【日本縦断走り旅2017のコースをたどる旅】
ホテルの角部屋に朝日が差し込む…
午前6時…ちょっと寝坊した🤪
予定では午前7時に余裕をもって宿を出るハズなのに…😅
いそいそと前の夜に買っておいた朝食を胃袋に「収納」する👍
収納…
このコトバが最もふさわしい…
3年前の日本縦断の時は、主催者が決めた午前6時出発←どんなに距離が短くても、スタートは変わらず😅最終日にようやく、遅めのスタートになった…😁
毎朝の午前6時のスタート時間に向けて、脚をマッサージしつつ、パンをくわえて…
と、忙しかった😁
だけど、それがほぼ、ルーティンとなり、そんな生活を2ヶ月も繰り返していたのだ👍
ホテルを出て右に進むと、すぐに旧街道になった。
国道から一歩、中に入っただけで、閑静な空間が訪れる…
だけど、平日朝の通勤時間帯は、ともすると抜け道的に多くのクルマの洗礼に遭遇するコトもしばしば…あった😅
宿では十分な時間が無いまま出発するので…😅
当然、朝の儀式は済ませていない😅
当然、走ってまもなく…もよおしてくる😅
しかし、こんな時間に開いている店は無い。
強いて言えばコンビニくらいだが、そう都合よくコンビニは現れない😅
かくして、ど田舎でも無い限り…
多くの地方都市においては、しばし、トイレに巡り合うまで、悶絶の時間と化す…😅
この日も例外なく?
…と思いきや、トライアルの看板が…
どうせ、まだ開店前だよね?←24h営業ではない?🤔
と思っていたら、クルマが何台か停まっていた👍
トイレは中にあったけど…
利用できた👍
この時期、コロナを理由にトイレの利用を拒むお店が何店かあるようだけど…😅
💩をガマンさせる…ナンテ論外ですな🤔
ほ〜
っと身も心も?軽くなって…😅
【旧街道を行く】
2017年の走り旅は、基本、昔の街道を行く旅…
前日から宿泊している豊後三重からこの日、走っていく戸次本町は日向街道にあたる👍
されど、街道は途中で現在の国道とクロスし…
トラックが多く行き交う中、歩道はおろか、路側帯もままならない国道が多くある。
途中まで幅の広い歩道があって安心していると、途中からいきなり、歩道が無くなる…ナンテことはよくあるコトである。
あるいは、今まで左側にあった歩道が突然、右側に移動したり…
信号機付き横断歩道があると助かるが、トラックばんばん通っているのに渡る信号機が無い所は多い。
仕方がないから、歩道が切れてもそのまま行く…
トラックにしてみれば、反対側に歩道があるのに、なんでワザワザ歩道の無い所を行くのか?嫌がらせか?と思うだろうが…😅
コチラとて、渡りたくてもアンタらが、ひっきりなしに往来するのでは、とても怖くて渡れない…
それが日本の交通事情であります…😅
…で、この日は途中で歩道が切れるとわかったので、2017年の走り旅の地図を手元に、左の道に入れば、その先、合流するとわかり、わざとコースアウトして、少しでもクルマの少ない道を行く…
この辺の電車は、通勤時間帯にも関わらず、全て2両編成だ😅
大分県なのに…三重?
この辺は、よく記憶に残っている👍
さすが、旧街道…
ではなくて…国道沿いの歩道です😅
近くに人家が無いとこうなる?😁
もう10年くらい草刈ってません?😅
山奥のバス停は…
山奥だけあって←実際は、そんな山奥ではない😅
一日に4便、土日はお休みです…😅
3年前に日本縦断した時から思っていた。
都市部を除いて、もはや日本全体が限界集落化している…と😂
ん、行き止まり?
途中、道を間違え😅、ロスタイム…
正規はコチラです👍
大分版?田の神さぁ〜?🤪
【犬飼のヒミツ…】
犬飼(いぬかい)を初めて訪れたのは、もう10数年も前のコトである。
当時、全国の難病患者を支援する目的で、日本を一周した方と一緒に走らせて頂いたコトがある👍
その時、薬害エイズで日本で最初の犠牲者となった男性の実家が犬飼にあった。
一周コースは犬飼の男性の実家もルートに含まれていた。
実家で仏前に手を合わせたのち…
お母様が私達を連れて関サバの寿司をご馳走しくれた🤩
前日は仕事を終えて夜遅く←9時過ぎぐらい?
犬飼の駅に着いた。
真っ暗でナニも無い駅に寂しさをカンジ、途方に暮れていると…
一周チームメンバーの方が、駅まで歩いて迎えに来てくれた👍
…そんな強烈な思い出のある犬飼…
2017年の日本縦断コースでも、ココは難所だった😅
途中で、道が切れている…
当時の私たちは、地図と実際の地形と悪戦苦闘しながら、なんとか別なルートを見つけて国道に降りてきた…
そんな思い出があったので、ココは最初から川を渡って国道326号を行くコトにした👍
旧街道から外れているのに、旧街道っぽい雰囲気?
