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茶の道は給与にもなると閃いた信長

2025年02月15日 | 歴史
堺のまちの商人から茶の道を教えられた信長は、
「これは政治に活用できる」
と考えた。信長は天下への道をまっしぐらに走り上っていたが、部下に対する給与面で行き詰まっていた。

その頃の給与はいうまでもなく土地で与えられる。だから武士たちには、
「一所懸命」
という考えが洗っている。一所懸命というのは、
「ひとつ所に命を懸ける」
という意味だ。ひとつ所というのは土地のことである。したがって中世から続いてきた荘園制の名残が強く、武士に限らず戦国時代の日本人の価値観は、「土地」を至上に考えていた。

一所懸命というのは、
「一坪でも土地を多く持ちたい。自分の土地を奪おうとする奴は、命懸けでこれと戦う」
ということである。
が、日本の国土はそれ程広くはない。信長は外国人の宣教師から、世界地図を見せられ、あるいは地球儀を見せられて、そのことをよくわきまえていた。

「日本は狭い」
というのが信長の実感だった。だから、
「無定限、無定量に部下に土地を与えていたので、やがて日本の国土では収まりがつかなくなる」
という土地不足、すなわち給与不足を痛感していた。いま信長が考えるのは、
「土地に代わるべき価値のある物が要る。それも給与として与えられる物だ」
ということだ。

堺のまちで会合衆と呼ばれる商人代表たちに会い、千宗易という魚屋兼倉庫業者から、茶の点前を振る舞われた信長は、天才的な閃きによって、この解決策を発見した。
つまり、
茶の道は給与にもなる。

(『歴史小説浪漫』作家・童門冬二より抜粋)

---owari---
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