11月5(日)、当地で宿場祭(別名:松並木祭)が開催されました。
大磯は元々は漁師町ですが、東海道が整備されると共に 宿場町となって
栄えて行ったようです。
江戸時代には東海道五十三次の一つとして、大名が宿泊する本陣も三つも
有って大きな遊郭もあったようです。
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昔は松並木がそこここに有ったのですが、今は少なくなってしまいました。
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残っている松を大切にする運動に合わせて、幼い松の植樹も行なわれています。
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ここは旧東海道がそのままの幅で残っているようですが、今日の人出ではとても
狭く感じられました。
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道路沿いは家が立ち並んでおりますが、僅かな空き地を利用して沢山の出し物や
屋台で一杯でした。
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旅姿をして方々はボランティアだと思いますが、趣味でやっている一般人かも
知れません。
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奉行所もありました。町の顔役が仕切っていました。
新撰組の衣装を着た人に聞いたところ、「新撰組ではなく、旧撰組」だそうです。
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とにかく老若男女で狭い道は一杯でした。撮影も大変でした。
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残り少ない松の枝にカラスが二羽止まって見物してました。
夫婦かな?と思って望遠で覗いたら、若いペアーのようでした。
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屋台は沢山出ておりました。古着やお守り屋さんの他に野菜や手作りのお菓子や
海産物などなど。
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キンメの干物は値段が隠れてましたが、@1200位でしょう。
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やっぱり焼きソバ屋さんが忙しいみたいでした。刀の鍔もありました。
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チリメンジャコは地元産ですが、何故か「伊勢産の白エビ」も売ってました。
清酒は「浪漫大磯」と呼ぶのがあるようです。
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花魁道中は別の項で掲載しますが、本項の締めとして2枚ほど どうぞ!
大磯は元々は漁師町ですが、東海道が整備されると共に 宿場町となって
栄えて行ったようです。
江戸時代には東海道五十三次の一つとして、大名が宿泊する本陣も三つも
有って大きな遊郭もあったようです。
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昔は松並木がそこここに有ったのですが、今は少なくなってしまいました。
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残っている松を大切にする運動に合わせて、幼い松の植樹も行なわれています。
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ここは旧東海道がそのままの幅で残っているようですが、今日の人出ではとても
狭く感じられました。
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道路沿いは家が立ち並んでおりますが、僅かな空き地を利用して沢山の出し物や
屋台で一杯でした。
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旅姿をして方々はボランティアだと思いますが、趣味でやっている一般人かも
知れません。
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奉行所もありました。町の顔役が仕切っていました。
新撰組の衣装を着た人に聞いたところ、「新撰組ではなく、旧撰組」だそうです。
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とにかく老若男女で狭い道は一杯でした。撮影も大変でした。
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残り少ない松の枝にカラスが二羽止まって見物してました。
夫婦かな?と思って望遠で覗いたら、若いペアーのようでした。
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屋台は沢山出ておりました。古着やお守り屋さんの他に野菜や手作りのお菓子や
海産物などなど。
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キンメの干物は値段が隠れてましたが、@1200位でしょう。
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やっぱり焼きソバ屋さんが忙しいみたいでした。刀の鍔もありました。
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チリメンジャコは地元産ですが、何故か「伊勢産の白エビ」も売ってました。
清酒は「浪漫大磯」と呼ぶのがあるようです。
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花魁道中は別の項で掲載しますが、本項の締めとして2枚ほど どうぞ!