日本人は泣き言を言わない。自らの力で立ち上がる国である。
若い読者に、こんな事実を知らせておきたい。
戦後の復興期、日本はアメリカのガリオア・エロア資金の提供を受けた。ガリオア資金とはアメリカの第二次世界大戦後の「占領地域救済政府資金」で、占領地域の疾病や飢餓による社会不安を防止し、占領行政を円滑に行うことを名目に、当時の西ドイツや日本などに対して米陸軍省がその予算から資金を捻出した。
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1997年、訪米した江沢民はハワイに立ち寄り、真珠湾記念館で献花した。そのとき江主席は「米国民は真珠湾の教訓を忘れるべきではない」と訴え、日本を「米中共通の敵」とする記憶を喚起しようとした。
2年前、オバマ大統領は広島を訪問し、献花したが、代わりに安倍首相が真珠湾に行って謝罪を求められることもない。これは安倍外交の勝利である。
この効力は韓国にも及んだ。
オバ . . . 本文を読む
1657年(明暦3)1月18、19日の2日間、江戸始まって以来の大火災が起きている。
主だった町や武家屋敷のほとんどが焼け、江戸の町の60パーセントが焼失した。火は江戸城にまで及び、本丸、二の丸、三の丸、天守閣が焼け落ちた。天守閣は以来再建されないまま今日に至っている。
この火事での死者は十万八千人、焼け跡や川筋に数限りない死体の山が築かれ、手の付けられない状態がしばらく続いた . . . 本文を読む
アジア大陸とサハリン(樺太)北部の間の海峡を間宮海峡というが、これは、間宮林蔵が1809年に樺太を探査した時に発見した海峡である。
江戸後期の北方探検家として名高い間宮林蔵は、1775年(異説あり)、茨城・常陸に生まれた。職人の子だったが、数学の才能があり、それが認められて上京、25歳の時には幕府に仕官する。
林蔵が幕府から樺太探検の命を受け、蝦夷地(えぞち)に . . . 本文を読む
江戸後期には、各地で藩政改革が行われているが、中でも最も大きな成功を収めたのは、山形・米沢藩である。
米沢藩の財政は当時、全国でも最悪の状況にあった。十八世紀半ばには、収入が六万五千両に対し、商人からの借入金が二十万両。利子も払えないという財政破綻にあえいでいた。米沢藩は、これ以上の藩運営は不可能として、幕府への領地返上を真剣に検討するほどであった。
そんな米沢 . . . 本文を読む