今までも、愛についてお伝えしてきましたが、ここで、再び原点に立ち返って、「なぜ愛なのか。何ゆえの愛なのか。なぜ愛から出発する必要があるのか」ということについて考え直してみたいと思います。
「愛」という言葉がしだいに一人歩きするようになると、愛という言葉が抽象的に受け止められて、「その内容はいかなるものであるのか」ということが、なおざりになってしまいがちです。
素朴に、率直に、「愛って何だろう」と問いかけられたときに、どれだけの人が、的確で、かつ簡潔な答えをすることができるでしょうか。「あなたが日ごろ言っている『愛』が大事なことはよく分かった。ところで、その愛とは、いったい何なのだね」と訊かれたときに、適切に答えられるでしょうか。
お仕着せの言葉ではなく、もっと易しく分かりやすい、自分自身の言葉で説明できなければなりません。それができなければ、まだまだ悟りが本物になっていないということです。
悟りが本物になっていることの証拠は、分かりやすい、自分自身の言葉で説明できることです。「難しいことを易しい言葉で、易しい言葉をさらに易しい表現で説明し尽くし、相手の納得を得ることができる」ということが、その人が悟りを得ていることの、一つの指標でもあるのです。
結局、身近な人をつかまえ、分かりやすい言葉で説明して、その人に「なるほど」と納得してもらえればよいのです。それが、あなたが悟りを得てきているという証左なのです。
いままでに、「与える愛」「愛の実践」ということをお伝えしてきました。
そこで、「『愛って何だろう』ということについて、いろいろな考え方をしてみよう。愛をもっともっと深めてみよう。愛をもっともっと簡単に言い切ってみよう」と、私は提案したいのです。
---owari---
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