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日本の蚊帳、マラリアの感染を救う(前編)

2017年08月31日 | 外国

マラリアはアフリカの人々にとって恐怖の病である。全世界で毎年3億~5億人が罹患し、100万人以上が死んでいるが、その9割がアフリカの住民。しかも犠牲者の多くは抵抗力が弱い5歳以下の子どもが多い(2006年WHO公表)。

 

ワクチンはいまだに開発されていない。感染を予防するには、マラリア原虫を人から人へ移すハマダラカに刺されないように注意するしかないというのが現状なのだ。

 

感染すると、就業や教育の機会を失うこともあるため、「貧困の病」とも呼ばれている。

開発の進んでいない地域やそこでの貧困が、結果としてテロにかかわる人々や勢力を生み出す温床になりかねない側面もあることから、より安全で豊かな世界をつくるべく、マラリアの抑制は全世界の重要課題のひとつとして、多くの方策が試みられてきた。

 

2005年、国際社会を代表する政治家や実業家が年に1回、スイスの保養地ダボスに集まって、世界の諸問題を討議するダボス会議がある。この年の「貧困撲滅のための財源に関する分科会」で、一つの事件が起きた。

 

壇上から、タンザニアのムカパ大統領が「今日も、この瞬間も、マラリアで亡くなっていく子供たちが存在します。今すぐに助けが必要なのです」と訴えた。現実に2000年には世界で84万人の死者が出ており、そのほとんどがアフリカだったのです。

 

それを聞いていたハリウッド女優のシャロン・ストーンが「私が個人として、一万米ドルを供出します。それでオリセットの蚊帳(かや)を購入して配布してほしい。他にも賛同する方はいませんか」と呼びかけた。その呼びかけにマクロソフトのビル・ゲイツなどが次々に賛同し、その場で100万ドル、1億円相当の寄付が集まったのです。

 

この光景は、世界中のマスコミに取り上げられ、大きな反響を呼んだ。

シャロン・ストーンが購入を呼びかけた蚊帳はオリセットネット。開発したのは、実は日本人と日本の会社であった。

 

オリセットネットは蚊帳を作るポリエチレンの糸に防虫剤を練り込み、それが徐々に表面に染み出して、5年以上も防虫効果を保つという製品で、日本の住友化学が開発したものです。

 

ダボス会議の前年に、オリセットネットは米国の『TIME』誌から、"Most Amazing Invention"(最も驚くべき発明)の表彰を受けており、シャロン・ストーンが「オリセットの蚊帳を」と言い出したのは、こういうニュースで有名になっていたからではないでしょうか。

 

ダボス会議に招待されていた住友化学社長・米倉弘昌(よねくら・ひろまさ)は、この光景を見ていて、「これだけ多くの世界中の人々に、うちの蚊帳は期待されているのか」と思った。「これはうちとしてもひとつ、覚悟をもって世界の期待に応えていかねばなるまい」と決心したのです。

 

アフリカの現地では、政府やユニセフなどが配布するオリセットネットを受け取るために、十数キロメートルも離れた家から家族と一緒に歩いてくる子どもたちがいる。みんな純真無垢で、蚊帳を手に取ると、とてもうれしそうに笑うそうだ。子どもたちは自分の体と同じ大きさの袋を両手に抱えて家路につく。

 

アフリカの住民にとって、まさに“救いの神”というべき製品を開発したのが、住友化学の伊藤高明だった。1973年、名古屋大学大学院を修了した伊藤は住友化学に入社する。研究所に配属され、シロアリ防除剤をはじめとした農薬の研究に携わり、10年後、ハエ、蚊、ゴキブリなどの殺虫剤の研究室に異動した。住友化学ではマラリア防除用に「スミチオン」という薬剤を販売していた。

 

80年代半ば、「薬剤で殺虫処理をした蚊帳がマラリア感染防止に効果がある」との論文が世界で相次ぎ発表された。伊藤も研究段階ではあったが、「蚊帳が絶対に効果がある。何とかビジネスにならないものか」と模索しているところだった。

