苦労を重ねてできあがった蚊帳を外務省のODA(政府開発援助)担当者やJICA(国際協力機構)に説明したが、その良さは理解が難しく、反応は鈍かった。川崎は現地でこの蚊帳の効果を実証することが必要と考え、「小規模援助」に着目した。各途上国の日本大使が少額の人道支援を大使権限で実施できるという仕組みである。
この仕組みを使って、5年ほどの間に43カ国にわたって、数十帳から時には千張もの蚊帳が現地で使われるようになった。マラリアの院内感染が明らかに減少した、という報告も6カ国からあがってきた。
しかし、思わぬ所から横やりが入った。マラリア対策に取り組んでいるアメリカの国際開発庁から、1990年にクレームが届いたのである。
自分たちがせっかく殺虫剤を「含浸するタイプの蚊帳」を広め、ユーザーである住民自身での「再処理」の習慣を根付かせるための啓蒙活動を行っている横で、「再処理をしなくてよい」という製品を展開するとは、どういうことなのか。マラリア対策プログラムに対して、「マイナスの影響を与える製品」の展開はやめてほしい。
国際開発庁が広めようとしていた蚊帳は、単に殺虫剤の溶液に漬けて、繊維の表面に殺虫剤が付着しているだけの従来型のものだ。半年もすると殺虫剤が消え失せて、効果もなくなってしまう。そのために、半年ごとに殺虫剤の溶液に含浸するという「再処理」が必要だった。それをいかにアフリカの住民にさせるのかが、ネックとなっていた。
マラリア退治を真の目的としていれば、再処理を必要としない住友化学のオリセットネットの登場は両手をあげて歓迎すべきことだった。しかし、国際開発庁の担当者たちは、そんな事をしたら、自分たちが今まで進めてきた対策を否定することになる、と考えたのだろう。
いかにも唯我独尊、不合理な主張だが、米国の国際開発庁は世界のマラリア対策の主導権を握っていた。その影響力で、各国からの注文は減っていった。今まで事業を担ってきた川崎も奥野も他の部署への異動を命ぜられた。オリセットネットの先行きは真っ暗になった。
一人、オリセットネット事業に残った伊藤は、それでもあきらめなかった。今までの各地での適用成果をレポートにまとめて、WHO(世界保健機構)の認定を受ければ、道は開けるかもしれない、と考えた。認定には3年の年月と数百万円の費用がかかる。伊藤は新しい上司を説得して、なんとか申請の許可を貰った。
その申請を受け取ったWHOの職員、ピエール・ギエ博士はルワンダ人の学生スタッフを呼んで聞いた。「この申請は、スミトモからのあの蚊帳か」「ドクター・ピエール。間違いありませんね。日本のスミトモの、オリセットネットという蚊帳です」
ピエールはフランスの開発研究局の出身で、以前からアフリカの現地でマラリア対策活動について研究を積み重ねていた。その学生スタッフが、ある日、持ち帰った蚊帳を見て、「これは、珍しい製品があったものだね」とピエールは感心した。それは川崎の時代に少額無償援助で各地にばら撒いたオリセット蚊帳のひとつだった。
マラリア対策の現地での実態を目の当たりにしていたピエールは、住民に従来型の蚊帳を再処理させることが、その普及の妨げになっていることを理解していたのである。
その時の事を思い出しながら、ピエールは思った。
そうか。あの蚊帳がついにWHOに認定の申請をよこしてきたというわけか。今の動きからすると、これは大きな潮目の変化になり得るかもしれない。
2001年春、ピエールから伊藤にメールが入った。オリセットの件で話がしたい、ということだった。来日したピエールはフランス語訛りの英語で伊藤に言った。
WHOは今、マラリア対策蚊帳について、大きな方向転換をしようとしています。これまでに再処理を行わせることで、ユーザー住民の啓蒙を図ることを目指してきました。だが今、ようやく、そのプロセスを経ていては、普及が進まないということが、合意となりつつあります。
