アーモーおやじ

テニスのときによく出る「アーモー」。これが口癖で、なんでも首を突っ込んでは失敗を繰り返しているじいさんの日記です。

2023年 年末帰省

2023-12-31 06:52:00 | Weblog
 2023年の年末帰省。

 いつものごとく3時出発。
 高速の深夜割引を利用するためである😅

 湾岸長島SAに6時15分着。朝食のおにぎりタイム。
 東の空が赤くなり出し、湾岸道豊田南で真正面から日の出。すぐにサングラス。
 
 新東名浜松SAで給油⛽️。ここまで370キロ走破。快晴である。
 清水IC付近で、久しぶりの富士山とご対面。







 富士市まで、富士山を眺めて走る。いろいろな角度から撮影。最後は東名足柄SAからと決めていたが、残念ながら雲に隠れてしまった。

 圏央道に入る海老名JC前後で、事故渋滞に巻き込まれてしまった。ここまで順調にきたのだが、、。腐ることなく安全第一であると自分に言い聞かせてハンドルを握り直す。

 13時に東松山の実家到着。10時間、670キロである。

 弟がいい天気だからと、ベランダに布団を干しまくっていた。ありがたい。


 仮眠のあと、お墓参り。おふくろ、親父に今年も無事に終わるよ、と報告しながらお墓掃除をして、お花🌸をいけた。

 その後、明日の作業のためのホームセンターで水道管凍結防止グッズを購入。

 晩は弟一家が来て、作って持ってきた相生産の牡蠣フライを食べ、大麻雀大会、、だったのだが、私は睡魔に襲われて大会はダウン。私以外で盛り上がったようだ😢


 初めてのおふくろのいない実家での年末である。
 実家に来ると、なぜかよく眠れる。上郡の家で眠るより、よく眠れる。
 不思議な気持ち。親父、おふくろがいる(いた)からかもしれない😌
 

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年に一度のお買い物、in姫路

2023-12-23 17:20:00 | Weblog
 いよいよ年の瀬。

 忙しかった卯年の終わりにちょっとだけ贅沢させてもらいました。車で姫路に行き、昼ご飯に美味しいものを食べて、買い物をしました。






 美味しいものは回転寿司。姫路城の西にあるスシローでたらふく食べました。でも安くつきました😆


 買い物は駅横のピオレ姫路にあるモンベル。私たちの贅沢はモンベルウェアを買うことです。
 物がいいので、ズボンもシャツも長く使えます。今、通勤時のズボンは、10年以上も履いているものばかりです。
 今日の買い物では、私がテニスをするときに着ることができるトレーナーシャツ、敏美さんは外出着のシャツを購入しました。

 さらに山陽百貨店に行き、書店で書籍を購入。
 帰りにスタバでコーヒーでもと思いましたが、店内は超満員でした。やはり姫路は人が多い。ましてはクリスマス前では、買い物客が殺到しますね。仕方がないので、コーヒーなしで帰路につきました。


 年に一度くらい、贅沢させてもらってもいいですよね😉

 そして晩は、今年最後の佐用でのナイターテニス。氷点下の中で打ち合って、卯年の最後として跳ね回ってまいりまーす‼️


 
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今日は冬至、、

2023-12-22 07:07:00 | Weblog
 今日は冬至。
 冬至は1年で、いちばん日が短い日です。つまり日の出から日没までの時間(日長)がいちばん短い日です。
 上郡町の今日の太陽データは、次のとおり。





 さあ、明日からは日が長くなるぞ、と思いきや、日の出の時刻はまだまだ遅くなるんです。日の入り時刻が遅くなるので、日長が長くなるんです。







 つまり朝はまだまだ寒くなるということなんです。


 日長以外に、冬至の日の定義として、太陽の南中高度がいちばん低くなる日があります。
 上郡町のデータでは、今日の南中高度は31.69度です。

 冬至の日の南中高度は、

 冬至の日の南中高度=90−緯度−地球の地軸の傾き

で計算されます。
 上郡町の緯度は34.87度、地球の地軸の傾き角度は23度26分=23.43度
 上の公式にあてはめると、

 90−34.87−23.43=31.70
 
 今日の上郡町の南中高度のデータとほぼ同じ。当然なのですが、なんか嬉しくなりました。


 この計算式は、中学3年の理科で学習します。今ごろ中3受験生は勉強してると思いますが、勉強と関係なく、空を見上げて、太陽や星を眺めてほしいなあ、なんて思ってしまいます。
 夜8時、南東の空にオリオン座がきれいに見えてますよー、なんてね😊
 