 

90年代に入って伊藤が思いついたのは、工場の夜間操業用の防虫網戸を蚊帳に転用するアイデアだった。その網戸はポリエチレン樹脂に殺虫剤を練り込んだ糸を使っていた。つまり、今のオリセットネットのモデルだ。放置しておいても数年間は効果が持続するうえ、再処理の手間が省ける。

 

こうして開発された蚊帳は、紆余曲折を経て2001年、世界保健機関(WHO)から世界初の「蚊によって媒介されるマラリア対策の推奨品」(長期残効薬剤処理蚊帳)として認定されたのです。

 

以来この蚊帳は、累計で2億張り以上がWHOや各国保健省の手によって、蚊が媒介する感染症のリスクのある地域の妊婦や幼い子供のいる家庭に配られ、使用され続けている。

 

ここまで来るまでには、住友化学の中で多くの人々による十数年にわたる悪戦苦闘があった。発端は、かつて住友化学が世界のベストセラーとして売っていたマラリア対策の殺虫剤スミオスチンが徐々に売り上げを減らしていたことだった。

 

日本では戦後の早い時期に、下水溝整備など蚊の発生源対策と殺虫剤散布により、マラリア撲滅に成功していた。しかし広大なアフリカ大陸で発生源対策も不十分なまま、殺虫剤を撒き続けていて、いつかはマラリア撲滅に成功するのだろうか? そんな疑問が先進国の政府援助を減らしつつあった。

 

海外農薬事業を担当していた川崎修二は、この苦境を乗り切る術(すべ)はないかと、旧知の世界の熱帯医学の権威的存在である英国の医学研究所のカーチス博士に相談した。博士の答えに川崎は驚いた。

 

あなたがた日本人ならみんな知っているかと思った。今、注目されているのは蚊帳を使ったマラリア対策ですよ。

 

日本人の伝統的な生活の智恵である蚊帳が、マラリア対策として注目されているという。しかも、博士はその蚊帳に殺虫剤を染みこませておけば、蚊の絶対数を減らしていける、という。

川崎の下で研究に従事していた伊藤も、アメリカの国際開発庁が殺虫剤に浸した蚊帳を使って、住民参加の実験を始めている、という情報をつかんでいた。しかし、その蚊帳は単に殺虫剤の溶液に浸しただけで、半年ごとにそれを繰り返す「再処理」をしなければならない。

 

途上国の普通の人が、殺虫剤の液で蚊帳を処理すること自体が、常識的に考えてあり得ない行動なのだ。本気で、このやり方を定着させるつもりなのか。

 

伊藤は樹脂の中に殺虫剤を練り込んで、少しずつ滲み出てくるようにすれば、「再処理」などしなくとも長く使える蚊帳が作れるのでは、と思いついた。そこで樹脂や製造工程に詳しい奥野武に相談した。奥野は初めは、そんなものは商売にはならない、と乗り気ではなかったが、熱心な伊藤に根負けして開発を始めた。

 

奥野は、繊維の中に練り込まれた殺虫剤の分子がどのような温度でどう動くのかまで検討して、樹脂の仕様や製造方法を検討した。その結果、何年も殺虫効果が続く樹脂を作ることができた。

 

また、伊藤は、暑いアフリカで蚊帳の中を少しでも涼しくするための編み目の大きさにもこだわった。日本などの一般家庭で使われている蚊帳の網の目は、幅1~2ミリメートルと非常に小さい。蚊は編み目を通過しようとする時、羽を広げた状態で通ろうとする事を発見し、マラリアを媒介するハマダラカは日本の蚊よりも一回り大きい事から、編み目を4ミリ幅に大きくする事とした。

 

後編へ続く。

 

(参考文献・資料)

・無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』・・・伊勢雅臣氏

・『日本人ビジネスマン、アフリカで蚊帳を売る:なぜ、日本企業の防虫蚊帳がケニアでトップシェアをとれたのか?』浅枝敏行 著/東洋経済新報社

 

---owari---

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