アーモーおやじ

テニスのときによく出る「アーモー」。これが口癖で、なんでも首を突っ込んでは失敗を繰り返しているじいさんの日記です。

大好きな太田裕美

2021-09-29 17:22:00 | Weblog

 大学同級生のグループLINEは、みんなで記憶の呼び起こしで、盛り上がっています。

 さだまさし(グレープ)、風、オフコース、かぐや姫、吉田拓郎など、大学時代によく聴いた歌手の思い出や歌詞も懐かしんでいます。

 サザンとダウンタウンブギウギバンドの勘違いを前回述べましたが、それ以外にも記憶違いがいくつも判明しています。


 18歳の4月、1975年に東京から大阪に来ましたが、そのときはちょうどイルカのなごり雪が流行り、歌詞の「東京で見る雪はこれが最後だと、、」を自分の東京卒業とリンクさせて覚えていましたが、これまたまったくの記憶違いでした。イルカがかぐや姫のなごり雪をカバーしたのは197511月で、大学1年の冬から流行り出しました。

 自分の大阪行きを美化させてたようです。



 また、風の「君と歩いた青春」をよく聴いたと同級生は記憶してましたが、私はこの曲は太田裕美が歌ったと覚えてました。太田裕美がカバーしたのは私が大学卒業したあとでした。

 

 万事がこんなことですが、間違いない記憶もありました。


 これまた太田裕美です。


 彼女はスクールメイツを卒業して、「雨だれ」という曲でデビューしました。ピアノの弾き語りで、舌足らずの声がなぜか心を打ち、大ファンになりました。大学1回生のときです。そして、この弾き語りを敏美さんに弾いてほしいと頼み、敏美さんが弾いてくれたのが2回生です。

 これも記憶違いかと調べたら、1975年デビュー、間違いありませんでした。

彼女は「木綿のハンカチーフ」が代表曲みたいですが、私は「雨だれ」や大滝詠一作曲の「さらばシベリア鉄道」、吉田拓郎作曲の「失恋魔術師」、前述の「君と歩いた青春」などが大好きです。


 太田裕美のことだけは、間違いありません。今でも大ファンです。




 ただ、敏美さんに聞くと、そんなことあったかなあ、とまったく覚えてないようです。これは、とてもつらいなあ😅

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2か月ぶりの埼玉で

2021-09-28 06:33:00 | Weblog
 いつもながらの高速の深夜割引利用のため、昨日、夜中の3時に上郡出発。高速に乗るまではシカにぶつからないように慎重にゆっくり運転である。

 龍野インターから、山陽道、新名神、名神、再び新名神、伊勢湾岸道、新東名、東名、圏央道、関越道、と走って東松山インターまでの680キロ。車さんありがとう、である🤗

 静岡では快晴。初冠雪の富士山もよく見え、制限速度120キロ区間を快適ドライブできた。




 駿河湾もよく見えた。


 実家に帰っておふくろに
「体の具合はどうですか?」
と聞くと、
「それがなー」
と足の裏にできたタコが硬く盛り上がって痛いとのこと。かかりつけの皮膚科が午後診療もやっていたので連れて行き、措置してもらった。
 埼玉も田舎と思ったが、近くにすぐ見てくれる医者がいるのだ。上郡よりずっと便利だとわかっ。ありがたい。

 昨日はおふくろと同じ、夜8時から寝て、5時に目が覚めた。なぜか実家ではよく眠れる。不思議だ。

 墓参り、畑仕事、肥料の買い出しとおふくろの頭には、私のやることがびっしりと詰まっている。たんたんとこなすしかない。ただ、耳も手足も不自由ながらもおふくろはしっかり自力している。介護職について、そのことだけはハッキリとわかった。

 
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弱いということの自覚

2021-09-23 07:35:00 | Weblog
 テニスをし、超肉体労働の介護職を続けられるのは、丈夫な体だからではない。テニスや仕事をしているから体が動くのだ。
 このことを常に意識して、生活をしているが、病や怪我に全くたち打ちできない。今までの長い人生で、幾度となくやられてきた。その中の3例である。

