前日までたっぷりと雪が降り、いい天気の今日は絶好のコンディション。
カーリングは、技量と同じくらい、しきたりを重んじるスポーツである。うまくいったショットはひとつの喜びだが、 カーリングの伝統あるしきたりが真に生きているゲームを目の当たりにすることは、それに勝るとも劣らないくらい素晴らしいことである。 カーラーは勝つためにプレイするのであって、負かすためにプレイするのではない。 真のカーラーは、不正をして勝つくらいなら負けることを選ぶだろう。
良きカーラーは対戦相手の気を散らしたりしない。 またそういう行為によって、ベストを尽くそうとしている相手を邪魔したりはしない。
いやしくもカーラーたる者は、故意にルールを破ったり、しきたりを辱めたりはしない。 しかし、もし偶然そうしてしまい、それに気づいたならば、誰に言われるまでもなく、自ら違反を申し出るものである。
ゲームというものは、プレイヤーそれぞれの技量を明らかにするためにある。 しかし同時にゲームの精神について言えば、善きスポーツマンシップ、思いやりある態度、そして誇り高い振る舞いが求められている。 この精神は、ルールの解釈や適用のしかたに生かすべきであるのみならず、アイスの上にあるとなきとにかかわりなく、すべての参加者が行いの鑑とすべきものである。
<日本カーリング協会競技規則より>
セルフジャッジが基本のカーリング規則の前文の言葉です。
北京オリンピックで感動を語りたいのを邪魔しているのは、競技の後ろに見え隠れする悪魔の存在です。
私は、カーリング精神で、競技者を応援したい。
自利とは、自らの幸せ。
利他とは、相手の幸せ。
幸せになりたければ、利他に心がけよ
お釈迦様は、幸せになりたければ、相手を思いやりなさい。相手の幸せを思いやってかけた言葉や行動は、必ず、あなた自身に思いやりとなって返ってきますよと教えられています。
これを、自利利他といいます。利とは幸せという意味ですから、相手の幸せを思いやるままが、自分が幸せとなるということです。
仏教では大切な教えだそうです。
そして先日、友人が、尊敬しているブックオフ創業者で「俺の」シリーズレストラン経営者の坂本孝さんが亡くなったことを、自分のfacebookに紹介してました。なんでもひょんなことから坂本さんと出会い、いっしょに食事したり、仕事を応援してもらったりしたそうです。
そしてその坂本孝さんのことを調べてみると、彼は京セラの稲盛和夫さんの経営塾の生徒であったことがわかり、その稲盛さんから利他の精神を学んだとありました。それがこちらです。
私たちの心には「自分だけがよければいい」と考える利己の心と、「自分を犠牲にしても他の人を助けよう」とする利他の心があります。利己の心で判断すると、自分のことしか考えていないので、誰の協力も得られません。自分中心ですから視野も狭くなり、間違った判断をしてしまいます。
一方、利他の心で判断すると「人によかれ」という心ですから、まわりの人みんなが協力してくれます。また視野も広くなるので、正しい判断ができるのです。
より良い仕事をしていくためには、自分だけのことを考えて判断するのではなく、まわりの人のことを考え、思いやりに満ちた「利他の心」に立って判断をすべきです。