WHOはそう遠くない将来、長期残効蚊帳、つまり再処理をしなくても、長期間にわたって殺虫効果が残るものを推奨する方向に舵を切り替えるでしょう。そのときに、あなたがたのオリセットの蚊帳は、現時点で最も性能面で優れている蚊帳であると理解せざるを得ません。
同年10月、WHOは「長期残効蚊帳」という新しいカテゴリーを創設し、その第一号認可品としてオリセットを推奨した。WHOが新カテゴリーまで創設して推奨するのは前代未聞のことだった。同時に「フィールド評価用」として、7万張りもの発注をしてきた。今までの在庫が一掃されるだけでなく、大至急、増産体制を作らなければならなかった。
伊藤は上司に掛け合って奥野を戻して貰った。奥野は事態の急進展に驚いたが、大車輪で動いて、年間10万張りの生産体制を整えた。
WHOはさらにオリセットの急速な普及を促進するために、矢継ぎ早に手を打ってきた。
すばらしい技術であるオリセットの技術を、アフリカで現地生産できるよう、できれば無償で蚊帳生産技術を供与してほしい。それにより生産規模を拡大し、安く大量の蚊帳を供給できる体制を構築したい。
WHOは「安く大量の蚊帳を供給できる体制」のメンバーも揃えていた。住友化学が殺虫剤、エクソンモービルがポリエチレン樹脂を提供し、技術供与されたアフリカ現地の製造委託先が蚊帳を製造する。それをユニセフが買い上げ、PSI(ポピュレーション・サービス・インターナショナル)がマラリアの感染地域に配布・啓蒙を行う、という体制である。
「WHOが無償でうちの技術が欲しいといっていると?」と、社長の米倉弘昌は上申書に目を留めた。技術で商売をしてきた住友化学がタダで外部に技術を出すなど前代未聞だった。
しかし、と米倉は考えた。技術料をタダにしても、その分、製品価格が下がり、販売量が増えれば、殺虫剤の販売だけでも利益は確保できるだろう。なにより、それだけ多くのマラリア患者を減らせるし、現地生産によって現地の雇用も生み出せる。
アフリカでの製造技術移転先として、ピエールからの紹介もあり、タンザニアの企業、AtoZが選ばれた。住友化学が設備投資のアドバイス、機械の調達先の紹介、ライン作り、作業者の指導まで行った。
やっとのことで生産ラインを設置し、しばらく経ってから、住友化学の指導員が訪問してみると、工場の床は散乱し、物も乱雑に置かれていた。そんな状況から、指導を繰り返し、2005年には300万張りへと拡大することができた。
米倉社長がダボス会議で「これだけ多くの世界中の人々に、うちの蚊帳は期待されているのか」と感じたのは、この頃のことであった。
ユニセフからは再三にわたり、オリセットの供給能力を年産数千万張りに増強して欲しいとの要求が来ていた。増産のために、現地でのもう一つの製造会社として、AtoZ社のグループ会社と住友化学のジョイント・ベンチャーを作った。
こうした思い切った増産により、現在、タンザニアの生産能力は年間3,000万張りに達し、最大7,000人もの雇用機会を生み出している。なによりもオリセットネットやその他の対策の効果もあいまって、マラリアによる死者はかつての100万人規模から現在では60万人レベルに減少したのです。
住友化学の創業以来の理念は、住友精神である「自利利他公私一如」。つまり、「自らの利益を得るものであるとともに、社会に対して利益をもたらすものでなければならない」という意味だ。オリセットネットは、この理念を具現化したのです。
(参考文献・資料)
・無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』・・・伊勢雅臣氏
・『日本人ビジネスマン、アフリカで蚊帳を売る:なぜ、日本企業の防虫蚊帳がケニアでトップシェアをとれたのか?』浅枝敏行 著/東洋経済新報社
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