五輪組織委員会の森会長の暴言、妄言をめぐって抗議の声が湧き上がっている。
「#わきまえない女たち」というハッシュタグで呼びかけられた署名は「辞任」を求めるのではなく、「処遇の検討」と「再発防止」を掲げている。
ネット上で拡散される署名に参加しながら、その意味を考えた。
「辞任で終わり」という問題ではないということなのだと思う。
繰り返される「とんでもない発言」の背景を社会全体の問題として、しっかりと考えよう。
社会全体で乗り越えていこう。
そう呼びかけているように思う。
問題となった「女性が入ると会議が長くなる」という発言。
「わきまえている女は黙っているもの」という時代錯誤の「女性蔑視」。
それだけだけでなく、熟慮し、議論することを軽視する風潮が根底にあることを感じる。
「会議は、エライ人が考えた提案を承認する場」であり、全て「異議なし」で納めるのが「円滑な運営」であるかのような空気。
それこそ「男社会」がつくってきたものではないのか。
議会と言う場は圧倒的に「男社会」だ。
18人の議員の中で「唯一の女性議員」であった時期がある。
走っても追いつけない焦燥感にさいなまれながら、知識も能力も時間も足りないことを嘆きながら、「会議の円滑な運営」をよしとする空気に抗ってきた。
30年間と言う時間を振り返れば、確かに前向きの変化があったと思う。
多様な価値観に対して寛容であることが、少なくともタテマエとしては認め合えるようになったと感じる。
時代を逆行させたくない。
だから、森発言には、きっちりと決着をつけたいと思う。