へんないきもの日記

今日も等身大で…生きてます😁

縁とは奇なるもの...

2019-01-22 06:23:42 | 日々雑感


 おもしろい地名ですね❗なんて読むんですか?

 池袋まで電車で15分という埼玉県朝霞市の教育隊で教育を終えたばかりの新隊員を赴任先へ送り届けるのが私の任務だった。


 まもなく平成が終わるが、時は平成が始まって数年が経ったばかり。
新隊員二人と私は東京駅から博多まで新幹線に乗り、博多でローカル線に乗り換えた。

 真夏の博多駅のホームはは腐った臭いがした⬅今思うとトンコツスープの匂い(笑)


 指定された飯塚駅で部隊のトラックが来るのを待つ。
木造の駅舎の前に広がる景色は寂れていて、北海道でいうと同じ産炭地の夕張を思い出させた。

 すぐ近くで平日の昼間だというのにワンカップを持ったおじさんが柱にもたれ掛かりながら何か叫んでいた。

 やがて、私たちを乗せたトラック🚚は⬅ちなみに自衛隊では人は後ろの荷台に横座りになる。どんどん市内から遠ざかり、荷台から見る景色は演習場のような光景に...

 いったい、私たちを何処へ連れていくんだろう?

 果たしてそこは地対空ミサイル:通称ホークを保有する全国の部隊の中でも、「ホーク三大僻地」と揶揄される飯塚駐屯地であった(^_^)

 1か月後、奇しくも私がそこで勤務するコトになった(^_^)

 
 数年後、当時の中隊長が「澤田も一人っ子なんだから、たまには親孝行しておいで」と北海道勤務の枠を取ってくれ、東千歳の駐屯地に赴任した。

 相変わらず、沖縄の勤務を希望していた私は、新たな赴任先で2年間勤務した後、そこで中隊長に呼ばれた。「沖縄じゃないが、南の話があるんだけど...」

 蓋を開けたら、飯塚だった(笑)
出戻りだ(笑)


 そこで2年勤務した後、九州・沖縄を管轄する熊本の総監部から担当官が面接に来た。
そうして3年間、総監のお膝元で勤務した後、念願の沖縄へ🎵


 4年という月日が経った後、人事担当者が異動の話を持ちかけてきた。
私の希望は同じ沖縄の離島だった。これがおそらく最後か、最後から二番目の異動になるハズだった。


 果たして結果は?
まさかの三度目のなんとか...だった(^_^)


 あのまま沖縄に居たら、定年前に辞めなくてもすんだのかもしれない。⬅定年は54歳の誕生日当日、そう、今年の4月12日(金)ダ。

 でも、沖縄は公私ともに快適すぎた。⬅赴任当初は、新設部隊の立ち上げで精神的に消耗したけど。

 成功本にあるとおり、快適は私たちを成長させない。
自身を成長させるためには、快適領域を出ないといけない。


 そう信じて、私は三度目の飯塚勤務を受諾した。



 結果は変えられない。
あるのは、起きた事実への意味付けと、それにどう反応するか?ダ。


 あのまま沖縄に居たら、定年を前に期待に胸を膨らませていた私が居たであろう。
けれど、今、私の周りにいるスポーツジムやズンバサークルの方々との出会いは無い。


 そして、もちろん🎵
君との出会いも...無かった。


 起きた事実は変えられない。
それに対してどのように意味付けし、対応していくか?それだけだ。



#welovegoo
コメント
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