信長が、岐阜城を出て、京都に向かったことがあった。岐阜と近江(滋賀県)との境にある山中というところを通過した時、一人の物乞いがいた。まるでサルのような姿になって、信長に手を差し出し、何かくれといった。
信長はその男にきいた。
「なぜ、こんな山の中でおまえは物乞いなどしているのだ?」
男は応えた。
「昔、この山中を通る落人の女性の着物を剥ぎ、持っていた金品を全部奪ったことがあります。その後、その女性がどうしたのか気になって、毎日苦しんでいるうちに、こんなサルのような姿になってしまいました。おそらく、天の罰が当たったのでしょう。ですから、里へ降りずに、その女性への罪を償うために、こうして物乞いをしているのです」
この時、信長はただそうかと領いただけで、通り過ぎた。が、京都からの帰り道、またサルのような姿をした物乞いに遭ったので、信長は附近の村人を全部集めた。持っていた金を出してこういった。
「この金で、あの男に家を建ててやってくれ。そして残りで畑を切り拓き、穀物が実ったらその一部をこの男に与えてやってほしい。残りは、全部皆で分けてやってくれ。この男は殊勝な気持の持ち主なので、皆が優しくしてやれば、やがてはサルからもう一度人間に戻ることができるだろう」
信長の優しい気持にほだされて、村人たちは、必ずそうしますと誓った。一年後、信長がまた山中を通過した時、辺りは見違えるようになっていた。そして、慈しみ深い表情をした一人の中年者が走り出て、信長の前に手をついた。
「誰だ?」 聞くと、
男は、「あのサルの物乞いでございます」と言った。
信長は驚いた。
「見違えたぞ。一体、何が起こったのだ?」
「あなた様のお蔭でございます。村の人たちが大変温かくしてくださり、いまはこうして村のためにいろいろと働かせていただいております。
それと、いつかお話しした私が物を盗った女性が、この間たまたまここを通りかかりました。私は、あの時のことを詫びて、盗った物を全部返しました。女性は、そんなことはもう忘れたといってくれましたが、気持がスッキリ致しました。そんなこんなで、私の気持が洗われ、もう一度人間に戻ることができました。ありがとうございました」
これを聞くと、信長は嬉しそうに笑った。そして男に、
「よかったな」といった。
信長が治めた岐阜や安土は、道路や橋が整備された。いまでいえば、都市基盤が整備された。それだけではなかった。信長の治める国では、絶対に強盗や人殺しが出なかったという。
だから、夏でも住む人々は窓や戸を空け放したまま寝ることができた。また、旅人が木の陰で寝込んでしまっても、持っている荷物を盗む者は誰もいなかった。
こんなところにも、信長の意外と人に対する優しい一面がうかがわれる。
このようなお話は“山中の猿”として『信長公記』に書かれています。
冷酷非情な面ばかり強調される信長ですが、こうした優しい一面も持ち合わせていたのです。
(作家・童門冬二の『歴史小説』より転載)
---owari---
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