こんにちは! ただち恵子です

政治と社会、日々の暮らしの小さな喜び。思いつくままに綴ります。

スリ硝子の向こうの世界

2018-08-31 22:19:46 | つぶやき
網膜色素変性症という進行性の難病により、徐々に視力が失われ、現在は「人の影、物の影が、わずかに感じられる程度の見え方」という方にお会いし、お話をお聞きしました。

鈴のついた白状をたよりに、歩きなれた道を進む姿勢は、背筋も伸びて堂々としておられます。

弁舌さわやか、論旨のはっきりとした、とてもわかりやすい話をされます。


しかし、折にふれて書かれたものを読むと、深い深い苦悩の中で、自分を見つめておられることに胸をうたれます。


このブログに、こうした形で、紹介することをお許しいただきました。

「むしろ、知って欲しい。」とも言われました。


書かれたものを少し引用します。


「今の私の見え方(視界)は、ウッスラとしてボンヤリとした、人の影、物の影が、何とか僅かに感じられる程度の見え方です。(例えるなら、濃いスリ硝子越しに外界を覗いていると言った表現がピッタリです。想像してみてやってください。)」


「視界がぼんやりしたままなので常に ゆううつな気分に襲われます。」


「日常生活では神経がボロボロに擦り減り、疲れ果て、とても辛い状態です。目の闇(病み)が心の闇(病み)へと広がって行かないように精一杯頑張っている最中です。」


「影法師に向かって、しゃべっているのだから、誰にしゃべったのか記憶が残りにくい」



こうした文章を、パソコンを使ってご自身で書き記しておられます。


それができるのは、長年、使い続けたキーボードをブラインドタッチで操作することができるからです。

紙に印字された文字より、パソコンの画面の文字(ゴシック体の文字を5センチ角くらいに拡大して)は、見やすいそうです。

パソコンは、「読み・書く」と言う失われた力を取り戻す、「目の補装具」とおっしゃいます。

だから、視力障害者の日常生活用具の支給対象にすることを強く求めておられることは、当然の、そして切実な要求であることは実際にPCの前に座って操作する姿を見て納得しました。



こういう大切なメッセージも記されています。

「高齢・障がいというものは、なってみてこそ初めて知りうる大変な厳しさがあります。

現役世代・無障がいの人たちの想像、想定域を超えるものがあるのは事実です。だからこそ、

高齢者のことは高齢者に、障がい者のことは障がい者に聞くのが正しい判断 正しい決定を導く手段であろうと思います。」



50代で発症し、徐々に視野が狭くなり、色を判別できなくなり、20数年たった今、急速に暗黒に近い状態へと進行している。

計り知れない苦悩の日々を、精いっぱいの想像力を働かせて、少しでも理解する努力をしたいと思う。



これから私自身が生きていく上で、大切なことをたくさん教えて頂いたことに深く感謝しています。



コメント (3)
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