ヨットマンが海外の航海から日本に帰って来たときに一番早く見えるのが富士山ということでした。その時の富士山は素晴らしく、日本に帰って来たと感じるそうです。遠くからでもその存在感は強く、日本を感じさせてくれる山が、霊峰・富士山ということです。
日本人ならずとも海外の方にも良く知られた存在で、毎年30万人前後の登山者が富士山に挑む。富士五湖は冨士山をいっそう気高く魅せる舞台装置のように見えるのです。とはいえ、富士山は青年期の火山であることも事実です。
富士山が現在のような形になったのはおよそ1万年程前だといわれている。数十万年前に現在の場所で最初の噴火が始まり、何度も噴火を繰り返すことによって積もった火山灰や溶岩が次第に山を形成、標高3000メートルを越える山に成長した。
ただ、順調に成長を続けたわけではなく、ある程度大きくなると、山頂付近から大きく崩れる山体崩壊という現象を何度も繰り返したのです。山体崩壊による岩屑雪崩や土石流の堆積によって造られた緩やかな斜面を、富士山特有の粘り気の低い玄武岩の薄い溶岩流が覆い、美しいすそ野が形成されていったのです。
富士山は噴火を何度も繰り返して出来た成層火山で、他に八ヶ岳、赤城山などがあるが、それらは決して綺麗な円錐形ではない。富士山はこれまでの噴火の仕方や、地層、地質、マグマ帯など様々な要因が重なって、奇跡的にもあれほどまでに美しいシルエットを描き出しているのです。
きれいな放物線を描いたコニーデ型の稜線。天下無双の高さを持った単独峰。いずれも数十万年の時を経た結果であり、尊いものであります。
登山界のトータルコーディネーターを目指して、次々と新たな仕掛けを考える山田淳さんのお話です。
僕は世界中の山を登りました。海外の自然は雄大だけれども、基本的に一年中変化はありません。しかし、日本の山には四季の移り変わりがある。雪化粧したり、紅葉で色づいたり、美しい表情をたくさん見せてくれる。こんな山は世界的にもすごく珍しいんです。僕は、この「財産」を生かした日本の観光立国を構想しています。
日本の山には「国際競争力」があります。それはこの国の強みで、生かさない手はない。そのためにも、まずは日本人に、自国の山の素晴らしさをわかってほしいんですよ。
富士山は五合目を越えると緑も少ないし、自然は決して豊かじゃない。でもだからこそ変化がよく見えるんですよ。例えば、気温が低いから7月に春の花のシャクナゲが咲いている横で、ちょっとの寒暖差で秋になったと勘違いしたアキノキリンソウが咲き出すとか。7月と8月でも見せる表情は全然違う。富士山のおもしろさがよくわかったし、富士山が好きになりました。それに富士山は、出会う人も魅力的なんですよ。
富士山の年間30万人の登山者のうち、6割は「山登りは初めて」な人たちなんです。世界中の4000メートル近い山で、そんな山は他にない。それが可能なインフラが整っているということなんですけど、本当にいろんな方がいらっしゃって、おもしろいですよ。「富士山に登れたらもう思い残すことはない、だから何が何でも登りたい」という方もかなりいらっしゃる。無理はよくないけれど、そのくらいの意気込みで来てくださっているのです。
あまり好きな言葉ではないですけど、やっぱり“パワースポット”なんだと思います。登っていても、他の山とは全然違う荘厳さがある。富士山は富士講で有名ですけど、やっぱり神様が住む、神聖な場所だと思います。世界遺産の指定を、自然遺産じゃなくて文化遺産で受けたというのは、僕としてもしっくり来ました。
富士山はよく「登る山じゃない、見る山だ」と言われますけど、僕は大賛成です。ただし、きれいな形を見るんじゃなくて、「富士山から景色を見る山」。日本一の展望台ですからね。視界がいいと三重から千葉まで見えるし、起伏に富んだ海岸線もずーっと見える。夜はもちろん夜景です。
東京、横浜、さいたま市辺りの夜景は、ちょっと明るすぎるんじゃないか、と思うくらいきれいですよ。隅田川の花火大会やレインボーブリッジも、ちっちゃくだけど、見える。海岸線や街が見える4000メートル近い山は、世界でも数えるくらいなんです。
だいたい4000メートル近い高さの山は海岸線からも街からも離れているものだから。さらに珍しいのは、あれだけの高さの山が、山脈じゃなくて独立峰だということ。一面の雲海は富士山ならではですしね。ぜひ富士山からのあの景色を、たくさんの人に見て欲しいです。
さて、皆さんは山田さんのお話をどのようにお感じになったでしょうか。
富士山の素晴らしさをお感じになられたでしょうか。
富士山の存在が奇跡に近いことをお察しになられたでしょうか。
富士山の美しさの秘密をお分かりになられたでしょうか。
昔、秦の始皇帝の時代、東海の日本の中に蓬莱山(富士山)があり、不老不死の仙薬があると大陸では伝えられていた。当時、伝説の学者であり不老長寿の研究家であった徐福は、蓬莱山に渡って不老長寿の薬を求めてくると始皇帝に申し出た。始皇帝は大いに喜んで、徐福に多くの財宝と童子数千人を与えて船出させた。
太平洋を海岸線に沿って北へ航海していた徐福たちは雲上に伸びる雄大な山を見ます。この山こそ大陸に伝わっていた「東海中の蓬莱山」であり,不老不死の仙薬があると考えられた富士山でした。一行は現在の富士市か沼津市に上陸し,富士山をめざしました。
しかし、不老不死の仙薬を探し求めた徐福でしたが、結局見つけることができませんでした。このまま国へ帰ることができず,徐福はここに永住することを決意しました。連れてきた童子数千人と河口湖の北岸の里で農地開拓をしました。この地の娘を妻として帰化し、村人には養蚕・機織り・農耕技術などを教えました。
その後、土地の古老は、彼は死んだが一族は数万人に増えたと語り、その一族は秦氏を名乗っていると言ったのです。この秦氏が将来の京都・平安京を造った強大なスポンサーだったのです。
富士山が呼び寄せた不思議な縁、強烈なるパワーと言わざるを得ません。
富士山はいにしえより人びとを魅了し、今もなお美しい姿を保っている。
富士山を見に行こう!
---owari---
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