◆大河「花燃ゆ」のあの人は誰? 杉梅太郎、毛利敬親、久坂玄瑞【3分で学ぶ世界の教養】
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大河ドラマ「花燃ゆ」が先週3度目の放送を迎え、高名な登場人物が増えつつあります。ドラマを観ている途中で、
「あの人は誰?」と思ったときのために、3人をピックアップし、簡単な紹介をしてみます。
松下村塾を再興した杉梅太郎(すぎ・うめたろう)
主人公の杉文と松陰の兄にあたる梅太郎(キャスト・原田泰造)は、松陰とともに、松下村塾で学問を学んでいました。
梅太郎は、日本各地を遊学する松陰に対して、生活費を切り詰めて旅費を送ったり、松陰がペリーの船でアメリカ密航を
企てた罪で野山獄に投獄されると、彼が望む書物を届けるなど、松陰の良き理解者でした。
松陰の密航で連帯責任を問われた梅太郎は、藩の役職を一時失ってしまいます。
しかし、彼の才能を惜しんだ藩は、彼をすぐに再登用します。その後、梅太郎は1878年(明治11年)に閉鎖していた
松下村塾を再開し、子弟の教育に当たりました。
長州藩を建て直した毛利敬親(もうり・たかちか)
杉家が仕える毛利敬親(キャスト・北大路欣也)は、長州藩13代藩主であり、毛利家25代当主。18歳で家督を継いだ敬親は、
財政難にあえぐ藩を改革するために、中級武士であった村田清風などを抜擢し、一気に雄藩へと押し上げました。
ところが一方で、敬親は“暗愚"との評価もあります。当時の藩内は、倒幕を掲げる「正義派」(村田清風や高杉晋作など)と、
幕府への恭順を求めた「俗論派」(椋梨藤太など)で対立していました。これに対して、敬親はどちらの派閥にも肩入れすることなく、
「そうせい」という言葉を語るのみで、黙認していたのです。そのため、「そうせい候」というあだ名がついたほどです。
敬親とは性格が正反対であった土佐の山内容堂は、敬親について触れた際、「上と下の関係が真逆」という意味で、
逆さまになったひょうたんを紙に書いて批判したこともあります。しかし、敬親がいなければ、長州藩の人材の抜擢は進まず
、藩の改革も失敗し、松陰らも弾圧されていたでしょう。明治維新も起きなかったかもしれません。その意味では、敬親は「英君」と言えます。
尊皇攘夷の先陣を切った久坂玄瑞(くさか・げんずい)
杉文の夫となる久坂玄瑞(キャスト・東出昌大)は、医者の家に生まれ、幼少時から神童ともてはやされる天才でした。
九州に遊学中、宮部鼎蔵(ていぞう)を訪ねた久坂は、松陰に学ぶことを勧められ、松下村塾に入塾。久坂は
、「今自分の中にあるのは、病人を治す処方ではない。天下を治療する処方である」という詩を残し、国を丸ごと変える志を立てます。
その後、松陰が刑死すると、久坂は、建設中の江戸の英国公使館焼き討ちを断行するほど
、尊皇攘夷に燃え上がり、長州藩と幕府側が武力衝突した禁門の変で戦死を遂げました。
この久坂の行動力は坂本龍馬などの他の志士に影響を与え、西郷隆盛からも、「もし久坂さんが生きていたら
、私は参議などと大きな顔をしていられない」と評されました。志半ばで亡くなった久坂も、明治維新の立役者の1人と言えます。
「花燃ゆ」の放送をきっかけに、明治維新を学び直すと、志士たちの情熱と行動力で国が根本的
に変わった事実に改めて驚かされ、心が熱くなります。(山本慧)http://the-liberty.com/article.php?item_id=9067
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