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山小屋回顧録

2023-12-12 06:47:00 | Weblog
 長男が生まれて三か月のとき、田中邦衛さんが大好きな敏美さんが、絶対に見たいからと言ったドラマが「北の国から」でした。晩10時から始まるこのドラマを、長男を寝かしつけながら、オッパイをあげながら、欠かさず見て、引き込まれたのは私の方でした。
 妻に裏切られ、子どもの純と蛍と共に故郷富良野に舞い戻ってきた五郎(田中邦衛さん)。
 かつて住んでいた家は廃屋同然。電気も水道もない。その家を親子3人で建て直していく。初め、そのやり方に批判的だった純も、壊れた壁を直し、沢から水を引き、日雇い仕事に出ていく五郎を少しずつ理解していく。
 蛍は五郎が母と別れた原因を知っていて、五郎に常に寄り添うのだが、母を慕う気持ちを抑えている健気さが、可哀想でたまらなかった。
 「北の国から」は半年で終わりましたが、その後もスペシャル版が放送されて、純も蛍も成長していきました。


 その4年後、次男が生まれたとき、新聞に「丸太小屋を建てませんか」というタイトルの記事が出ました。そこには、モデルハウスを万博の自然文化園内で組み立てます、とも紹介されていました。
 自宅からすぐの万博公園だったので、興味半分で見に行くと、丸太が数段積まれた小屋作りの途中作業状態があり、のみでコツコツと太鼓びきの丸太を削っている人がいました。
 その人から、「和歌山県九度山中小沢」に山の田んぼ跡があり、そこの土地を分譲して、ログハウス村をつくる計画がある」ことを聞きました。

 のみの作業を見てると、私にもできそうな気がしました(実際にはそう簡単にはいかない😂)。

 「北の国から」の世界が現実になるような気がして、もうやりたい衝動を抑えることができなくなりました。

 その後、現地に行くと、かなりの山奥でしたが、突然、田んぼ跡が現れ、その一番上に一軒だけログハウスが建ってました。


 ログハウス村の分譲計画は、田んぼ跡と山が合わせて約5000坪あり、田んぼ跡を35区画に分け、同じく山の土地も35区分し、セットにして分譲するというものでした。つまり小屋は田んぼ跡にしか建てられないのですが、敷地は山も含めてあるので、そこに建てるには山の土地も買うことになるというものでした。

 その後、購入希望者が集まっての説明会があり、田んぼ跡の35区画は抽選でした。
 購入金額は坪1万円。かなりぶっちゃけな計算ですね。結局、私は12坪の田んぼ跡と100坪を購入することとなり、112万円で田んぼ跡と山のオーナーになりました。


 いよいよ小屋作り。使うのは太鼓びき丸太。杉の間伐材の丸太の上面と下面をカットして平らにして、厚さを揃えたものです。丸太の長さの規格は、3m、4m、6mの3種類です。小屋の多くは縦が4m、横が6mの丸太で作られていて、私の小屋もその大きさです。

 時間がある休日に通いましたが、結局、屋根がかかるまで足掛け8年近くかかりました。バイクで吹田から通い続けました。
 基礎工事から丸太の削り方、積み方を教わりながら、一人でやりました。
 小屋を建てた仲間たちで自治会をつくり、共同の炊事場とトイレも作りました。村への道路の整備など、村の維持はこの自治会で行っています。


 目指したのは「北の国から」の黒板五郎さんでした。この目標があったから頑張れました。






 今は30年も経った小屋のメンテナンスが中心です。屋根の葺き替えを考えていますが、いつになるやら。もう屋根に上れなくなる年齢が来ているかも知れません😅



 でも、仲間がいます。
 笑え合える、一緒に頑張った仲間がいます。仲間と山小屋が私の財産です。

 

 

 
 
 
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恒例の念仏寺お参り

2023-12-11 20:06:00 | Weblog
 山小屋で一泊し、今日は京都です。
 橋本のコメダ珈琲でモーニングを食べてから、橋本ICから京奈和自動車道に入り、南阪奈道路、近畿道、第二京阪道路を通り、太秦に行きました。そして広隆寺を参拝しました。



 中学校の修学旅行で、その美しさに魅せられた弥勒菩薩像。3回目のご対面です。
 敏美さんも大好きで、弥勒菩薩像の写真を手帳に貼っていました。
 二人でしばし酔いしれました。

 その後、太秦広隆寺駅そばの駐車場に車を止め、念仏寺まで歩いて行きました。約5キロの道のりを散策です。
 大映通り商店街から車折神社を通り、嵯峨野に向かいました。観光客のいない道を選んで行きました。





 そして化野念仏寺に。

 そしてお地蔵さんに、おふくろが亡くなったこと、孫が生まれたこと、私と敏美さんが健康に過ごせたことを報告しました。38回目の年末の挨拶でした。










 その後、これも恒例の喫茶店さがのでお茶をし、帰りは嵐山駅から太秦広隆寺駅まで、嵐電に乗りました。





 今日は新大阪に泊まり、明日は義理の父母のお墓参りの私の最後の矯正歯科治療です。




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大好きな山小屋仲間と

2023-12-11 09:03:00 | Weblog
 九度山に行き、山小屋仲間と餅つき&総会をしてきました。

 コロナ禍で出来なかった餅つきが、4年ぶりに復活です。家族も含めて24名、集まりました。

 9時に到着すると、昨日から泊まっていたメンバーたちが準備をしてくれていて、餅つきが始まっていました。
 仲間に加わるなりすぐに
「髙橋さん、手水(てみず=手水つけ人)変わって」
と言われました。私は「手水の髙橋」として知れ渡っているんです😊







