アーモーおやじ

テニスのときによく出る「アーモー」。これが口癖で、なんでも首を突っ込んでは失敗を繰り返しているじいさんの日記です。

またまた思い出記事 

2024-09-14 05:38:00 | Weblog
 Facebookの7年前の投稿です。
 定年して嘱託となり、図書教材協会の研修や代理店の挨拶などで東京出張したときのものです。

 東京出張で先週の土曜日に実家に帰り、いったん大阪に戻り、今日、再び東京出張。
 やっと終わり、実家へ向かう東武東上線です。
今日は、四ツ谷で研修だったので、上智大学に寄り道しました。
 実は、高三のとき、入学したアグネスチャンに会おうとして、行ったことがあります。大ファンのクロキくんと。
 会えるわけがないのに、クロキくんは満足していたのを覚えています。
男子ばかりの学校だったので、アグネス命だったのでしょうね。

 明日、実家から敏美さんと車で帰ります。







 たった7年前のことなのに、なんか懐かしいなあ🤭
 この投稿をしたとき、コメント欄にダンス仲間のMさんの友達から「私もよく仕事で四谷に行っていました」と感想が入りました。当時、群馬県で子育て真っ最中のその方と妙に気が合い、その後も情報交換しています。関東のことが知りたくて話がはずみます。
 なんでもMさんのFacebookで友達の私を知り、この記事へのコメントをしてくれたとのこと。こんな形で友達の輪ができるんだなあ、と知りました。SNSは有効活用すれば素晴らしいツールですね❗️
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借り換えで思い出したバブル

2024-09-13 06:37:00 | Weblog
 預金金利が上がっているから、定期預金で期日がきたものは借り換えたほうがいいということで、ゆうちょ銀行へ行き手続きをしてきました。ほんのわずかな定期預金ですが、老後のための蓄えとして少しでも増えたらと考えたからです😅

 0.01%であった期日定期が0.13%、なんと13倍になってました。ゼロ金利政策からの転換によるものです。税金を抜きに単純に考えると、100万円に一年で1300円の利息がつく計算です。やったー🙌


 バブル期の1980年から1990年のころ、定期預金の利息は6.08%で種類によっては8%を超えるものもあったそうです。もちろん住宅ローンなど借りたお金の金利も高かったのですが、100万円に一年で6万円以上の利息がついていたんです。仮に1億円を貯金していたら、利息だけで裕福な暮らしができる計算です。

 バブルがはじけた1992年ころ、私たち夫婦は30代後半で子育て真っ最中でした。バブル期、ボーナスは月収の8倍ほどあり、なんとか生活にも余裕ができつつありました。
 会社ではボーナスの一部をある証券会社の金利のよい財形預金にすることを推奨していました。社員への福利の一貫でしたが、なんとその証券会社が倒産してしまい、社員のほとんどが被害を受けました。預けたお金の一部が返らない事態が発生したんです。私も20万円ほど損したことを記憶しています。ショック😨でした。
 中にはその証券会社を通して大々的に株をやっていて、年収以上の損害を被った社員もいました。バブルの泡になって消えたんです🫥


 100万円が一年で100円の利息が1300円になったと喜ぶ自分を見て、こんなことをふと思い出してしまいました。全く些細なことではありますが、バブルがはじけた時代を知る私としては、利息はこれくらいで推移するのがいいかもしれないと考えてしまいます😉
 
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エリ谷自然村の山小屋物語

2024-09-08 20:59:00 | Weblog
 エリ谷自然村は、和歌山県伊都郡九度山町にあるログハウス村です。
 39年前、ログハウス作りに興味のある仲間が集まって始めた集まりです。

 年月と共に仲間たちは高齢化して、遺作となる山小屋が多くなってきました。その一部で、とくに私の記憶にとどめたい人を山小屋と共に紹介します。泣きながら紹介します。


*ポパイの山小屋



 今年始めに亡くなった仲間の山小屋。屈強な体でバリバリ働く姿から、みんなからポパイと呼ばれていました。村で一番大きな小屋で、総会などでも使わせてもらいました。草刈りのとき、石を跳ねて私のクルマの窓ガラスが粉々に。泣きそうな顔で詫びた顔はスーパーマンポパイではなかったよ。優しい人でしたよ。あのときはごめんなさいと、10年以上経っても言い続けてましたが、村のためにどれだけ貢献してくれたか、そのことのほうだけを覚えていますからね。