その1 虫垂炎
 息子たちが保育園時代、つまり人生で最も忙しかった30歳である。
 お腹が張って済生会吹田病院の夜間救急を受診。胃腸炎と言われて痛み止めをもらう。
 次の日の朝も痛みが続くので、今度は内科を受診。エコー検査をしたが、同様の結果で返される。
 その次も日も痛みがおさまらず。またまた受診。内科の待合室で座っていると、保育園で長男と同じクラスのNさんと出会う。彼女はこの病院の看護師さん。事情を説明すると、
「それは内科でないから、私が診察券を外科に出しとくね」
とのこと。その流れで外科を受診。Nさんが先生の傍らで措置してくれた。
 先生が左下腹をぐっと押し、その押した手を急に離すと、激痛が走った。
「盲腸だね」
と一言。即、入院して手術となった。
 いったいこの苦しんだ数日はなんだったんだ、と叫んだ。
 内科医は虫垂炎も見つけられない。しかし、外科の看護師のNさんは問診だけですぐにわかる。Nさんは命の恩人である。


その2 ギンナンかぶれ
 三男が定期的に阪大病院に通院していて、吹田の我が家から大阪市内福島の阪大病院まで車で行っていた。
 その通り道で、十三横の淀川堤防下にはイチョウ並木がある。
 33歳の秋のある日、そのイチョウ並木の横を通ると大量のギンナンが落ちていた。「これは儲かる」と思い、休日に学童保育が同じHさん、Hさんの息子、私、長男の4人でギンナン取りに。
当時、吹田東小学校学童保育の会長をしていて、そのバザーでこのギンナンを売ろうと思ったのである。
 臭いギンナンを我慢してポリバケツいっぱいに取った。
 家に帰って駐車場でそのギンナンを洗い、乾かした。時間がなかったので土に埋めて種だけになるのを待てなかった。
 次の日、首すじが赤くなり熱が出てきた。病院の皮膚科を受診。
「ギンナンによるアレルギー」
と診断。結局、首すじの腫れはゆっくりと全身に広がり、仕事を1週間休んだ。Hさんの息子も軽かったが同じ症状が出た。だが、Hさんと長男は全く元気だった。
 バザーでギンナンはすべて売れたが、二人の診療代のほうが高かった。


その3 アキレス腱断裂
 39歳のとき、我が家の近くの安威川に吹田市営の南正雀テニスコートができた。
 三男も小学校に入り少し時間に余裕ができたので、夫婦でテニスを楽しもうと決めた。少しは上手くなりたいと思い、相川テニスプラザというスクールに二人で入った。
 スクールでの3回目のレッスンで、前のボールを取ろうと走って1歩目。「ポーン」という音とともに左足首に激痛が走る。誰かが石を投げ、それが足首に当たったと思い、後ろを張り向いたが誰もいない。すぐにコーチ、スクール生が集まり、
「今、すごい音がしたよ」
と教えてくれた。
 足首の上が大きく腫れていた。切れた筋肉が上に集まっていた。
 すぐに救急車で天六の加納病院に入院となる。アキレス腱完全断裂の診断。
 この日は金曜日だったが、手術は来週の木曜日と言われた。そんなに待てなかったので、敏美さんに迎えに来てもらい加納病院を脱走。日曜日に吹田市民病院の休日診療を受診。即、入院手続きをして火曜日に手術した。
 加納病院では手術後3週間入院と言われたが、市民病院では手術の翌日に退院。「ギブスで固定したらその後の措置はギブスを外すときだから」とのこと。
 松葉杖で退院翌日から会社に出勤した。
 病院で、こんなにも対応が違うのか、よくわかった。

 医者も病院もしっかり選ばなくてはならない。
 元気だからこそ、こんなことが起こる。身体は弱いものなのである。


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花も野菜も元気です

2021-09-16 10:55:00 | Weblog
 すっかり秋めいてきて、過ごしやすくなりました。昨日のナイターテニスでも、休憩中は汗が冷たく感じられました。