 取手を経験された方は知っていると思いますが、石臼で餅をつくとき、取手を素手ですると爪の先が削れてなくなります。
 軍手をして、と言われましたが、ついている餅のつき具合は素手でないわからないので、素手で続けました。案の定、爪は削れて餅に混ざりました😅

 餅つきが終わり、昼食をとりながら総会をしました。
 村長から、今年亡くなられた方が2名いたこと、村をどうやって存続させるべきか、などが報告されました。

 みんなで協力して39年前に立ち上げ、やってきた自治会。高齢化問題が現実化してます。自治会が解散すれば、個人での山小屋管理となり、トイレやシャワー、炊事場の管理などが難しくなります。
 みんなで考えていかねばなりません。


 しかし、久しぶりに会った仲間なのに、どうしてこんなに笑い合えるのでしょう😆

 楽しくて仕方ありませんよー‼️

 メンバーは素晴らしい友。なんでも話せる気心知れた同志に、感謝、感謝です。
 敏美さんと共に、元気もらいました。

 午後から山小屋のメンテナンス。
 いつもの側溝掃除から始まり、屋根に積もった枯れ枝を落として、ベランダの補強と防腐剤を塗りました。
 みんなが帰り、今日の村は敏美さんと二人。晩御飯を食べ、本を読んで、8時には寝たそうです。寝袋が気持ちいい〜。

 そして、今日は京都に向かいます。

 

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元気に、とわかっていますが、、、

2023-12-03 21:45:00 | Weblog
 今日も寒い朝です。
 
 新聞をとりに外に出ると、庭の色の違うモミジの葉がちり、チリモミジを演出してくれてました。







 そして、そのモミジの横にはサザンカの花が一輪、きれいに咲いてました。



 寒くなればなるほどきれいに咲くサザンカの花。寒さに負けるなよ、と応援されているような気がします。


 今日は、友の死を忘れようとして一生懸命に仕事をしてきました。しかし、食事時間や休憩時間では、いきいきと過ごした友との時間を思い出してばかりでした。


 忘れるようとしなくてもいいですよね。
 思い出を大切にすればいいだけですよね。
 でも、今は時が経つのを待つだけしかできない自分がいます。サザンカにも縋りたい自分がいます。
 
 

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つらく悲しいけど、、

2023-12-03 07:26:00 | Weblog
 朝が氷点下の寒さがやって来ました。

 昨日は、敏美さんの車のタイヤをスタッドレスに変えたり、布団干しや障子戸周りのほこり掃除をしたりして、寒さ生活への備えをしました。年の瀬です。


 この時期に届く便りは、喪中連絡です。
 若いときは、祖父母が亡くなりでしたが、やがて父、母が亡くなりが増え、今は兄弟、姉妹が亡くなり、という文面が多くなりました。
 私も4月に母が亡くなっていますので、喪中連絡をして、新年の挨拶をお断りするのが通例なのですが、どうしてか連絡する気が起こりません。母のことを知らない方に連絡するのをためらってます。

 そこで賀状をいただいた方には、喪中だった旨を返信し、気心が知れた友達にはLINEで連絡しようと決めました。


 そんな中、一昨日仕事から帰り、腹ペコで帰った私の食事後、敏美さんが、
「ご飯食べたから、このハガキを読んで」
と言って喪中ハガキを渡されました。
 差出人は大学の友人の奥様で、その友人が亡くなったことを知らせるものでした。

 急に涙が溢れ、昔の記憶が次々と蘇りました。
「ご飯前に知らせると、ご飯が食べられなくなるからね」
と敏美さん。


 すぐに大学仲間3人に連絡しました。みんな驚き、悲しみにくれていました。
 その話の中で、
「あいつも亡くなったんだよ」
ともう一人、友人の死も知りました。


 大学時代、共に沖縄や琵琶湖、三重の山奥で実習したかけがえのない仲間がいなくなることが、これほどつらいとは、、、
 そんな年齢になったんだ、と痛感させられました。

 
 落ち着いたら集まって供養させてもらおうと思い、私、敏美さん、友人三人とは今後も連絡を取り合うことにしました。
 前回集まったのが、上郡に来る前の5年前、私たち夫婦の大阪お別れ会。それからコロナがあり、みんなとの関わりが薄れていました。
 

 これからの人生、あまり時間がないんです。やり残したことのないように過ごさなくてはなりません。そして、友の分までしっかり生きていかねば❗️

 

 

 
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