「ポパイ、いつまでも忘れないからね」



*エリ谷大王の山小屋




 某大手家電メーカーの営業マンだったOさん。定年してから顎髭を伸ばし、まるで仙人のようになりました。自ら建てた山小屋に「エリ谷大王」と表札をかかげ、山小屋生活を楽しんでいました。奥様も明るい気さくな方で、私の息子たちもお世話になりました。天国の大王に恥ずかしくない人生をと心がけてますからね❗️



*大好きだった友人の山小屋




  Iさんは、大阪南部の私立高校の体育教師。アメリカンフットボールの監督。

エリ谷仲間で一番若く、私より2歳下でした。自分のトレーニングにもなるからと、南海高野線で和歌山県に入ってすぐの駅近くの自宅から、自転車で通って小屋作りをしていました。知識豊富で小屋作りをしに来ても、私の話す時間が長くて、仕事が進まないとお互いで文句を言いつつ、笑い合って楽しんでいました。一番仲が良かった仲間です。癌で一度は復活したのですが、50代になってすぐに逝ってしまいました。早すぎます。でも、私の心の中にはいつも歳をとらないIさんがいます。歳をとらないなんて、ずるいよ😢



*宴会部長の山小屋




 Sさんは早くにリタイアして、山小屋を作り始めた遊び人。奥様と娘さんが大阪梅田の地下で居酒屋を経営していて、仲間たちの集会場所になっていました(今はないかも)。総会や餅つきイベントが大好きで、放送禁止、出版禁止用語を連発する盛り上げ係。あの人が亡くなるなんて信じられませんでした。今でも飲み会のたびにSさんのさまざまなやらかしエピソードが話題になります。いつも楽しい雰囲気を作ってくれて感謝、感謝です。きっと天国でも禁止用語連発してるんでしょうね🤭



 久しぶりに山小屋に来て、仲間たちを思い出しています。人とのつながりがあっての今の自分なんだとつくづく感じています。さあ、私もみんなの記憶に残れるように頑張ります❗️

















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居酒屋で大学話

2024-09-06 05:24:00 | Weblog
 久しぶりに上郡駅近くの唯一の居酒屋Sさんで食事をしました。



 途中からお客さんが私たちだけになり、お店のご主人&奥さんと昔話で盛り上がりました。

 ご主人は上郡、奥さんは岡山生まれ。歳は私たち夫婦のほぼ一回り上です。
 四国の大学の同級生で、上郡に戻って働き結婚し、定年後に居酒屋を始めた方です。出会いが私たち夫婦と似ている大先輩です。
 終戦のときに生まれ、大学時代は日本中がデモの真っ只中。安保闘争、ビキニ環礁水爆実験、東大安田講堂事件などが続いて起こり、全国の大学で学生運動の嵐が吹き荒れていました。

 私の大学時代は学生運動が下火になっていったときでしたが、寮生活だったために寮の福利厚生改善を大学当局と交渉したり、通学してきた学生にビラ配りをして、寮の問題を訴えたりしてました。
 ご主人も寮生活だったので、当時のことを懐かしく話されていました。

 そして話がフォークソングに。
 歌声喫茶や学生集会で歌ったとのこと。まさにフォークソングの始まり世代です。
 私はフォークソング全盛期世代なので、時代は少し違います。先日、私が録音した吉田拓郎さんの曲を懐かしそうに聞いてくれました。またまた自己満足😅です。


 大学時代の記憶は鮮明なんです。若かったからですが、卒業して40年以上もたつのに昨日のことのように話せるんです。とてもとても密度が濃い時間だったんだと、つくづく思いました。

 美味しい料理と美味しいお酒で昔話。
 素晴らしい人との出会いがあれば、それだけで幸せになれるし、笑顔になれるんです。人間だけの特権かな🤗


 家に帰り、大学同級生と話がしたくなり、私の歌をグループLINEに送りました。
 またまたバカなことをやってるな、と同級生はあきれているはずですが、何人かは懐かしいと感想を言ってくれました。それでいいですよね⁉️

 


 
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我が家の朝ごはん

2024-09-04 22:23:00 | Weblog
 今日の朝、とれた野菜です。



 キュウリ、ゴーヤ、ピーマン、シシトウ、オクラ、伸びたナスです。
 台風の影響で雨が降り、キュウリやナスが元気になりました。これらの野菜が毎日、朝食に並びます。



 仕事の日のお弁当にもたくさん入ります。
 ゴーヤがたくさんできるので、敏美さんは佃煮にしてくれます。それでも多いので、100歳体操のみんなに配って食べてもらっています。

 暑さと水不足でキュウリやナスの出来が悪かったのですが、ゴーヤ、シシトウ、オクラは毎日たくさん収穫できます。とくにシシトウは優等生です😊
 明日も収穫が楽しみです❗️

 



