富士山はキングマウンテンである。周囲は富士山の気高さを醸し出すように、山並みは見られない。ただ、ひとつそびえている。まわりは富士山のすそ野が広がるのみで、それが富士山を際立たせている。
あの雄姿が富士山信仰の生まれた元になっているのではないでしょうか。孤高の富士はスポットライトを浴びたスターのような貫禄がある。まさに世界一の美しさである。
2013年6月、富士山は「文化遺産」として、世界遺産に登録されました。当初、富士山は「自然遺産」への登録を目指していましたが、当時の富士山といえば、し尿は垂れ流し、裾野にはゴミが放置されていたので、「自然遺産」としての登録はなりませんでした。
今では山小屋のトイレが整備され、登山者自身のモラルも高まりました。裾野へのゴミの廃棄も見られません。どこから見ても美しい富士山になっています。
私はこの世界遺産登録となる1か月前、たまたま富士山を観光しました。ホテル宿泊中に登録のビッグニュースを聞き、観光客が多くなる前に来れてよかったと感じたものでした。
学生時代に箱根に宿泊して早朝、朝日に染まった赤富士を見て感激して以来、二度目の富士山でした。今回の旅行では、間近で雄大な富士山の姿をこの目に焼き付けておきたかったのです。
理由はそれ以外にも、前年に心臓の手術をして経過が良かったこと、定年退職するまでに家族で旅行をしたかったこと、伊勢神宮の式年遷宮(2013年)に合わせて富士山とお伊勢さんを訪れたかったことなどです。
しかし、私にとって最大の理由は、富士山が噴火して山体崩壊が起これば、あのように美しい稜線が見えるのは、あと数千年以上かかると思ったからです。当時から富士山ではあちらこちらで噴気が上がり、火山活動が活発になっており、噴火することが取りざたされていました。
旅行出発の朝、神戸では6時から小雨が降り出し、車で向かった滋賀県の第二名神高速では土砂降りの雨になっていました。今回は富士山が見えないままに伊勢へ行かなければならないと覚悟をしました。本栖湖に到着して、雨は上がりましたが、富士山は見えませんでした。
5,000円札に描かれている富士山は本栖湖から映したものですが、雲がかかりその絵を確かめることはできませんでした。しかし、低く動くその雲は、龍のような迫力を感じました。段々と雲が切れだし、西湖に行く途中で突然、富士山が見えたときは本当に感動しました。
それからだんだんと晴れ間になり、河口湖についた時には富士山の頂上から裾野まで全体がくっきりはっきりと見え、その壮大さを全身で感じることができたのです。
これほど大きく山を感じたことは今までになかった。また、富士山と河口湖の大きさの比率もベストと思われた。ここから見る富士山は間違いなく絶景である、というよりも富士山の雄大さに圧倒されたというのが本当かもしれない。この世に生まれた人は必ずこの光景を見るべきである、と感じたのです。
河口湖の湖畔の花壇で、小さな花々の横にヨーロッパ観光客の老夫婦が近づき、妻がその花の横に座り、夫が富士山と河口湖をアングルに入れて、写真を1枚撮っていました。とてもつつましく微笑ましいと感じたのです。
宿泊する山中湖近くの「ホテルマウント富士」は、少し小高い山の中腹に建てられていましたが、客室から富士山が目の前に大きく広がり、本当に富士山を満喫できました。
河口湖から見た富士山も素晴らしかったが、山中湖東側から見た富士山は素晴らしく、私は富士山を正面から見た感じがしました。
今日は土砂降りから晴れるまでの富士山の変化を一日ですべて見ることができ、本当にラッキーであったと天に感謝したのです。
あくる日は、富士スバルラインで五合目まで行きました。五合目のお土産店付近の展望台では中国人観光客が多く訪れていたのですが、展望台の撮影スポットでは撮影場所を独占されて日本人観光客が写真を取れない状態でした。中国語を話せない日本人は我慢強く待っていました。
お土産店に入ると、売り場は中国ではないかと思うほど、商品はけばけばしく派手なパッケージが多かったように見えました。また、店内の一角に、簡易郵便局があり、記念切手を購入するために並んでいたのですが、中国の人は横入りしたり、後ろから押すようなしぐさがありました。
また、道路の真ん中でポーズを取り写真を撮っている若者もいました。警備員の方が注意をしているのですが、ちょっとぐらい、いいでしょう、というような感じでした。
中国の人も外国旅行を通じて、エチケット・マナーの向上を目指してほしいものですね。
五合目の観光客は外国人観光客の方が多く、日本人観光客は2割にも満たない状況でした。世界遺産登録前でこの状態ですから、まだまだ訪日外国人は増えると感じたのです。
それから、富士急ハイランド近くの「富士山美術館(フジヤマミュージアム)」を訪れました。近現代の著名画家たちが富士山を描いているのですが、同じ山をモデルに描かれているのに、不思議なことに、どれ一つ同じ絵はなかったのです。
それほど富士山は多くの人に違う感動を与えているのです。画家個人の目に写った富士山は一人ひとり違うのです。どんな心情で、どんな時間に、どんな季節に、どんな年齢で見るかによって、富士山は大きくその姿を変える。富士はそれほど懐が深く、多くの顔を持っているのです。
---owari---
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