諸々の比丘、比丘尼たちよ。
私はひじょうに悲しい。
おまえたちは、宗教と呼ばれることを、ずいぶんと恐れているようだ。
おまえたちは、自分が妄信・狂信をしているように、
人びとから言われるということを、ずいぶん恐れているようだ。
しかし、私は言っておく。
事実は事実、真実は真実。
何人もこれをねじ曲げることはできない。
あなたがたを、たとえあざ笑い、否定し、批判し、
また、誹る者が現れても、彼らは何も知らないのだと思いなさい。
何も知らない彼らが、
真実を知っているあなたがたを批判することはできないのだ。
人は、自らが知りえたること以上のことを言うことはできない。
自ら認識しえたこと以上の認識を示すことはできない。
同じ時代に、同じ地域に、同じような立場で生まれ合わせたとしても、
それぞれの魂の境涯はさまざまである。
それは、永遠の進化の過程において、
ある者は早く進み、ある者は歩み遅くついてきているからだ。
その事実が、地上にある間には、なかなかわからない。
いや、むしろその逆であることも多い。
この世では、この世的に住みよい人、
この世的に住みやすくしたいと思う人間、
この世的によりよく生きたいと思う人間を、
重用する傾向がある。
それゆえに、あの世を信じ、あの世の世界の幸福を願う人間が、
この世では生きにくくなっているやもしれぬ。
されど、勇気を奮い起こせ。
真実を知っている者は、強くなくてはならない。
真実を知っている者は、心弱くあってはならない。
口さがない者たちの批判に負けてはならない。
表面的な理解しかできていない者たちの批判に、負けてはならない。
真実は真実、事実は事実。
世の常識を、世の常識としていつまでも通用させてはならない。
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
私は、おまえたちに、これだけはどうしても言っておきたいのだ。
おまえたちの最低限の仕事として、
人びとに永遠の生命を教え、
また人間がこの世とあの世を転生輪廻している存在であるということを、
教える必要があるということなのだ。
実は、この思想こそが、
人間として生まれ、生き、成長してゆく過程において、
発見するところの最大の真理であるのだ。
ほかにいかなる地上的真理を学ぼうとも、
それらの真理の値打ちは、この真理にはかなわない。
この真理から見れば、ほんの子供だましにしかすぎない。
人間が永遠の生命を生き、転生輪廻をしているという事実、
その事実を知った時に、人びとの価値観は変わらざるをえない。
人びとの価値観はまったく百八十度の転換を見るようになるであろう。
すなわち、それより後、
人びとは、自分の人生をもっともっと長い時間のなかで、
考えることができるようになってゆくということなのだ。
---owari---
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