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また行きたくなるお店とは

2024-08-29 06:04:00 | Weblog
 台風への備えをした休日。

 野菜たちが生き返っています。
 猛暑日の晴天でも、毎日水やりをしていました。元気なのはシシトウとピーマンで、キュウリ、ナスはあまりなりません。サトイモの葉も赤く枯れた部分が目立ちます。ところがこのところ、短時間ですが、毎日雨があるせいか、元気がなかった野菜が復活してきました。水やりをたっぷりしてきたつもりですが、雨の比ではなかったことがよくわかりました。ありがたい雨ですが、台風の影響です。今度は雨の被害がでないことを祈っています。自然はなんと複雑で試練と恩恵が隣り合っています。

 台風が来る前にスイーツでも食べようと思い、西粟倉のベース101%に行きました。イチゴミルクは砕いたイチゴが冷たく、さっぱりしました。幸せ幸せ。よく行くいいお店です。

 また行きたくなる店とは、、、
 おいしさ、コスパなどいろいろありますが、お店の方の対応も重要です。

 敏美さんが宍粟市のお店にオカリナ仲間5人とランチの予約をしました。古民家レストランWです。ところが台風が来るかもと判断してやめようということになり、そのお店に予約取り消し電話をしました。そのときのご主人の対応です、、
「いつもありがとうございます。連絡が来るかと思っていました。また今度天気の良いときにゆっくりご来店ください」

 柔らかな応対で、気持ちがよかったそうです。宍粟市山崎から少し奥まった場所のお店ですが、お客さん優先の対応、素晴らしいです。
 電話が終わり、敏美さんは絶対に行くからねと思いました。そしてこのやりとりをオカリナ仲間に連絡しました。口コミで広がっていくんだろうなあ‼️
 

 
 
 
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練馬ナンバー? でビックリポン

2024-08-23 08:31:00 | Weblog
 我が家の家庭菜園の周りに、ユリがたくさん咲いています。ササユリのようです。







 昨年咲いたあとで、敏美さんが種をあちこちに蒔いたので、それが今、開花しているようです。猛暑の中で頑張って私たちを励ましてくれています。

 
 先日、びっくりした話。
 上郡のナイターテニス教室に行き、駐車場に車を止めたとき、横の車が「練馬」ナンバー。おやじが乗っていた練馬ナンバーのライトエースを思い出した。

 いったい誰だろうと思いつつテニスコートに向かい準備体操を始めました。するとそこに知らない方がおられ、リーダーが今日からテニス教室に参加されるFさんと紹介しました。

 練習を始め、休憩中に敏美さんが驚いたように
「Fさん、池袋から来たそうよ」
と一言。
「えーーー😱」

 あの練馬ナンバーの主はFさんでした。

 詳しく聞いたところ上郡に移住したくて、今、移住促進町営住宅で暮らして、家を探しているとのことでした。
 なんでも故郷は四国で、仕事で東京都豊島区西巣鴨にずっといて、定年前にこちらに住むことにしたとのことでした。

 私が大学で大阪に来るまで、池袋本町に住んでいたことを話すと、びっくりしていました。私も豊島区のいろいろな場所の話ができて嬉しくなりました。
 私は池袋発大阪経由でここに来ましたが、池袋から即上郡とは。なんでまた上郡に? これからゆっくり聞いていきますかな。
 なんでもテニスが大好きで、テニス仲間ができることを切に望んでいる方なので、話をすることが楽しみになりました。

 広い日本ですが、こんなことよく聞くような気がします😅


 オマケ
 Fさんと話をしていた上郡人は、希望にあふれて自然豊かな上郡暮らしをしようとしているのに、
「上郡は何にもないよ」
「不便だよ」
を繰り返します。
 もう少し上郡のいいところ言ってあげてよー😂

 
 
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里帰り 回顧

2024-08-17 08:50:28 | Weblog

 津山市北部の阿波村のあば温泉に行き、盆休み最後を締めくくりました。

 
 行く前に電話で食事と温泉の入浴時間を確認して、お昼ご飯、温泉の順で楽しむ予定でした。
 1時間半のドライブで到着。
 気温は28℃。涼しー❗️
 早速食事と思いレストランへ。
 😨ガーン、閉まっています。
 すぐに温泉の受付に行き確認すると、
「ごめんなさい、レストランはお休みなんです。ひょっとして電話してこられた方ですか。私が言ったんです。ごめんなさい」
 仕方がないので、温泉だけ入って帰りました。敏美さんと何を食べようかと確認してたのですが、無駄でした。
「アマゴのひつまぶし定食」
が幻になりました。
 さて、昼食はどうしようと思いましたが、付近にはありません。仕方なく奈義町まで走って焼き肉レストランに入りました。
 




