アーモーおやじ

テニスのときによく出る「アーモー」。これが口癖で、なんでも首を突っ込んでは失敗を繰り返しているじいさんの日記です。

また行きたくなるお店とは

2024-08-29 06:04:00 | Weblog
 台風への備えをした休日。

 野菜たちが生き返っています。
 猛暑日の晴天でも、毎日水やりをしていました。元気なのはシシトウとピーマンで、キュウリ、ナスはあまりなりません。サトイモの葉も赤く枯れた部分が目立ちます。ところがこのところ、短時間ですが、毎日雨があるせいか、元気がなかった野菜が復活してきました。水やりをたっぷりしてきたつもりですが、雨の比ではなかったことがよくわかりました。ありがたい雨ですが、台風の影響です。今度は雨の被害がでないことを祈っています。自然はなんと複雑で試練と恩恵が隣り合っています。

 台風が来る前にスイーツでも食べようと思い、西粟倉のベース101%に行きました。イチゴミルクは砕いたイチゴが冷たく、さっぱりしました。幸せ幸せ。よく行くいいお店です。

 また行きたくなる店とは、、、
 おいしさ、コスパなどいろいろありますが、お店の方の対応も重要です。

 敏美さんが宍粟市のお店にオカリナ仲間5人とランチの予約をしました。古民家レストランWです。ところが台風が来るかもと判断してやめようということになり、そのお店に予約取り消し電話をしました。そのときのご主人の対応です、、
「いつもありがとうございます。連絡が来るかと思っていました。また今度天気の良いときにゆっくりご来店ください」

 柔らかな応対で、気持ちがよかったそうです。宍粟市山崎から少し奥まった場所のお店ですが、お客さん優先の対応、素晴らしいです。
 電話が終わり、敏美さんは絶対に行くからねと思いました。そしてこのやりとりをオカリナ仲間に連絡しました。口コミで広がっていくんだろうなあ‼️
 

 
 
 
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練馬ナンバー? でビックリポン

2024-08-23 08:31:00 | Weblog
 我が家の家庭菜園の周りに、ユリがたくさん咲いています。ササユリのようです。







 昨年咲いたあとで、敏美さんが種をあちこちに蒔いたので、それが今、開花しているようです。猛暑の中で頑張って私たちを励ましてくれています。

 
 先日、びっくりした話。
 上郡のナイターテニス教室に行き、駐車場に車を止めたとき、横の車が「練馬」ナンバー。おやじが乗っていた練馬ナンバーのライトエースを思い出した。

 いったい誰だろうと思いつつテニスコートに向かい準備体操を始めました。するとそこに知らない方がおられ、リーダーが今日からテニス教室に参加されるFさんと紹介しました。

 練習を始め、休憩中に敏美さんが驚いたように
「Fさん、池袋から来たそうよ」
と一言。
「えーーー😱」

 あの練馬ナンバーの主はFさんでした。

 詳しく聞いたところ上郡に移住したくて、今、移住促進町営住宅で暮らして、家を探しているとのことでした。
 なんでも故郷は四国で、仕事で東京都豊島区西巣鴨にずっといて、定年前にこちらに住むことにしたとのことでした。

 私が大学で大阪に来るまで、池袋本町に住んでいたことを話すと、びっくりしていました。私も豊島区のいろいろな場所の話ができて嬉しくなりました。
 私は池袋発大阪経由でここに来ましたが、池袋から即上郡とは。なんでまた上郡に? これからゆっくり聞いていきますかな。
 なんでもテニスが大好きで、テニス仲間ができることを切に望んでいる方なので、話をすることが楽しみになりました。

 広い日本ですが、こんなことよく聞くような気がします😅


 オマケ
 Fさんと話をしていた上郡人は、希望にあふれて自然豊かな上郡暮らしをしようとしているのに、
「上郡は何にもないよ」
「不便だよ」
を繰り返します。
 もう少し上郡のいいところ言ってあげてよー😂

 
 
