諸々の比丘、比丘尼よ。
しかし、地上のいかなる権威が否定しようとも、
地上のいかなる身分ある人が否定しようとも、
地上のいかなる知恵ある人が否定しようとも、
されど、我が教えの真理に誤りはない。
人間は、永遠の魂を得、転生輪廻の過程にあるのだ。
この真実は、何人も否定することができない。
この真実を否定するということは、
仏の心を否定するということだ。
仏の存在を否定するということだ。
仏の存在を否定するということは、
仏の創られた世界を否定するということだ。
そして、仏の創られた人間を否定するということだ。
すなわち、人間が人間自身を否定するということだ。
しかし、考えてもみよ、恥ずかしいことではないか。
仏が創られ、
永遠の魂を与えられた人間である、ということを信じることを、
なぜ恐れるのか。
なぜ、それが奇妙なことに思われるのか。
なぜ、それがばかばかしい話に思われるのか。
なぜ、人間がアメーバから進化してきたということを信ずることが、
それほど尊いのか。
なぜ、人間が物質のかたまりで出来上がったことを信ずることが、
それほど尊いのか。
ばかなことを言ってはいけない。
そんなことで、何ゆえに人間の尊さというものがあるのだろうか。
人間の尊さとは、人間の内に宿れるものの尊さであるのだ。
人間の内に宿れるもの、それは、すべてのものが、
仏より岐れてきた生命であるということなのだ。
仏によって創られた生命であるということなのだ。
それが人間の尊さなのだ。
この尊さがわからない者には、
一切の善はわからない。
一切の美がわからない。
一切の真理がわからない。
一切の善も、一切の美も、一切の真理もわからない人間は、
もはや、人間であって人間ではない。
それは、人間の外形をとどめているだけだ。
人間として、地上に生まれ、生きていく途上で最も大切なことは、
尊さということを知ることである。
この地上的な体験のなかから、尊さというものを感じ取ることである。
自らが生かされていることの尊さを、
他の生命が生かされていることの尊さを、
仏の創られた世界の尊さを、
それを強く強く感じ取ることである。
---owari---
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