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【私の知る小樽運河…】
昨日の午後、図書館から借りてきたまちづくり関係の本を開いていてびっくり😲
そこには全国各地のまちづくりの手本となる事例が紹介されていたのだけれど…
ナント、トップバッターは、わが町・小樽🤩🤩🤩
そう、歴史的に深い、あの小樽運河を半分残して半分埋め立てて…
現在のバイパスとして今の小樽運河があるのです。
そこに至るまでの経緯をあらためてご紹介しましょう👍
今でこそ、「小樽出身です」
…と言うと、あー、運河のある所ね👍
お寿司が美味しくて羨ましいよね🤩
…ナンテ言われますが、四半世紀前までは、それって何処にあるの?🤔
ってカンジでした😅
それくらい、小樽イコール運河、とメジャーになったワケですが…
実はそこに至るまでには長い長い共闘の歴史がありました…
【実はヘドロの海だった…】
皆さんは、今の小樽運河しかご存知ないと思います。
今の小樽運河とは…
石造りの倉庫やレンガの建物の間にあって、付近を散策できる散歩道があって…
キレイに整備された小樽運河です。
実は私が小学校に入学する以前は、この界隈は路線バスこそ走っていましたが、まだ未舗装の部分もあり…
春先にココを歩くと、冬場にタイヤのチェーンで削り取られた路面の粉塵が泥を含んだホコリと一緒にクルマが通る度に舞い上がっていました。
実は私は、肺門リンパ腺という病気で皆と1ヶ月遅れて小学校に入学していますが、母親はその原因を同居していた父方の祖母から結核菌が移った、として嫁姑戦争の口実にしておりましたが…😅
今思えば、運河沿いの道の粉塵を多量に吸い込んだのが原因かと思っております😅
話が横道にそれてしまいました😜
小学校に入学してからは、遠足で小樽運河に行き、そこで運河をスケッチする…
という授業がありましたが…
コレがもう、臭いのなんの😅
鼻をつまみながらお絵描きしていたのを覚えています😅
そんな小樽運河に転機が訪れます。
ナント、臭くて汚い運河を埋めて、新たな道路を造り、札幌との行き来を活発にしよう、という案です👍
【知る人ぞ知る、小樽の歴史…】
実は小樽は大正時代、「北のウォール街」と呼ばれるほど、栄えた街でした👍
隣の札幌市は後から出来たような街で←今や福岡市より人口が多い札幌市ですが…😅
コトの始まりは全て、小樽から…
でした👍
日本銀行の小樽支店が置かれていただけでも、発展を続けていた都市であるコトが伺えます。
札幌に本店を置く企業も、取引先の銀行は小樽のまま…
という所も未だにあるかもしれません。
そして、全国的に有名な札幌雪まつりは、小樽が発祥の地です👍
鉄道も小樽から敷かれて、人や物が活発に移動していました。
明治の頃には既に東北や北陸を中心に(父方も母方も共に東北から入植しました)内地からの移住も終えて、函館と並ぶ港町・小樽に人が集まっていました。
併せて当時はまだ、盛んだったニシン漁…
ニシン御殿、つまりニシンで本当に御殿が建ったのです。
それくらい、当時の北の日本海にはニシンが大量に押し寄せていました👍
小樽運河は、そうしてとれたニシンや、加工して缶詰にされた商品を船や汽車で運ぶ為の中継役として活躍しました。
そのうち、乱獲でニシンが不漁になり…
長く続いたニシン漁に終わりが来ます。
加えて、船便も…
冬場は荒れる日本海航路から太平洋航路へと移行し、千歳空港から近い苫小牧港へと移っていきます…
商業の街として発展を続けるかに見えた小樽に暗躍の兆しが…
こうして、北の経済の中心地は小樽から札幌に…
港も小樽から苫小牧に…
そして明治期から活躍した小樽運河は、その役目を終え…
長らく放置されてヘドロの海となり、辺りに異臭を撒き散らしていました。
【街を二分した大論争の末…】
私が小学校に入学した頃、小樽運河を全面的に埋め立てる、という案が市議会で出され、同時に市民を中心に「小樽運河を守る会」が発足しました。
以降、両者はことある毎に対立を繰り返し、街を二分するまでになりました。
みんな、無関心なフリして、実は運河は小樽市民にとって切っても切れない?存在だったのですね👍
埋立て推進派によって、運河に最初の杭が打ち込まれた日のコトは、小学生ながらに、よく覚えています。マジ、学校休んで抗議行動に加わろうか?と企んでおりました(笑)
今で言うと…
沖縄の辺野古のようなカンジでしょうね😁
まさに市民が二手に別れて一騎打ち!