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里帰り 回顧

2024-08-17 08:50:28 | Weblog

 津山市北部の阿波村のあば温泉に行き、盆休み最後を締めくくりました。

 
 行く前に電話で食事と温泉の入浴時間を確認して、お昼ご飯、温泉の順で楽しむ予定でした。
 1時間半のドライブで到着。
 気温は28℃。涼しー❗️
 早速食事と思いレストランへ。
 😨ガーン、閉まっています。
 すぐに温泉の受付に行き確認すると、
「ごめんなさい、レストランはお休みなんです。ひょっとして電話してこられた方ですか。私が言ったんです。ごめんなさい」
 仕方がないので、温泉だけ入って帰りました。敏美さんと何を食べようかと確認してたのですが、無駄でした。
「アマゴのひつまぶし定食」
が幻になりました。
 さて、昼食はどうしようと思いましたが、付近にはありません。仕方なく奈義町まで走って焼き肉レストランに入りました。
 




 ここは当たりでした。
 
 デザートもと思いましたが、敏美さんから行きたいところがあると提案されて、すぐに出発しました。


 農村公園ノースヴィレッジです。
 しばし散策しましたが、暑いのでソフトクリームを食べたぐらいでした。
 孫たちには面白いところと確認。下見でした。
 
 
 帰り道。久しぶりに実家の埼玉に帰らないお盆を過ごしたことで、例年のお盆を考えました。
 
 
 私が子どものころ、お盆は新潟のおやじとおふくろの実家でした。石地海水浴場がすぐのところにあり、毎日泳ぎに通ってました。お盆が終わり、池袋に帰ると友達に越後弁を教えていました。
 
 
 大阪時代は、家族で埼玉の実家でのお盆です。私の夏休みが長かったので、毎年5日間ほど過ごしました。子どもたちは実家の周りで遊ぶぐらいでしたが、おばあちゃん、おじいちゃんと話したり作業したりすることが大好きでした。今思えば、おふくろもおやじも私たちの世話で大変だったはずです。帰るときはいつも長男が別れがつらくて泣いていました。
 
 
 そんなお盆風景でした。懐かしいなあ!
 
 
 そして今。先日は孫たちが2泊して帰りました。
 そうめん流し、花火、川遊び、温泉と楽しく過ごしました。とても賑やかでしたが、かわいい孫にいやされました。
 
 
  孫たちは私が新潟で過ごした夏の思い出と同じ気持ちをお土産にしてくれたかな❓
 
 
 
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4年前のFacebookから

2024-08-12 06:28:00 | Weblog
 35年前の今日。

 35年前の今日、ちょうど埼玉に帰省中で、前日の晩は池袋で幼なじみと居酒屋で盛り上がり、渋谷のKくん宅に泊めてもらい、12日は埼玉の実家に朝帰りであった。KくんはTBSの報道記者である。

 羽田発伊丹行きの日航機墜落事故はその12日の夕方だった。

 このとき、かみさんは身重で、お腹には8か月の次男がいた。そのため、いつもの車ではなく、長男と3人で大阪から、新幹線を使っての帰省だった。

 突然、おふくろの弟のおじから、
「秩父から山が明るく燃えているのが見える」
「幸雄は飛行機で大阪に帰ってないか?」
という連絡が入る。ことの重大さを知った。

 翌日13日の朝、事故現場からの生々しい映像をテレビで見た。言葉が出ない。

 TBSのニュースで、現場から帰り、第一報報告した記者は、一昨日、一緒に飲み泊めてもらったKくんだった。泥だらけの服装のまま現場の状況を伝えていた。

 帰省に飛行機を使うことはなかったが、仕事の出張では利用したこともある。いつもは車だが今回は新幹線だったので、もしか飛行機を利用使用としたら、、、恐ろしくなった。

 まさか自分が、とは皆思わなかっただろう。そう思うと、生死の境は、簡単にまたいで行けるとても低い壁のような気がする。けっしてまたいではいけない壁だ、、

 今日一日、生きていることに感謝してすごそうと思う。
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パリオリンピックから

2024-08-11 22:01:00 | Weblog
 パリオリンピックはライブではなく、毎朝ニュースで結果を聞くのと、新聞記事で活躍選手の姿を読むという観戦の仕方でした。日本が猛暑なので、暑い中で日本選手は頑張っていてすごいなあと感じてしまってます。
 感動したことを二つ紹介します。

 最初は印象に残った新聞記事写真です。



 団体戦で敗れた瞬間です。斉藤選手のもとに駆けつける仲間たち。村尾三四郎選手と高山莉香選手が最高でした。チーム日本の良さがわかった瞬間でした。


 そして、二つめは今日の朝のネットニュースから


 女子ビーチバレーボール決勝戦で、口論となりイエローカードとなった両チーム。そのとき流れた「イマジン」。観客も歌い出し、両チーム選手も笑顔になった。音楽の力です。DJに金メダルです。