実は犬飼はその昔、竹田城を居城とした岡藩の港があったのだ👍
当時は竹田から犬飼までは陸路で物を運び、ここから先は船に積み替えて川で運んだそうで…
そのための港が造られていたのである。
私が見た町並みは…
まさに、当時の面影を残していたのである👍
【また来たい、戸次本町】
橋を渡ると宮崎と大分を結ぶ国道10号線…
確かに、対岸から見る犬飼は風情がある…
3年前は、この少し先から山を降りてきて国道に出た。
当時、利用したトイレは建物自体が閉鎖されていた…
大分市に入る…
地図に従って国道から脇道の旧街道へ…
道路の真ん中で堂々と昼寝中の猫を起こしてしまう…😅
実際は、この一つ先の道なんだけど…
つい、早めに地図を先読みしてしまうクセがいまだに抜けない😅
少しばかり、旧街道の面影が…
珍しく、牧場があった。
スマホを向けると寄ってきた🤩
なぜかいつも…
四足動物にはよくモテる?へんないきものであった…😅
目的地の戸次本町で昼食を…
と思ったけど、ガマン出来ずに10号線沿いの店に…
りゅうきゅう丼定食👍
とり天と並んで大分名物の「りゅうきゅう」は、マグロのづけ…のコトだけど…
いわれは諸説あって…
中でも私は、一緒に舟に乗っていた沖縄の漁師がマグロをづけにして食べていたコトから「りゅうきゅう」と呼ばれるようになった…という沖縄の漁師説を信じている👍
お会計後、また来てください…
のコトバは…
旅人には少々ツライ…😅
そして、いよいよ目的地・戸次本町へ🤩
3年前…
なんの予備知識も持たずに突然、目の前に現れた町の佇まいに魅せられた…
時間に追われる走り度は、途中で脚を止めて、じっくり観光するコトは出来ないのが残念である…
そういう意味では、愛媛県の内子座、内子宿も…
もっと見て回りたい町並みの一つである👍
当時、最も私を魅了したのが、コチラの建物…
あの日は真っ青な空に白壁がよく映えていた…
もともとは昭和47年まで営業を続けていた酒屋さん👍
跡継ぎが居なくなり、廃業し、2016年の熊本の大地震で一部損壊…
2階も見学出来るようになったのは、つい最近のコトだという👍
それにしても…
広い、大きい👍
隣接するブティック&喫茶店…
既にお昼は済ませているので…
中庭を拝見🤩
いやぁ〜素晴らしい🤩
こんなモノをよくぞ、残してくれた👍
町の中央に位置する資料館?
無人の中に入って展示物を見ていると…
管理人と思しき年配の女性が現れた。
しばし、歓談…
コロナの影響を聞いてみると…
その前までは主に台湾からの観光客が大型バスで乗り付けていたけれど…
記帳を進められて見ると…
この一週間で訪れた人は、全て大分県内…
中には同じ戸次本町の人も…😅
インバウンド…
海外からの観光客が期待できない今、少しでも国内からの観光客に来てもらいたいところだろうけど…
まだまだ日本人の用心深さは拭えない?🤔
3年前にココを通った時…
ぜひ、今度はゆっくり見て回りたい…
そう思って来てみました🤩
というと、本業の隣の喫茶店に案内され、あんずのジュースとあんずをご馳走してくれました🤩
戸次の名物は、ごぼう饅頭だから、斜め向かいの店に寄って行け…
と言うので、「あんずのママがココに行け…と言うので来てみました😁」と言いながら、扉を開けると、二人のご婦人が笑って出迎えてくれた👍
この後のサークルの参加者のお土産に👍
と、とりあえず5個買ってみる👍
あんずの喫茶店のママは87歳…
うちの母親とさして変わらぬ年齢だけど、しっかり二の足で歩いていた。
今度はココで食事をしていこう👍
あんずとあんずジュースのお礼に🤩
…って、先日の豊後竹田と併せて…
また来ないといけなくなっちゃった(笑)
実は戸次本町のこの通りは、わずか600メートルしかない。
その600メートルしかない通りの両側に、江戸の当時は80軒ほどの店がひしめいていた…と言う。
カイコを飼った養蚕が盛んで…
明治の頃はこの通りに大分銀行の前身となる二十三銀行があった。
とにかく人とお金が行き交ったこの町並みを…
なんとか保存しようとまちづくり推進会?のメンバーがこうして古い建物と資料の保存に尽力する姿を目の当たりにした。
しかし、その核たるメンバーの多くは仕事をリタイアした高齢者だ。
この事業を後世に引き継ぐのが…最大の課題かもしれない。
戸次本町は、実は昔から水害の多い街でもあった…
そんな中、よくぞ古き良き町並みをココまで保存してくれた👍
…また来るヨ👍
戸次本町…
夕方のサークルに間に合う為には、この先の中判田の駅から13時45分の電車に乗らないとイケナイ😅
少し時間を食ってしまった。
川を渡って駅までの1.6キロを走る🏃
2名だけ予約を頂いていたサークルは…
フタを開けると初めての方も含め7名に🤩
あ、ごぼう饅頭足りない…😅😅😅
仕方がないので…今日のサークルに回します👍
今日、来ていただく方は…ラッキーですヨ🤩🤩🤩
この2日間の収穫…🤩
栗ご飯にしようかな?
残りはサラダの具材かな?😋