みたいな…
そんな折、当時の市長の英断により、折衷案がもたらされました👍
つまり、運河は半分埋め立てて、半分は残す。それもキレイに公園として整備した上で…
コレが、まさかの今のような小樽運河の姿に生まれ変わるとは…
当時の市民は、もちろん私も…
誰も想像がつきませんでした😜
【斜陽・小樽から運河のまち・小樽へ、そして新たな課題】
こうして整備された小樽運河は、やがて全国的に有名になり、北海道旅行のプランには、必ずといってイイほど、入れられるようになりました👍
…が、ココで新たな課題が…🤔
実は、バイパスによって、札幌との距離が更に縮まったのはイイのですが←国道でも小樽と札幌との距離は40キロです…
観光客の多くは、千歳空港から札幌入りし…
札幌を起点に行動します。
そして、札幌との近さが、小樽に不幸を招いています😁
どういうコトか?
というと…
札幌から日帰りで行けてしまうため、ほとんどの観光客は、札幌に宿泊し、小樽は運河を見て、お寿司を食べて…せいぜい、地元の小樽駅前横の三角市場で買い物をして…
隣の余市のニッカウィスキー工場を見学して、再び札幌へ…
コレでは小樽になかなかお金が落ちません😅
キレイに整備されて、全国的に有名になった小樽運河ですが…
やはり、まちづくりは…
その後の課題まで予測して…
超ロングスパンで考えないとイケナイものなのだ、と今あらためて故郷・小樽の事例を元に思う次第であります👍
【最終的には、街に暮らす人がその街を愛せるか?】
今、私は、故郷・小樽を遠く離れて…
九州は福岡県のほぼ中央に位置する飯塚市に暮し、そこでまちづくりをテーマとしたリノベーションスクールの第二期生として学ばせて頂いておりますが…
最終的には、そこに暮らす人が、その街を愛せるか?
コレに尽きる、と思います。
目の前のお金を数えるのではなく、最終的に自分たちが暮らしやすいまちづくり…
それを考える…
そうすれば、やがてそこに内外から人々が集まってくる…
そんな気がします👍
そして、そこに必要なのは…
イマジネーション、想像力です🤩
将来はこうなる🤩
…という、夢みる力…こそ必要なのだと思います👍
昨日の午後、図書館から借りてきたまちづくり関係の本を開いていてびっくり😲
そこには全国各地のまちづくりの手本となる事例が紹介されていたのだけれど…
ナント、トップバッターは、わが町・小樽🤩🤩🤩
そう、歴史的に深い、あの小樽運河を半分残して半分埋め立てて…
現在のバイパスとして今の小樽運河があるのです。
そこに至るまでの経緯をあらためてご紹介しましょう👍
今でこそ、「小樽出身です」
…と言うと、あー、運河のある所ね👍
お寿司が美味しくて羨ましいよね🤩
…ナンテ言われますが、四半世紀前までは、それって何処にあるの?🤔
ってカンジでした😅
それくらい、小樽イコール運河、とメジャーになったワケですが…
実はそこに至るまでには長い長い共闘の歴史がありました…
【実はヘドロの海だった…】
皆さんは、今の小樽運河しかご存知ないと思います。
今の小樽運河とは…
石造りの倉庫やレンガの建物の間にあって、付近を散策できる散歩道があって…
キレイに整備された小樽運河です。
実は私が小学校に入学する以前は、この界隈は路線バスこそ走っていましたが、まだ未舗装の部分もあり…
春先にココを歩くと、冬場にタイヤのチェーンで削り取られた路面の粉塵が泥を含んだホコリと一緒にクルマが通る度に舞い上がっていました。
実は私は、肺門リンパ腺という病気で皆と1ヶ月遅れて小学校に入学していますが、母親はその原因を同居していた父方の祖母から結核菌が移った、として嫁姑戦争の口実にしておりましたが…😅
今思えば、運河沿いの道の粉塵を多量に吸い込んだのが原因かと思っております😅
話が横道にそれてしまいました😜
小学校に入学してからは、遠足で小樽運河に行き、そこで運河をスケッチする…
という授業がありましたが…
コレがもう、臭いのなんの😅
鼻をつまみながらお絵描きしていたのを覚えています😅
そんな小樽運河に転機が訪れます。
ナント、臭くて汚い運河を埋めて、新たな道路を造り、札幌との行き来を活発にしよう、という案です👍
【知る人ぞ知る、小樽の歴史…】
実は小樽は大正時代、「北のウォール街」と呼ばれるほど、栄えた街でした👍