 想像してごらん 天国なんて無いんだと

そう、簡単だろうたちの足下には地獄なんて無い私たちの天上には ただ空が広がっている

想像してごらん 国境なんて無いんだと

難しくないでしょう

殺す理由も死ぬ理由も無く

そして宗教をする理由も無い

想像してごらん

人はただ平和に人生を過ごしていることを

人はただ今日という日を生きていることを


 イマジンの歌詞の和訳です。先日、広島原爆の日平和記念式典で子ども代表の言葉と同じ意味が読み取れた。

 オリンピックは平和の祭典なのである。



 

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違いは悪ではない

2024-08-07 07:03:00 | Weblog
 原爆が落とされ79年。
 今年もこの日がやってきた。



 子ども代表の言葉でいつも涙する。
違い」を良さととらえ、自分の考えを見直すこと。
 この言葉、現在戦争を続けている国の指導者に届けたい。

 20歳のおやじは東京にいて、終戦を迎えた。13歳のおふくろは新潟にいて終戦を迎えた。おやじは足が不自由だったため軍隊には召集されなかった。でもそのことがかえっておやじを苦しめた。お国のために働いていないと言われて。
 おふくろの兄は戦死した。戦死した兄を軍神とする考えに、おふくろは悩み苦しんだ。
 戦争は戦地で戦っている軍隊だけの問題ではなく、それ以上に国に残る人々を苦しめたことを忘れてはならない。

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夕方散歩

2024-08-04 19:29:00 | Weblog
 6月から職場が代わり、家に帰るのが18時ごろが多くなりました。夏なので夕食後もまだ明るいので、敏美さんと近所を散歩するようになりました。

 我が家の近所には2つのお寺があります。散歩では必ずお寺でお参りをさせてもらってます。
 家からすぐのところにあるのが真言宗のお寺、そして少し歩いたところにあるのが浄土真宗のお寺です。
 私の山小屋が高野山すぐの九度山町にあるので、真言宗はなぜか親しみを覚えてしまいます。いつか四国八十八ヶ所巡りもして、弘法大師空海さんと歩きたいと思っています。
 浄土真宗は、私のおやじとおふくろが眠るお墓が埼玉の浄土真宗のお寺にあり、これまた親鸞さんに教えをいただいております。おやじとおふくろの実家は新潟県柏崎市で浄土真宗のお寺がたくさんあります。

 毎日お参りしている浄土真宗のお寺は浄願寺さんです。



 ここで手を合わせ、家族の健康をお祈りさせていただいています。

 私は無宗教ですが、ご先祖さんがいたから今の自分があることを忘れず、健康に暮らせていることに感謝、毎日そのことをお参りさせてもらっています。

 散歩コースにはヒマワリが咲き誇っています。



 仕事疲れの私に、
「お疲れさん、明日も頑張れよ」
とヒマワリは語りかけてくれています😊


 


 
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冷夏の思い出

2024-08-01 16:37:00 | Weblog
 1980年3月、23歳のときに結婚をした。住まいは大阪市東淀川区井高野の文化住宅である。すぐ横に安威川が流れていて、対岸の吹田市吹東町に敏美さんの実家があり、実家まで自転車ですぐの場所が新居だった。

 2LDKの狭い住まいだったが、ふたり暮らしには十分で、快適生活だった。

 この1980年は記録的な冷夏であった。



 記録を調べたら、大阪の7月と8月の最高気温の平均は30℃、最低気温の平均が23℃。連日猛暑日の昨今と比べものにならないくらい涼しかったのだ。オホーツク海高気圧が広く日本列島をおおっていて、太平洋高気圧がまったく北上しなかったのがこの冷夏の原因で、雨も多く、日照時間も少なかった。
 エアコンをつけた新居であったが、まったくエアコンの冷房を使わなかった。

 涼しくてよかったのだが、農家は大変であった。農作物が不作で、米もできなかった。今年は猛暑で米の不作が言われているが、生き物相手はなんとも難しい。

 上郡の山の中の暮らしだが、一昨日は37.7℃の観測史上、上郡の最高気温を記録した。
 いろいろ問題もあるけど、冷夏が恋しい😅



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