 ここは当たりでした。
 
 デザートもと思いましたが、敏美さんから行きたいところがあると提案されて、すぐに出発しました。


 農村公園ノースヴィレッジです。
 しばし散策しましたが、暑いのでソフトクリームを食べたぐらいでした。
 孫たちには面白いところと確認。下見でした。
 
 
 帰り道。久しぶりに実家の埼玉に帰らないお盆を過ごしたことで、例年のお盆を考えました。
 
 
 私が子どものころ、お盆は新潟のおやじとおふくろの実家でした。石地海水浴場がすぐのところにあり、毎日泳ぎに通ってました。お盆が終わり、池袋に帰ると友達に越後弁を教えていました。
 
 
 大阪時代は、家族で埼玉の実家でのお盆です。私の夏休みが長かったので、毎年5日間ほど過ごしました。子どもたちは実家の周りで遊ぶぐらいでしたが、おばあちゃん、おじいちゃんと話したり作業したりすることが大好きでした。今思えば、おふくろもおやじも私たちの世話で大変だったはずです。帰るときはいつも長男が別れがつらくて泣いていました。
 
 
 そんなお盆風景でした。懐かしいなあ!
 
 
 そして今。先日は孫たちが2泊して帰りました。
 そうめん流し、花火、川遊び、温泉と楽しく過ごしました。とても賑やかでしたが、かわいい孫にいやされました。
 
 
  孫たちは私が新潟で過ごした夏の思い出と同じ気持ちをお土産にしてくれたかな❓
 
 
 
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4年前のFacebookから

2024-08-12 06:28:00 | Weblog
 35年前の今日。

 35年前の今日、ちょうど埼玉に帰省中で、前日の晩は池袋で幼なじみと居酒屋で盛り上がり、渋谷のKくん宅に泊めてもらい、12日は埼玉の実家に朝帰りであった。KくんはTBSの報道記者である。

 羽田発伊丹行きの日航機墜落事故はその12日の夕方だった。

 このとき、かみさんは身重で、お腹には8か月の次男がいた。そのため、いつもの車ではなく、長男と3人で大阪から、新幹線を使っての帰省だった。

 突然、おふくろの弟のおじから、
「秩父から山が明るく燃えているのが見える」
「幸雄は飛行機で大阪に帰ってないか?」
という連絡が入る。ことの重大さを知った。

 翌日13日の朝、事故現場からの生々しい映像をテレビで見た。言葉が出ない。

 TBSのニュースで、現場から帰り、第一報報告した記者は、一昨日、一緒に飲み泊めてもらったKくんだった。泥だらけの服装のまま現場の状況を伝えていた。

 帰省に飛行機を使うことはなかったが、仕事の出張では利用したこともある。いつもは車だが今回は新幹線だったので、もしか飛行機を利用使用としたら、、、恐ろしくなった。

 まさか自分が、とは皆思わなかっただろう。そう思うと、生死の境は、簡単にまたいで行けるとても低い壁のような気がする。けっしてまたいではいけない壁だ、、

 今日一日、生きていることに感謝してすごそうと思う。
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パリオリンピックから

2024-08-11 22:01:00 | Weblog
 パリオリンピックはライブではなく、毎朝ニュースで結果を聞くのと、新聞記事で活躍選手の姿を読むという観戦の仕方でした。日本が猛暑なので、暑い中で日本選手は頑張っていてすごいなあと感じてしまってます。
 感動したことを二つ紹介します。

 最初は印象に残った新聞記事写真です。



 団体戦で敗れた瞬間です。斉藤選手のもとに駆けつける仲間たち。村尾三四郎選手と高山莉香選手が最高でした。チーム日本の良さがわかった瞬間でした。


 そして、二つめは今日の朝のネットニュースから


 女子ビーチバレーボール決勝戦で、口論となりイエローカードとなった両チーム。そのとき流れた「イマジン」。観客も歌い出し、両チーム選手も笑顔になった。音楽の力です。DJに金メダルです。

 想像してごらん 天国なんて無いんだと

そう、簡単だろうたちの足下には地獄なんて無い私たちの天上には ただ空が広がっている

想像してごらん 国境なんて無いんだと

難しくないでしょう

殺す理由も死ぬ理由も無く

そして宗教をする理由も無い

想像してごらん

人はただ平和に人生を過ごしていることを

人はただ今日という日を生きていることを


 イマジンの歌詞の和訳です。先日、広島原爆の日平和記念式典で子ども代表の言葉と同じ意味が読み取れた。

 オリンピックは平和の祭典なのである。



 

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