信長はさらに工夫した。それは、
「茶会の開催権は、自分が一手に掌握する」
と宣言したことである。つまり茶の会も簡単には開けなくなった。開く時は信長の許可を得なければならない。言ってみれば、茶会の開催をパテント制にし、その権限の一切を信長が一手に握ってしまったということである。
こういう独占と制約は、信長が意図した効果を生んだ。それは彼の部下大名たちが、給与としての土地よりも、むしろ茶道具の名器を欲しがるようになったことである。
「誰々よ。今度の手柄は見事だ。どこどこの土地をやろうか?」
と言っても、その部下大名は首を横に撮る。
「それよりも、貴方様がお持ちになっているあのお茶碗をいただけませんか」
と言う。あるいは、
「せめて茶の会を一度だけ開かせてはいただけませんか。それによって、私の勢威が高まります」
と告げる。
信長は胸の中でニンマリと笑う。
(作戦が成功した)
と思うからだ。
こうして天下人の織田信長が軸になって、茶の道に関わりのある価値を新たに提出したことにより、土地一辺倒だったかれの部下大名の価値観が大きく変わっていった。先を争って、
「名のある茶道具を手に入れよう」
あるいは、
「俺の名によって、茶会を一度開きたい」
という願望が高まっていったからである。
大名たちの茶の道に対する需要は、そのまま民間にも広がっていった。
(『歴史小説浪漫』作家・童門冬二より抜粋)
---owari---
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