悩みのときには、必ず、心が二つ、あるいは三つ以上に割れ、やがて千々に乱れていきます。このときに、「どちらの考え方をしたほうが自分は得か」と考えてみることです。これを自問自答してみてください。そうすれば、おのずと結論は出ます。
たとえば、資格試験などでも同じことが言えます。試験ですから、受かる人もいるし、落ちる人もいます。ところが、受かっても、自分の点数が自分の予想より悪いので怒り狂う人もいるのです。笑い話のようですが、本当にいるのです。
たとえば、合格点が七十点として、ある人が七十一点で合格したとしましょう。ところが、自分のプライドから言えば九十点のはずだと思い、受かっているのに怒り狂う人もいるわけです。
七十一点で合格したとしても、「ビリのほうで受かった。悔しい」という考え方もあれば、「あまり勉強していないのに受かった。これは仏の思し召しに違いない。私は愛されている」という考え方もあります。このように、考え方は人によっていろいろあるのです。
悩みを合理化していくこともよくあります。人間は悩みを合理化するものです。実にいろいろな合理化をします。「イエス様も苦しまれた。私も苦しむのは当然である」などと合理化する人もいます。
また、合理化だけではなく、正当化することもあります。
したがって、まず大事なのは、「どちらが得か。そして、自分はどうなりたいのか」ということを考えることです。
幸福よりも不幸のほうを選んでいく人の場合は、どうしようもないのです。アドバイスをしたとしても、そのアドバイスも悪いほうに取っていくのですから、どうしようもありません。
仏は救おうとしていても、自分で堕ちていく人だけは、どうしようもないのです。これは自由意志のなかに入っているので、自分で不幸を選んでいく人は、どうしようもありません。
まず、「幸福を選びたい」という気持ちを持つことが大事なのです。(仏法真理)
--owari---
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