このゆびと~まれ!

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尊さを知る

2018年05月30日 | 人生

諸々の比丘、比丘尼よ。

しかし、地上のいかなる権威が否定しようとも、

地上のいかなる身分ある人が否定しようとも、

地上のいかなる知恵ある人が否定しようとも、

されど、我が教えの真理に誤りはない。

 

人間は、永遠の魂を得、転生輪廻の過程にあるのだ。

この真実は、何人も否定することができない。

 

この真実を否定するということは、

仏の心を否定するということだ。

仏の存在を否定するということだ。

仏の存在を否定するということは、

仏の創られた世界を否定するということだ。

そして、仏の創られた人間を否定するということだ。

すなわち、人間が人間自身を否定するということだ。

 

しかし、考えてもみよ、恥ずかしいことではないか。

仏が創られ、

永遠の魂を与えられた人間である、ということを信じることを、

なぜ恐れるのか。

 

なぜ、それが奇妙なことに思われるのか。

なぜ、それがばかばかしい話に思われるのか。

なぜ、人間がアメーバから進化してきたということを信ずることが、

それほど尊いのか。

 

なぜ、人間が物質のかたまりで出来上がったことを信ずることが、

それほど尊いのか。

ばかなことを言ってはいけない。

そんなことで、何ゆえに人間の尊さというものがあるのだろうか。

 

人間の尊さとは、人間の内に宿れるものの尊さであるのだ。

人間の内に宿れるもの、それは、すべてのものが、

仏より岐れてきた生命であるということなのだ。

仏によって創られた生命であるということなのだ。

それが人間の尊さなのだ。

 

この尊さがわからない者には、

一切の善はわからない。

一切の美がわからない。

一切の真理がわからない。

一切の善も、一切の美も、一切の真理もわからない人間は、

もはや、人間であって人間ではない。

それは、人間の外形をとどめているだけだ。

 

人間として、地上に生まれ、生きていく途上で最も大切なことは、

尊さということを知ることである。

この地上的な体験のなかから、尊さというものを感じ取ることである。

 

自らが生かされていることの尊さを、

他の生命が生かされていることの尊さを、

仏の創られた世界の尊さを、

それを強く強く感じ取ることである。

 

---owari---

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