物事にはすべて原因があり、その原因相応の結果が表れてくるものです。
したがって、「いかに、よき原因を種としてまくか。そして、いかに、それを育て上げ、実りとして回収するか」という考え方が大事なわけです。
「ダイナマイト思考」という考え方があります。それは、まさしく心のなかに、爆発的なる力を宿す種子を植えつけようとする考え方なのです。
世の中の人々を見るにつけても、あまりにも弱々しく生きている人が多いのが、とても不思議に思えます。弱々しく救いを求め、弱々しく助けを頼む人たちで、満ち満ちているように思えるのです。
しかし、古い宗教の他力思想のように、「お題目を唱えれば救われる」「阿弥陀仏の名を称えれば救われる」といった時代は、もはや過ぎ去ったかもしれないのです。
即席でワンパターンな、「何らかの験(しるし)によって人々を救おう」という考え方ではなく、「各人が、その心の奥に潜んでいる偉大なる思想、思考力を種子として、それを成長させていく」という考え方のなかにこそ、万人を救う鍵があると思います。
このことは、心の働きというものの力をまだ充分に知らない人からは、「単なる言葉のあやである」「まやかしである」「気休めである」というように捉えられることもあります。
そして、人々は、そうした根本的な思考方法を捨て、目先の利益に走ったり、目先の現象に走ったりしがちになります。「これをやれば、お金が儲かる」「これを拝めば、病気が治る」といった、目先中心の考え方に走っていく傾向があるのです。
人間は、そのようなものに迷いやすいという、弱い性格を持っているかに見えることもありますが、私は、その人間をこそ強くしたいと思うのです。
強くなることによって解決する悩みは、それこそ数限りないほどあります。いや、言葉を換えると、「その人が強くなって解決されない悩みなど一つもない」と言っても過言ではありません。
たとえば、しくしく泣いていた子供が、飴玉一つで笑顔になることもあるし、ほめ言葉一つで勇気が出てくることもあるし、通りかかった人に頭をなでてもらっただけで、元気いっぱいに駆け回ることもあります。
仏と人間との関係も、それに似ています。
人間は、ときおり、挫折感に悩んだり、失意に沈んだり、劣等感に悩んだりしますが、仏の言葉が身に臨み、その言葉を胸に刻んで立ち上がるときに、力強く、明るく、積極的で肯定的な存在として、再び生まれ変わることができるのです。
私が述べている、この言葉を、単なる言葉として捉えるのではなく、実体験として、みなさんに経験していただきたい。そう私は強く強く願っています。
私が何度も繰り返し説いている教えは、「心こそが、すべての出発点である。心を変えていくことによって人生は変わっていく」という思想です。
そして、それは、まったく真実そのものです。幸・不幸は自分の心がつくっているのです。いや、もっとはっきり言うならば、「心のなかに、いかなる種、種子をまくか」ということに、すべてがかかっているのです。(仏法真理)
よき種をまけば、よき実りが得られる。悪しき種をまけば、悪しき実ができる。
これが、仏のつくられた世界の法則なのだと私は思います。
---owari---
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