今日は大学入学共通テストが行われる。私の前職では、ちょうど同じときに関西の私立中学校の入試が統一して行われるため、京都、兵庫、和歌山の有名私立中学校に取材に行っていた。京都駅や和歌山駅で、大学センター入試会場に行く受験生が長い列を作って、参考書を読んでいたことを思い出した。寒い季節だったんだなあ。
私と敏美さんの大学入試はどうだったかなあ。自分史(2018年10月)に書ききれなかったことを記してみたくなった。
まずは幸雄の場合・・
1975年である。
当時、共通テストなどはもちろんなかった。国公立大学入試は、大都市圏の総合大学が中心で入試日が早い一期校、地方大学や単科大学が中心で入試日が遅い二期校、そしてその間に公立大学が中心の中間校と、三期に別れて大学入試が行われていた。
私は、中間校で横浜市立大学、二期校で大阪教育大学を受験した。一期校には教員養成系がなかったからだが、受験できる実力もなかったため受験していない。私立大学はまったく受験していない。
中間校の横浜市立大学の入試のとき、覚えていることがある。
試験会場の自分の席に座ったとき、斜め前の席の女の子がスタスタと近づいてきた。そして
「ユキオだよね」
と一言。驚いてその子の顔を見ると、しばらくして
「えー、ウサミか」
と奇声をあげていた。彼女は、小学校4年生の終わりに転校して別れた宇佐美さんだった。小学校でかなり目立つ活発な子で、国鉄アパートに住んでいたのだが、親の転勤で新潟に引っ越した。それ以来の再会、それがまさか横浜市立大学の入試会場とは、である。
合格したらまた会えるね、のような会話をして別れたが、結果は不合格。私は予想通りであったが、宇佐美さんはどうだったかは今でも不明である。今ならスマホで連絡先くらいは交換していただろうなあ🤣
私の第一志望は二期校の大阪教育大学だつたので、ショックはなかった。
そして大阪に向かった。新幹線に生まれて初めて乗った。このときはこだまの自由席であった。東京、新大阪間が、ひかりでは3時間半、こだまでは4時間半であった。たっぷりと新幹線に乗りたかったのだ。
教育大の受験は覚えていない。必死だったのだろう。試験科目は国、数、英、理、社の5科目あり、理科は物理、化学、生物、地学から一つ、社会は日本史、世界史、地理から一つの選択で、理科は化学、社会は日本史を選択した。
そして合格。大阪での学生生活が決まった。
続いて敏美さんの場合・・・
武庫川女子大学、京都女子大学という2つの私大を受験した。共に教員養成課程のある大学である。入試科目は3科目で、その中に嫌いな社会があったそうだ。結果は2大学とも不合格。このときに予備校に入るかもしれないと準備したそうだ。
その後、京都女子大学短期大学部を受験した。こちらは合格した。
もちろん本命は大阪教育大学だったが、滑り止めの京女短大に合格したので、入学金を納めたそうだ。納めてないと大阪教育大学が不合格になったら京女短大に入学出来ない。当時はこれが当たり前の入試の規則であった。
そして大阪教育大学を受験した。
このとき、私と敏美さんは同じ試験会場いたはずだか、知るよしもなしである😅
大阪教育大学の入試は2日間あった。1日目が終わり駅から家に帰る途中、電気屋さんのテレビで、大相撲で貴乃花と北の湖の優勝決定戦を見たそうだ。私は旅館のテレビでこの優勝決定戦を見たことを自分史で書いたが、このときの大相撲はものすごく人気があったようだ。
そして敏美さんも大阪教育大学に合格。
京女短大の入学金がもったいないよー😭
私大に不合格で、国立に合格とはなあ、である。
大学生活が始まった。そして同じクラスの敏美さんと出会った。
次の写真は大学の森林実習のときのもの。私と敏美さんはどこかな❓
[オマケの話]
大学生活が始まったが、東京育ちの自分には辛いことばかりであった。言葉遣いをバカにされ、私の心の中までどんどん入り込んでくる大阪人気質が耐えられなくて、真剣に悩んだ。ホームシックになった。
夏休みに池袋の実家に帰ったとき、小学校からの幼馴染の神谷、目崎、伊利子(自分史にも登場している数少ない女友達)と4人で同窓会をした。宇佐美さんとの出会いや悩みを聞いてもらったが、みんな自分のことのように考えてくれた。神谷は宇佐美さんと同じ国鉄アパートに住んでいたので、本気で探したがった。好きだったようだ🤣
熱かったなあ。これぞ友情である。
目崎は薬大生、伊利子は私立女子大生で、神谷は予備校生だった。神谷は北海道大学を受験したが、不合格になった。神谷はそのときの不合格通知の電報を持ってきた。
「津軽波高し」
という文面である。
「津軽海峡が荒波で、本州の人間は渡って来られない」という意味である。不合格通知電報の定番は「桜散る」だが、なんとかっこいい電報文なんだと4人で盛り上がった。
そんな神谷は1年浪人してから、一橋大学に入った。
(神谷と目崎は、私の結婚式に出席してもらったたった二人の友人である)