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ガリオア・エロア資金の返済は「日本人の自助精神」の発露

2018年11月24日 | 政治・経済

日本人は泣き言を言わない。自らの力で立ち上がる国である。

若い読者に、こんな事実を知らせておきたい。

戦後の復興期、日本はアメリカのガリオア・エロア資金の提供を受けた。ガリオア資金とはアメリカの第二次世界大戦後の「占領地域救済政府資金」で、占領地域の疾病や飢餓による社会不安を防止し、占領行政を円滑に行うことを名目に、当時の西ドイツや日本などに対して米陸軍省がその予算から資金を捻出した。

 

日本には昭和22年(1947年)から昭和26年(1951年)まで食糧や肥料、医薬品など生活必需品の緊急輸入というかたちで提供され、物資が国内で配給・換金されることで資金としての性格を持った。

 

エロア資金は、同じくアメリカの「占領地域経済復興基金」として昭和24年(1949年)の米会計年度から日本や韓国に向けて適用された。経済復興が主目的だったので、日本では主に綿花や鉱産物などの原材料の購入に充当され、政府はこれらの原材料を国内業者に売却し、その代金はガリオア資金と並んで「対日援助見返り資金特別会計」として蓄積された。

 

この資金は当初、日本政府の裁量で運用されていたが、昭和24年からは、財政金融政策の引き締めを決めたドッジ・ラインの枠組みの中で、資金の利用には米政府の承認が必要とされる「見返り資金」としての計上を義務づけられた。

 

ガリオア資金と合わせて、1951年の米会計年度打ち切りまでの対日援助総額は約18億ドルとなり、日本はアメリカの「援助」に感謝し、国会で対米感謝決議までした。

 

ところが、サンフランシスコ講和条約後に、援助開始時には無償とされていたのが突如、「援助」ではなく「債務」であるとしてアメリカから返済要求が突きつけられた。日本政府(特に当時の大蔵省)は困惑の中で交渉を重ねながら、「ガリオア・エロア資金は対米債務と考える」という国会決議(1961年)を行って返済することを決めた。

 

同時に、減額を求める交渉を粘り強く続け、約5億ドルの返済協定を1962年に結んで、1973年に完済した。日本人は、アメリカの変心に恨み顔を見せず、黙々と働いて返したのである。

 

これは日本がアメリカにむしり取られた話と解釈することもできるし、日本人の「自助精神」の発露の話と受け取ることもできる。要は、日本人次第である。

 

どちらにしても、日本人に“物乞い根性”はない。どこかの国は日本の巨額なODA何ら感謝もないまま、素知らぬ顔をして受け取りつづけ、あまつさえそれを第三国に“自腹”による援助のごとく回したりしたが、そんな国がいかに経済発展や軍事力の強大さを誇って見せようと、内実はたかが知れているし、世界中がそれを見ている。

 

---owari---

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