隣の札幌市は後から出来たような街で←今や福岡市より人口が多い札幌市ですが…😅
コトの始まりは全て、小樽から…
でした👍
日本銀行の小樽支店が置かれていただけでも、発展を続けていた都市であるコトが伺えます。
札幌に本店を置く企業も、取引先の銀行は小樽のまま…
という所も未だにあるかもしれません。
そして、全国的に有名な札幌雪まつりは、小樽が発祥の地です👍
鉄道も小樽から敷かれて、人や物が活発に移動していました。
明治の頃には既に東北や北陸を中心に(父方も母方も共に東北から入植しました)内地からの移住も終えて、函館と並ぶ港町・小樽に人が集まっていました。
併せて当時はまだ、盛んだったニシン漁…
ニシン御殿、つまりニシンで本当に御殿が建ったのです。
それくらい、当時の北の日本海にはニシンが大量に押し寄せていました👍
小樽運河は、そうしてとれたニシンや、加工して缶詰にされた商品を船や汽車で運ぶ為の中継役として活躍しました。
そのうち、乱獲でニシンが不漁になり…
長く続いたニシン漁に終わりが来ます。
加えて、船便も…
冬場は荒れる日本海航路から太平洋航路へと移行し、千歳空港から近い苫小牧港へと移っていきます…
商業の街として発展を続けるかに見えた小樽に暗躍の兆しが…
こうして、北の経済の中心地は小樽から札幌に…
港も小樽から苫小牧に…
そして明治期から活躍した小樽運河は、その役目を終え…
長らく放置されてヘドロの海となり、辺りに異臭を撒き散らしていました。
【街を二分した大論争の末…】
私が小学校に入学した頃、小樽運河を全面的に埋め立てる、という案が市議会で出され、同時に市民を中心に「小樽運河を守る会」が発足しました。
以降、両者はことある毎に対立を繰り返し、街を二分するまでになりました。
みんな、無関心なフリして、実は運河は小樽市民にとって切っても切れない?存在だったのですね👍
埋立て推進派によって、運河に最初の杭が打ち込まれた日のコトは、小学生ながらに、よく覚えています。マジ、学校休んで抗議行動に加わろうか?と企んでおりました(笑)
今で言うと…
沖縄の辺野古のようなカンジでしょうね😁
まさに市民が二手に別れて一騎打ち!
みたいな…
そんな折、当時の市長の英断により、折衷案がもたらされました👍
つまり、運河は半分埋め立てて、半分は残す。それもキレイに公園として整備した上で…
コレが、まさかの今のような小樽運河の姿に生まれ変わるとは…
当時の市民は、もちろん私も…
誰も想像がつきませんでした😜
【斜陽・小樽から運河のまち・小樽へ、そして新たな課題】
こうして整備された小樽運河は、やがて全国的に有名になり、北海道旅行のプランには、必ずといってイイほど、入れられるようになりました👍
…が、ココで新たな課題が…🤔
実は、バイパスによって、札幌との距離が更に縮まったのはイイのですが←国道でも小樽と札幌との距離は40キロです…
観光客の多くは、千歳空港から札幌入りし…
札幌を起点に行動します。
そして、札幌との近さが、小樽に不幸を招いています😁
どういうコトか?
というと…
札幌から日帰りで行けてしまうため、ほとんどの観光客は、札幌に宿泊し、小樽は運河を見て、お寿司を食べて…せいぜい、地元の小樽駅前横の三角市場で買い物をして…
隣の余市のニッカウィスキー工場を見学して、再び札幌へ…
コレでは小樽になかなかお金が落ちません😅
キレイに整備されて、全国的に有名になった小樽運河ですが…
やはり、まちづくりは…
その後の課題まで予測して…
超ロングスパンで考えないとイケナイものなのだ、と今あらためて故郷・小樽の事例を元に思う次第であります👍
【最終的には、街に暮らす人がその街を愛せるか?】
今、私は、故郷・小樽を遠く離れて…
九州は福岡県のほぼ中央に位置する飯塚市に暮し、そこでまちづくりをテーマとしたリノベーションスクールの第二期生として学ばせて頂いておりますが…
最終的には、そこに暮らす人が、その街を愛せるか?
コレに尽きる、と思います。
目の前のお金を数えるのではなく、最終的に自分たちが暮らしやすいまちづくり…
それを考える…
そうすれば、やがてそこに内外から人々が集まってくる…
そんな気がします👍
そして、そこに必要なのは…
イマジネーション、想像力です🤩
将来はこうなる🤩
…という、夢みる力…こそ必要なのだと思います👍