 我が家では、秋明菊の白とピンクの花が可憐に咲き、どうしてこんなに増えるのかと不思議なくらいにベゴニアが咲き散らかしています😅





 また、根切りと剪定をしたナスが再び元気になって花をたくさんつけています。


 

 小さな畑では、サトイモの葉がバカでかく、サツマイモやゴーヤの葉もぎゅうぎゅう詰め状態です。




  
 さらには勝手に出てきたヤーコンが、大魔神のように仁王立ちしています😆



 みんな、過ごしやすい季節を待ちわびていたようです。


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バルサンの日

2021-09-16 10:39:00 | Weblog
 上郡の家に引っ越しする前の冬、懐中電灯を持ち、屋根裏に登ると、大きなスズメバチの巣と小さなハチの巣を3つ発見。
 冬の時期だったので大丈夫と思い恐々撤去。
 その1か月後の早朝に敏美さんがスズメバチに刺され、赤穂中央病院で治療。医師も殺したスズメバチを見てびっくり。撤去した巣で冬眠していたスズメバチの残党だった(詳細は当時のブログにあり)。

 もう2度とこんな目にあいたくないので、屋根裏に電灯を取り付け、通気口を網で塞ぎました。また、定期的に屋根裏と床下に入り、殺虫剤などで防御しています。





 さらに、春先に鳥が侵入して、天井の断熱材をちぎったことがあり、これを防ぐための木酢液も補充します。木酢液のにおいは害獣や野鳥が嫌うそうです。



 この点検の日をバルサンの日と呼び、我が家では3か月ごとにカレンダーにマークしています。

 田舎に暮らすとは、こんなにも手間がかかるものなのです🤣

 
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記憶ほど曖昧なものはない

2021-09-11 07:03:00 | Weblog
 大学クラブ仲間で立ち上げたグループライン。昔話で大盛り上がりです。

 記憶の呼び起こし作業をやっていますが、その不確かなことをみんな痛感しているようです。

 住んでいた学生寮の寮祭で、私たち同回生はサザンの勝手にシンドバッドを女装して踊った、と私は記憶していたのですが、当時、その曲はまだ世の中に出ていません。調べてみると、当時大ヒットしていたのは、ダウンタウンブギブギバンドの港のヨーコ〜、、でした。そう言えばその曲で踊ったような気がしてきました。


 大学卒業から43年も経つと、記憶なんて万事がこんな具合なんでしょうね。
 グループラインでは、一人の投稿をみんなでフォローし合って、記憶を繋げている作業ばかりしています。これもとても面白いし、頭の活性化になるのかな、なんて勝手に思っています😅

 今は、人形劇の専門用語と人形劇の幕間に子どもたちとやったダンスの記憶を掘り起こしています。

 ダンスは「鬼のパンツ」と「スイカの名産地」、「お弁当箱のうた」など。少しはふりも覚えてました。

 専門用語は、けこみ、どぐし、ほり、人紹、黒子などなど。かろうじて私は覚えていましたよ。

 
 
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大学同級生とのグループライン

2021-09-06 06:45:00 | Weblog
 緊急事態宣言から佐用町の図書館が利用できなくなり、仕方なく上郡町立図書館に出かけました。

 一応、ジャンルごとに本は分けられているのですが、狭いスペースに本を詰め込んでいるので、探したい本が見つかりません。上郡町の新町長さん、なんとかしてください、、なんて思いながら強引に決めた本を持って貸し出し窓口に行きました。すると職員さんから
「リサイクル本がロビーにありますから、欲しいのがありましたらお持ち帰りください」
と言われました。

 本の整理して出た面白くない古本か、と期待せずに眺めていると、びっくりです。



 この2冊の絵本です。
 大学のときの人形劇クラブでやった原作本なんです。
 とても懐かしくて、嬉しくなってしまいました。これは私と敏美さんだけで喜ぶにはもったいないと思い、家に帰って今も連絡を取り合っている同級生に報告しました。

