2015年1月9日、今週2度めの池田です。
昨年、いろいろあったので盛大に新年会をやろうと、かみさんが企画して、池田のかき峰で新年会をしました。
私、かみさん、息子三人、長男の妻の6人で宴会だあ。
かき峰は、学生時代にかみさんがお運びさんのバイトをした牡蠣のコースだけの店です。
(そこでかみさんを見染めた、なんて嘘です)
酢牡蠣、土手鍋、牡蠣フライ、牡蠣ごはん、、次から次へとでましたが、チョット待てよ、昔とちがうぞ。
土手鍋は味噌を鍋まわりに塗り、土手を作るのでは? なんと白味噌が底に沈んでいる。
牡蠣フライは味がフライについていて、やや味が濃いぞ。フライはウスターソースだろ。
若者にはいいかもしれませんが、36年前のかき峰を知る夫婦には残念でした。
宴会後は、宵えびすの呉服神社へ。
この呉服(くれは)神社も学生時代にかみさんが巫女さんのバイトをしていたところです。(ここでかみさんを見染めて・・・嘘ですが^_^)。
私の学生時代は五月山下の大学の寮での寮生活でした。当時の寮は今のような個室ではなくて4人部屋。学生運動の名残みたいなものがあり、寮生が自治会をつくって運営していました。ただし、この寮はバンカラ気質が残っていて、大学のやや政党よりの自治会には融合せず、独自の路線で自治をしていました。それだけは私たち寮生のプライドだったと思います。
ただし、バカばかりやっていたのも事実です。
寮には電話が1台しかなく、外から電話がかかってきて、それが女性だとそれはもう大変です。「○号室の高橋、女性から電話です」と館内放送で呼び出されるのですが、電話口に到着のころには数人の寮生がスタンバイしています。電話での会話についてあれやこれやの大騒ぎ。
「攻めろよ」「そりゃアカン」「じれったいなあ、代ったろうか」などはまだましなほうで、「○○ちゃんはどうすんだ」「うふーん」など放送できない用語も飛び出して、電話などできる状態ではなくなります。彼女などできるわけがありません。今はスマホで秘密に出来ますが、プライバシーが存在しない、そんな寮生活でした。
でもでも楽しかったなあ。