味です。また、「ヤサエ・エンヤン」は「まっすぐ目指す」という意味です。この言葉はそのままヘブライ語の辞書にも事例としてしばしば掲載されています。
そして「サー」という言葉は、ヘブライ語で「風」を意味します。すなわち、この囃子詞は「たとえ風が来ようとも(約束の地を目指して)真っ直ぐに進め!」という行進の掛け声だったのです。さらにこの囃子詞の最後は、「ノ・ドッコイショ」という掛け声で締めくくられています。
「ナ」は「お願いします」という祈りの言葉であり、「ナ」が「ノ」になまることもあったと考えられます。「ドッコイショ」は「神の助けによって、押しのける」という意味を持っています。
これらを合わせると「神の御力によって押し進んで行けますように!」という祈りの唄になります。
もはや疑う余地はありません。ソーラン節は、荒波を乗り越えて約束の地に向かう際に歌ったヘブライ賛歌であり、神の導きを信じて歩み続ける旅人が、嵐さえも恐れず、たとえ一人でも喜び歌いながら、神に叫び求めてひたすら前進して行くための行進曲だったのです。
これは紀元前7世紀以降、イザヤの預言に従って大陸を横断し、「東の海の島々」を捜し求めたイスラエルの民がアジア大陸から海を渡り、日本列島を目指すときに口ずさんだ賛歌であったとも考えられます。
前途に立ちはだかる大自然の困難にもめげずに、神を信じて航海を続け、海を渡って約束の地へ到達することを夢みた、その喜びの唄がソーラン節なのです。
北海道民謡であるソーラン節のルーツにヘブライ語が秘められていたということは、少なくとも遠い昔、その地域にユダヤ民族が渡来して、日本文化の形成に一役を担ったと考えるか、もしくはヘブライ語に精通している日本の学者が日本語とヘブライ語をブレンドした唄を書いたかの、どちらかと考えられます。このヘブライ文化の影響は北海道だけにとどまらず、日本全土に広がっていました。
本州の最北端、北海道に最も近い青森県では以前からヘブライ民族の渡来が噂されており、モーゼの墓やイエス・キリストの墓まであることは有名です。この墓の信ぴょう性は疑わしくとも、ユダヤ人と何らかのかかわりがなければ、このような墓が日本に建てられる理由を見出すことはできません。青森県の戸来(へらい)村もヘブライに起因しているという説があり、また八戸(はちのへ)はヘブライ語で神を意味する「ヤーヘー」が元来の呼び名ではなかったのかと、取り沙汰されています。
その青森県で唄われる民謡のなかに「ナギャド・ヤラ」があります。ヘブル語学者であり岩手県一戸町出身の神学博士・川守田英二著の「日本の中のユダヤ」ではこの青森民謡が大きく取り上げられ、いかにしてヘブライ詩歌が日本民謡に姿を変えて土着したかが解説されています。
(以上はWEBサイト”日本とユダヤのハーモニー“からの転載です)
青森県のこの民謡「ナギャド・ヤラ」は日本語で考えると、まったく意味が不明です。これは囃子詞だけではなく、唄の歌詞も不可解なのです。しかし、現在まで受け継がれてきたことには何か意味があるはずです。
ヘブライ語語源説を否定する人びとから言えば、ヘブライ語語源説は間違った俗説であると切って捨てます。彼らはこの言葉は地方の方言であったり、アイヌ語や琉球語などの方言がもとになっていると言うのです。また、囃子詞というものは、唄の調子を合わせるために掛ける言葉なので、現在ではあまり意味のない言葉の部分であると結論付けています。
本当にそうでしょうか。彼らはヘブライ語語源説と同じように具体的に語源を証明していません。
単なる想定問答に過ぎないのです。
日本の民謡の囃子詞で意味の分からない言葉は300を超えます。そして、簡単な言葉、例えば
「ドッコイショ、セーノ、ワッショイ、ヨイショ、コラショ、ヨッコラショ、ドッコイ、アソレ、ヨイヨイ、ドッコイセ」などは単なる掛け声かもしれませんが、言葉が本当に長くて、意味がわからない囃子詞があります。それらは、単なる掛け声ではなくて、意味のある言葉だと思われるのです。
それらが、アイヌ語や琉球語や方言でなかったら、そしてそれがヘブライ語で意味のある言葉に説明できるのであれば、ヘブライ語語源説は正しいと考える方が妥当ではないのでしょうか。
その長い囃子詞をピックアップしました。
・ヤートコセーノヨーイヤナアリャリャコレワイセーコノナンデモセー(伊勢音頭)
・ヤーハァーエーヨイトソーリャサーノナーヨーナホイー(気仙坂)
・ハアチョイトチョイト、サノヨーオイエンサーヨイヤラサーノセーエノヤレコノセヤッサーノセーエノヨイコレワサセーエノヤーハーレ(七之助節)
・トイチントイチントイチンサヤーサレチトチレチトイチンサトイチンサ、トイチンサレーテヤサレーテ(トイチンサ節)
・ナニャドヤラナニャドナサレノナニャドヤラ(ナニャドヤラ)
・ハドウシタドウシタ、エンヤーコーラヤドッコイジャンジャンコーラヤ(北海盆唄)
・ハヨイトヨイトハスッチョイスッチョイスッチョイナアモットモダモットモダ(会津磐梯山)
以降は後編に続きます。
---owari---
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