 すると、私は今も持っているとこの写真を送ってくれました。



えー、しっかり保存していたなんて、大感動です。

 そこで、私たちだけでこの感動を味わうのは、またまたもったいなくなって、
「そうだ、クラブ同級生とのグループラインを立ち上げればこの感動を共有できるし、みんなの近況なんかも知ることができる」
なんて勝手に思い、その作業に入りました。日本中が大変な状況の世の中なので、少しでも元気が出たら嬉しいという気持ちもあります。

 母を頂点にした親族、私の家族、山小屋仲間、佐用テニス同好会でグループラインをしていますが、自分が立ち上げるのは初めてです。

 まずはご賛同いただけるかどうか確認して、私が連絡がつかない同級生は連絡がつく同級生にお願いしました。

 みんな四苦八苦して協力してくれました。なんせ高齢者の集まりなので、ラインが不慣れな人、招待の仕方がわからず新しくグループラインを作っちゃった人など、大笑いネタばかりがそろってしまいました😅

 悪戦苦闘の末、今現在10名のグループができました。まだ、奮闘している高齢者もいるはずです🤣
 

 調べてみると、2015年1月にクラブ同窓会をしました。それ以来の同窓会をグループラインを立ち上げただけでできたような気分です🤗

 
追伸
 上郡町立図書館の悪口ばかり言ってごめんなさい🙏 こんな楽しい展開になったのは図書館さんのおかげです。
 


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パラリンピックを見て思うこと+感動編

2021-09-05 07:29:00 | Weblog
 生物の授業で学習したと思うが、ヒトは未成熟の状態で生まれ、親が何年も世話をしなくてはならない動物で、一人では生きられない。漢字の「人」の形がそのまま人間社会を表している。

 孫の成長を見るじいさんとして、なおさらヒトの生物的特徴を知らされている。

 そんなときのパラリンピックである。世話をしてもらわないと競技を続けられないアスリートの大会である、と思っていた。

 今までは競技者ばかりを見ていたが、今回のパラリンピックでは介助をするヒトが気になって仕方がない。介護職として働くようになったからだろうか。よくわからないが、とにかく気になって仕方がない。メダルを取ってコーチと抱き合うアスリートを見るたびに、涙腺が緩んでしまう。
 
 私は、パラリンピックを特別な大会と考えていたのかもしれない。これは間違っていたことがわかった。
「助けてくれて、支えてくれた方々に感謝するします」
競技を終えたときに出るこの言葉はパラアスリートだけでなくオリンピックでもよく聞かれた。1年延期になったからだけではなく、これがヒトのスポーツ大会だからである。オリンピアンも助けられて当たり前なのである。

 健常者と障がい者という区別、これは大嫌いである。私は健常者でもなんでもないと思っている。できないことだらけで、弱点ばかりである。世話になってばかりの高齢者である。
 ただ、世話になっている以上に世話をしたいという気持ちがある。それはヒトだからだろう。
 
 健常者と障がい者、この言葉がなくなる世界に少しでも近づきたい。






 
 前振りが長くなりすぎてしまった。
 パラリンピックでの感動編である。

その1
 大好きな国枝選手。強かった。
 かつて、テニス界のレジェンド、ロジャーフェデラー選手が、日本人記者から強さの理由を問われたとき、
「日本にはクニエダ選手がいるじゃないか」
と返した。
 まさにその言葉通りを実践してくれた。
 ありがとう。


その2
 日本人最年長金メダルリスト、杉浦佳子選手。
 自転車タイムトライアルとロードの2冠である。
「最年少記録はつくれないけど、最年長記録はまたつくれますよね」
これにはやられたね。私もこんな発言してみた〜いよー。
さー、今日のテニスも燃えるぞ!


その3
 日本人最年少メダリスト山田美幸選手。
 素晴らしい背泳ぎ、空いた口がふさがらないほど驚いたよ。
 生まれたときから大変な努力が、あの水中での足のキックを見ればわかった。
 しっかり動画を撮ったから、孫にも何回も見せるからね。

 すべてのパラアスリートとコーチ、介助者、私はリスペクトします。


 

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